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2008年5月

凱風快晴

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■   裏ゆき   ■
 「裏ゆき」という言葉を聞かれて、聞きなれない言葉だと思われた方も多いことと思います。
これは、版画を裏側から見た場合の効果を指すものです。
摺りの良い作品は裏から見てもバランスが良く、摺師の気迫が伝わってくるものです。
例えば保永堂版東海道の「四日市」は、裏から見た時、木枯らしの吹きおろす様が、表から見た時よりも3倍くらいよくわかります。つまり摺師のバレン痕が残っていて、これらが全てある一定方向に向かって働いているのです。この作品につけてあるグラデーション(ボカシ)は、全て方向性(木枯らしのふきおろす方向)を持たせて摺ってあることが、裏から見たとき、ひと目でわかるのです。
このような効果の出し方は全く珍しいもので、私は他に同様の例を知りません。このような摺り方は初摺りの作品にしか行われておらず、後摺り品においては、ただボカシを入れただけの摺り方になっています。そうした初摺品特有の摺り方が、版画を表から見た時、木枯らしを実感させることになるわけです。

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法隆寺金堂

法隆寺金堂の天蓋に創建時期の古材 

聖徳太子を追慕か
朝日新聞 2008年05月30日


世界最古の木造建築、法隆寺(奈良県斑鳩町)の国宝・金堂内にある装飾の天蓋(てんがい)(国重要文化財)に、606年ごろ伐採された木材が使われていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。法隆寺は聖徳太子(574~622)が607年に創建したが、670年に焼失し、7世紀後半から8世紀初めごろ再建したとされる。本尊を安置する中枢部の金堂で、創建時期の古材が半世紀以上経た後に使われていた。法隆寺再建をめぐっては謎の部分が多く、建立過程を知る上で貴重な資料となりそうだ。
同研究所の光谷拓実・客員研究員(年輪年代学)が調査した。

Osk200805300055_2  天蓋はカーテンを模した木製の荘厳(しょうごん)具で、仏像の頭上にかざす。金堂内の 「中の間」「西の間」「東の間」に3基あり、それぞれ幅約2.4メートル、奥行き約2.1メートル、高さ0.8メートル以上。

 聖徳太子をモデルに造られたとされる釈迦三尊像(623年)がある「中の間」と、阿弥陀如来像(1232年)がある「西の間」の天蓋を修理した際、06年12月と翌年1月に年輪年代法で測定した。「東の間」の天蓋は鎌倉時代作のため除外した。

 「中の間」天蓋の部材のうち最も新しい年輪年は654年、「西の間」天蓋は663年。元は同じとみられる木材が両方に使われていることから、天蓋2基の制作は663年から数年後と判断した。ところが、「中の間」天蓋の部材のうち、天井板の部分に使われていた木材1枚が606年前後の伐採とわかった。

 光谷客員研究員は「聖徳太子を追慕する思いの表れとして、古材を用いたとも考えられる」と指摘している。(編集委員・小滝ちひろ)

     ◇

 〈法隆寺再建・非再建論争〉 670年に法隆寺が焼けたと記す日本書紀をもとに、創建法隆寺(若草伽藍=がらん)の焼失後に現在の伽藍が北西約200メートルに再建されたと考えるのが再建論。これに対し金堂の建築様式の古さなどから、現在の伽藍は7世紀初頭の創建時のままとするのが非再建論。1939年に若草伽藍の金堂と塔の跡が見つかり再建論が主流となった。

University of Alberta

Against the Grain: Japanese Woodblock Prints

University of Alberta Photo
~6月28日

Hamano masago makie no takashima

(from the series, New Plays of the Meiji-za)Object Name: triptych
Artist: Kunichika, Toyohara (Japanese, 1835-1900)
Date Made: 1897
Materials: ink on paper; woodcut
Measurements: image: 108.4 cm x 72 cm

Description: An oban triptych that depicts the actor Ichikawa Sandanji I as Ishikawa Goemon in the Kabuki play "Keisei Ishikawazome"

This work follows in Kunichika's esteemed genre of Yakusha-e (prints of actors) which adhere to idealized notions of masculinity. It is a scene from a Kabuki play and captures the emotion and strength of the actor's performance. There is a slight humour to the expressive manner in which he stands but it aptly communicates the emotions and poses common to kabuki of the day. The actor is well adorned in flowing robes and the colour of the print makes it truly outstanding. The bold design, brilliant colour and vivid expression of the actors face are said to represent the last flowering of the Ukiyo-e tradition within the new Meiji era.

関連記事
http://www.vueweekly.com/article.php?id=8622

今日の浮世絵 蛍

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蛍狩り図

作 者 :月岡雪鼎
時 代 :江戸時代
材 質 :紙本着色
法 量 :82.1×20.8
時代:安永年間(1772-81)

月岡雪鼎:

西川祐信風の豊麗上品な画風の肉筆美人画で名をなした。 魚や鳥などの絵も巧みで、秘画なども多く手掛けた、大坂浮世絵の大家。
その子雪斎は月岡芳年の養父。

昨夕、2つの目的で公園へ。一つはアオバズクの飛ぶ姿を見るため。
これは思わぬ所から飛び出され、視点がずれ横目で見るだけに終わりました。
もう一つはホタルを見るため。
その公園はJRの駅のすぐ北側、市の中心部に立地しますがホタルがいます。
しかしその存在は地元住民にもほとんど知られていません。それほど数少ないです。
そのすごく小さなせせらぎを今年底ざらえしたそうで、ホタルが心配されていました。
出ました。2匹。1匹はまだ飛べずに地面の草むらの中で光っていました。

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江戸の町中でもホタルは様々な場所で見られたようです。
高田落合、関口、王子石神井川、谷中宗林寺などの名が挙がっています。

谷中宗林寺。現台東区谷中3丁目。かっては谷中初音町4丁目といった所でウグイスの名所、亀戸の竜眼寺と共に秋の萩でも有名。そして蛍沢の宗林寺ともいわれホタルでもその名を知られたそうです。
そこから少し先にある岡倉天心記念公園は、岡倉天心が横山大観らとに設立した日本美術院の跡地。

北斎展

HOKUSAI “mad about his art” From Edmond de Goncourt to Norbert Lagane.

The National Museum of Asian Art Guimet
21 May – 4 August, 2008

http://www.guimet.fr/HOKUSAI-1760-1849-Hokusai-and

1

江戸

Htbookcoverimage_2 書  名  江戸の醍醐味
副書名  日本橋・人形町から縁起めぐり 
出版社  発行所=光文社 
著  者  荒俣宏 
税込価格  1,890円(本体1,800円+税) 
発行年月  2008年5月 
判型  B6 
ISBN  9784334975418 

日本橋は、江戸と東京をつなぐ町。現代の経済・流通・交通事業の原点だった…。日本橋・人形町を起点に、時代の残り香を探し歩いて20年。東京の皮層をめくりとる愉しみにあふれた、「江戸のドまん中」探訪記。
『日本橋異聞』の続編。

Htbookcoverimage1 書  名  将軍家御典医の娘が語る江戸の面影 
シリーズ名  平凡社新書 419 
出版社  発行所=平凡社 
著  者  安藤優一郎 
税込価格  735円(本体700円+税) 
発行年月  2008年5月 
判型  新書 
ISBN  9784582854190 

“江戸はあんまり泰平に酔っていました”―十四歳で維新に遭遇した御典医の娘みね。彼女の目に「江戸の終わり」はどう映ったのか?福沢諭吉をはじめとする偉人たちとの思い出とともに語られた証言から、幕末・明治維新が鮮やかによみがえる。知られざる名著『名ごりの夢』を読む。

第1章 福沢諭吉に背負われて;
第2章 なつかしき江戸の情景;
第3章 お姫さまの御維新;
第4章 武士でも姫でもなくなって;
第5章 薩長にお辞儀なんかするもんか;
第6章 すべては夢のように

万葉集の木簡が初出土

E5_msn_2 奈良時代に聖武天皇が造営した滋賀県甲賀市信楽町宮町の紫香楽宮(しがらきのみ や)(742~745)跡から平成9年に出土した木簡の両面に、それぞれ和歌が墨書され、うち1首が万葉歌だったことが分かり、同市教委が22日、発表した。4500首以上の歌を収録している『万葉集』だが、木簡に記された歌が見つかったのは初めて。木簡は『万葉集』の成立以前に書かれた生々しいドキュメント史料で、歌集成立の過程などを探る画期的な発見として注目を集めそうだ。

 木簡に記されていたのは、『万葉集』巻16に収録されている「安積香山(あさかやま) 影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに」と、「難波津(なにわづ)の歌」として知られる「難波津に 咲くや木の花冬こもり 今を春べと咲くや木の花」の一部。いずれも漢字を仮名的に用いた万葉仮名で書かれている。

 2つの断片に分かれ、幅はいずれも2.2センチ、長さはそれぞれ14センチと7.9センチ。文字の大きさなどから、もともとは幅3センチ、長さ約60センチほどと推定できる。厚さは約1ミリ。「安積香山の歌」は7文字が、「難波津の歌」は13文字が残っていた。同市教委は、儀式や宴会で歌を読むときに使われたとみている。

2首は10世紀初頭、紀貫之らが編纂(へんさん)した『古今和歌集』の「仮名序」で「歌の父母(ちちはは)」と紹介されているポピュラーな歌。『源氏物語』や『枕草子』などでも手習いの歌としてセットで登場する。今回の発見で、このセット関係が『古今和歌集』を150年さかのぼることになり、これまで謎だった2つの歌の結びつきについても議論が高まりそうだ。

 安積香山は福島県郡山市にある山で、万葉集の詞書(ことばがき)によると、この歌は東北に派遣された葛城王(かつらぎのおおきみ)(のちの橘諸兄(たちばなのもろえ))が国司の粗略な接待に気を悪くしたが、応対した采女(うねめ)がこの歌を詠み、機嫌を直したと伝えられている。

 「難波津の歌」は、仁徳天皇の治世の繁栄を願った歌とされる。万葉集には収められていないが、奈良文化財研究所によると、この歌が記された木簡は7世紀後半以降の30例あまり確認。古くから有名な歌だった。

 木簡が出土したのは、宮殿などの遺構が確認されている紫香楽宮中枢部の西側の脇を流れる基幹排水路跡。同じ個所から出土した年号のある木簡13点から、天平15(743)年秋から745年春にかけて棄てられたと推定できるという。

 現地説明会の代わりに、5月25日午後1時から、甲賀市信楽町長野の信楽中央公民館で、「万葉歌木簡記念講演会」が開かれる。

万葉集 現存最古の歌集。全20巻からなり、仁徳天皇から759年までの和歌約4500首が収録。大伴家持や橘諸兄らが編集したとされる。雑歌(ぞうか)、相聞歌(そうもんか)、挽歌(ばんか)に大別される。素朴で力強い歌風が特徴で、文学的評価は高い。「巻1」から「巻15」までが、745年以降の数年間に成立。今回の木簡と同じ歌が収録された「巻16」と家持の日記がその後に増補され、782~783年ごろに全20巻が成立したとする考えが有力。

 紫香楽宮 天平14(742)年、聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市)に造営した離宮。翌年ここで、大仏造立を発願した。745年に「新京」と呼ばれたが、同年に平城京に還都した。宮町地区で昭和58年から行われた発掘調査で、朝堂など中心施設が検出された。これまでに平城京に次ぐ約7000点以上の木簡が出土している。

サンケイ新聞 2008.5.22 17:15

今日の浮世絵  百人一首の日

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5月27日は百人一首の日

1235年 定家が小倉百人一首を完成させた日だそうです。

多くの浮世絵師が題材に取り上げたり挿絵を描いたりと、小倉百人一首を始め様々な百人一首に関わっていたようです。その代表的なものを、「持統天皇」で。

トップ画像は菱川師宣の「百人一首像撰抄」から。

Photo_3  そして安藤広重、歌川国芳、歌川豊国が描いた「小倉擬百人一首」は、百人一首の歌を当時の芝居や役者に見立てたもので、江戸美術の魅力を現代に伝える作品です。
先月までの町田市立国際版画美術館での「歌川広重没後150周年記念展」で展示されていました。画像の「持統天皇」は「鉢の木」の最明寺時頼と白妙に見立てられています

北斎の「百人一首宇波かゑとき」シリーズも美術展でよく目にします。Photo_2

今一枚は国貞改め二代豊国の「百人一首絵抄」。

因みに持統天皇の御歌は

春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山

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勝川春章の錦百人一首あづま織は墨摺り、色摺りの両様があるようです。

版画家デービッド・ブルさんのページでお楽しみください

http://www.asahi-net.or.jp/~XS3D-BULL/j_main_page.html

Bowdoin College

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Glimpses into the Floating World: The History of Ukiyo-E
Bowdoin College Museum of Art
Mar 18, 2008 – Jun 22, 2008

http://orient.bowdoin.edu/orient/article.php?date=2008-05-02§ion=4&id=4

中江藤樹

中江藤樹:直筆の掛け軸と巻物発見 優しさや思いやりあふれる遺墨

高島市安曇川町出身の江戸初期の儒学者、中江藤樹(とうじゅ)(1608~48年)直筆の掛け軸と巻物が見つかった。村人などの門弟を大切に育てた藤樹の温かな人柄を感じさせる内容の遺墨。藤樹の直筆は地元に約30点残るが、新たに見つかるのは非常に珍しい。市内で開催中の生誕400年祭の7月の「中江藤樹展」で展示される。【近藤修史】

 藤樹は、武士として大洲藩(愛媛県)などに仕えたが、27歳の時、古里に残した母と暮らすために脱藩。村人や全国から集まった門弟らに私塾「藤樹書院」などで儒学を教え、「日本陽明学の祖」「近江聖人」とたたえられている。

 直筆の掛け軸と巻物は、地元の「近江聖人中江藤樹記念館」元館長、中江彰さん(55)=同町青柳=が06年11月までに京都の古美術店などから連絡を受けて購入。自宅で大切に保管していた。

 このうち、掛け軸(縦約25センチ、横約40センチ)は、晩年の1646(正保3)年に詠んだ七言絶句の漢詩。自宅で迎えた正月、天地の恵みに感謝し、門弟らを囲んで開いた楽しげな新年の酒宴の様子が詠まれている。

 一方、巻物(縦約30センチ、長さ約1・2メートル)は、1644(正保元)年、郷里の伊勢に戻る門弟に託したもので、「論語」や「大学」などの書物の解釈を丁寧に解説。討論して学問を学び合った門人を「良き友」といたわっている。

 地元の財団法人「藤樹書院」の山本義雄・常務理事は「藤樹先生の優しさや思いやりが感じられる資料」と評価。中江さんは「真筆を通じ、生誕400年を迎えた藤樹先生の教えを多くの人に伝えたい」としている。

 2点の真筆は7月1~10日、同町上小川の藤樹の里文化芸術会館で開かれる遺墨・遺品展「中江藤樹展」で公開される。

毎日新聞 2008年5月21日 地方版

古着

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柳原和泉はし

昇斎一景

江戸時代リサイクルされたものに着物が有ります。古着です。

古着屋は質屋、古道具屋、小道具屋、唐物商、古鉄屋等と共に八品商といわれ、幕府の統制を受けていました。

一説には、古着屋の元祖は「鳶澤甚内」という盗賊だったという話があります。
この盗賊が捕縛されたとき、盗賊の情報を提供し逮捕に強力することで、命を助けられた。その時「世に盗人の種はつきまじ・・」だから、「いっそ正業につかせたほうが盗人は減る」と提言、お上から許しを得て、場所も与えられた。それが古着屋だったというわけで、そこが「鳶澤町」と呼ばれ、やがて「富沢町」になったとか。中々繁昌したようで「人間の皮富澤へ流れ込み」と川柳にあります。

また、江戸城の周囲は松林が連なっていたのですが、北東の一角、神田川沿いだけは柳があった。そこに太田道灌が鬼門除けに柳を植え足しました。陰陽道では鬼門除けに神仏を祀ったり柳や桃を植えたりしました。平安京の比叡山延暦寺、江戸ではそれに倣った東の叡山寛永寺がそれに当ります。

その後吉宗が補植したりしてその数700本を越え文字通り柳原になった。ここに延喜年間北町奉行能勢甚四郎の許可を得て、九尺三尺のたたみ床の店ができ、その多くは古着屋でした。

鬼門、きもん、きもむ、・・・きもの、着物。

その他行商も盛んで、もっぱら竹馬とよばれる道具で商ったようです。

当然古着も最初は新品なわけでして、そのデザイン帖は浮世絵師が手がけたようです。

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ミネアポリス美術館秘蔵 浮世絵展 

ミネアポリス美術館秘蔵 浮世絵展 奈良県立美術館

遅ればせながら昨日見てきました。
会期末でしたが思っていたより空いていました。
保存状態の良い作品をゆっくり楽しめました。

でももう少し基本的説明を各作品毎にして欲しいですね。
音声ガイドはありましたが、私は利用しませんでしたので手探りでの鑑賞でした。
例えば 
歌川国芳  風俗女水滸伝 百八番之内 公孫勝 415104574_117_3
水に映る女性の顔が龍か何かに変わっていると思うのですが、よく解りません。
翠峯亭小松の賛が読めれば解るのでしょうが恥ずかしながら・・・。
すぐ隣にあった同じく国芳の「流行逢都絵希代稀物 」
中央で顔を隠しているのは誰でしたですか?

風刺画だったと思うのですが。

歌麿のこま絵の洒落もよくわかりません。

かわいそうだったのは広重の「雪中富士川の景」

見下ろす位置に置かれた作品の中でただ一枚立ち正面の位置に展示されていた。

視線を下げて進んでいく内に気付かずに行く人も居た。

広重のは2枚が他の広重作品と別室に別けられたり。

図録も解説がなさそうなので買いませんでした。

「桐壺」3巻発見

重文級「源氏物語絵巻」発見 「桐壺」3巻

Ngy200805210011  17世紀に制作された「源氏物語絵巻」の巻頭部分が見つかり、名古屋市東区の同市蓬左(ほうさ)文庫で21日に初公開された。光源氏の生誕から始まる第一帖(じょう)「桐壺」の3巻で、一連の作品と考えられている第六帖「末摘花(上巻)」(大津市・石山寺蔵)は、重要文化財に指定されている。

 今回見つかった「桐壺」は3巻で15場面が描かれており、1巻の長さは約12~15メートル。絵の作者は定かではないが、物語の詞書(ことばがき)は関白だった公家の九条幸家らが書いている。

 個人の所有者が蓬左文庫に隣接する徳川美術館に持ち込み、存在が分かった。同館の学芸員が調べた結果、絵の構図や詞書の装飾などの特徴から、17世紀に制作された源氏物語絵巻の一部と判明。ほかに計10巻と断簡の存在が知られている。

 源氏物語絵巻は、徳川美術館などが所蔵する平安時代の国宝を始め、これまで繰り返し描かれてきた。

 同館の四辻(よつつじ)秀紀副館長は「ほかの源氏物語絵巻は名場面集がほとんどだが、この絵巻は物語全文を省略なしで記し、多数の絵で構成している。国家的なプロジェクトだったのだろう。巻頭が見つかったことで今後研究が進むはずだ」と話す。展示は7月21日まで。

朝日2008年05月21日

正岡子規:直筆の掛け軸を発見

正岡子規:直筆の掛け軸を発見 「写生」の大切さ詠んだ短歌など5首

俳人、正岡子規(1867~1902)の直筆の掛け軸が見つかった。

慣習にとらわれず情景をありのままに表現する「写生」の大切さを詠んだ歌など、短歌5首をつづっている。子規の妹の孫で大阪成蹊短大講師の正岡明さん(63)=奈良市=は「俳句の書かれたものは多く残っているが、短歌を書いたものは貴重。子規を知る上で貴重な発見」と話している。

 関西に住んでいた親類が昨秋、自宅に保管されていた掛け軸を明さんに託した。木箱には「子規居士歌稿」と書かれ、ふたの裏には「昭和二十六年 正岡忠三郎」と明さんの父の名前があった。筆跡も一致し、子規の直筆と判断した。

 短歌は縦24・5センチ、横31・5センチの和紙に書かれ、一番右には「青丹よし奈良の佛もうまけれと 写生にますハあらじとそ思ふ」(奈良の仏像も良いけれど、写生より優れていることはないと思う)と奈良のことを詠んだ歌があった。1895年に訪れた奈良を思い出して、子規が数年後に書いたとみられるという。左端には、竹の絵の掛け軸を描いたと思われる墨絵もあった。

 子規は「写生」の重要性を主張したことで知られる。正岡さんは「書いた当時、子規は病気が重かったと思う。彼の写生への情熱が伝わってくる」と話す。

 掛け軸は23~25日、奈良市今小路町の「日本料理 天平倶楽部」で開かれる「東大寺ゆかりの人々の作品展 一期一会」で初公開される。【花澤茂人】

毎日新聞 2008年5月21日 地方版

Florida

Paths That Connect: Koitsu_2_ladies_night_framed_croppe
Japanese Woodblock Prints from the Andrews-Schroeer Collection

The Morikami Museum and Japanese Gardens
April 3 - May 31, 2008

http://www.morikami.org/index.php?src=

有卦絵

今年も帰ってきました。00328774 

明石公園のアオバズクです。繁殖を始めて10年ほどになります。ハトより少し大きいぐらいの鳥ですので鎮守の森などが残っていれば繁殖するそうです。フクロウ科の夏鳥で、夜行性で蛾を食べます。

(画像は昨年の神戸新聞の記事より)

岩崎常正の「武江産物志」(江戸を中心とした武蔵国南部地域の動植物の目録)に「ふくろう 上野 猫頭鳥(みみずく) 上野」の記述が見られます。フクロウは一年中いる鳥ですが大きなウロが必要です。

江戸時代まだ上野には大きな木が繁っていたようです。ネズミを捕食しますので開けた狩場も必要です。当時の上野の様子が窺い知れます。

近年町中ではフクロウはもちろんアオバズクも激減しているとか。

蛾がいなくなったからだとか。これまた神戸新聞によると最近みのむしが減っているとか。なんでも外来種のミノガヤドリバという寄生虫のためだそうです。

気が付かない内に様々な点で環境が激変してますね。

最近フクロウの浮世絵を心掛けていますが、まだ見つかりません。

ちょっとおまけで国芳の「ふ尽くし」。

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有卦絵のひとつで、富士山 梟 福禄寿 藤娘 福助 福女(お多福) 福良雀が見受けられます。

陰陽道では、人生は七年間の幸運の有卦と五年間の無卦が交互にくるとされ、有卦に入る年に「福」を取り込むため、頭に福の字がつく七つの物をそろえて祝う習慣がある。このおめでたい七つのものを描きこんだ「有卦絵」をお祝いとして贈ることが、江戸末期に流行したとか。

余談ですが福助のこんな画像も

三代目広重です

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奇想の江戸挿絵、もっと知りたい歌川国芳

書 名 奇想の江戸挿絵 Htbookcoverimage
副書名
シリーズ名 集英社新書ヴィジュアル版 008V
多巻物書名
原書名
出版社 発行所=集英社
著 者 辻惟雄
税込価格 1,050円(本体1,000円+税)
発行年月 2008年4月
判型 新書
ISBN 9784087204407
北斎をはじめとする江戸の浮世絵師たちにとって、版本の挿絵は重要な仕事であり、そこには、物語作者とのコラボレーション、対決を通じての創造のあくなき追求を見ることができる。北斎・馬琴の『新編水滸画伝』『椿説弓張月』から無名の作者、絵師の作品に至るまで、幽霊や妖怪、異界のものたちが跋扈し、生首が飛び、血がしたたる、残虐とグロテスクに満ちた「奇想」のエネルギーが横溢しており、斬新な技法、表現、意匠の実験が絶えずくりかえされている。本書は、この膨大な版本の世界を渉猟し、新発見の図版などから、現代のマンガ・劇画・アニメにまで流れる日本の線画の伝統の大きな水脈をたどり、その魅力と今日性を浮き彫りにする。

はじめに 江戸後期挿絵の魅力;
第1章 「異界」を描く;
第2章 「生首」を描く;
第3章 「幽霊」を描く;
第4章 「妖怪」を描く;
第5章 「自然現象」を描く;
第6章 「爆発」と「光」を描く;
第7章 デザインとユーモア

もっと知りたい歌川国芳

著者 0840
悳俊彦
定価
1,680円(本体1,600円)
刊行
2008年2月
ISBN
978-4-8087-0840-5
判型
B5判
ページ数
96ページ

内容
●大胆奇抜な仰天浮世絵をひっさげ、国芳見参!
文化文政、江戸文化の爛熟期から幕末にかけて活躍したチャキチャキの江戸っ子浮世絵師国芳は、大胆奇抜な発想と抜群のテクニックで、江戸庶民のニーズに応え多彩な絵をものした。その膨大な画業を年代とテーマでたどる。
●武者絵や怪奇絵だけじゃない、
庶民とともに生きた天才エンターティナーの
愛すべき素顔と、驚きの作品群。
勇猛苛烈な豪傑絵で「武者絵の国芳」として名を馳せたが、リアルな怪奇絵や洋風表現をとりいれた独特の風景画、細やかな情愛がにじみでた風俗画、機知に富んだ風刺画や動物戯画など、作域は驚くほどに広く、そのどれもが描く楽しみにあふれ魅力的だ。反骨のエンターティナー絵師の手によって、幕末期をたくましく生きた江戸庶民の姿が生き生きと浮かび上がる。

立ち読みコーナー有り

http://www.tokyo-bijutsu.co.jp/tobi/book/shiritai/000299.php

北斎 辞世

5月10日は北斎の命日でした。 Acd0805100329002p1
嘉永2年4月18日(1849年5月10日)没
サンケイ新聞 今日の言葉に辞世の句が取り上げられました。

「ひと魂でゆく気散(きさん)じや夏の原」葛飾北斎

「気散じ」は気晴らしの意で、人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出掛けようか、としゃれてみた句。

画像の書は婁正綱氏

幕末浮世絵展 

中右コレクション 幕末浮世絵展 
江戸の賑わい-北斎、広重、国貞、国芳らの世界

三鷹市美術ギャラリー
~6月8日
http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/

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広重と北斎の東海道五十三次展

広重と北斎の東海道五十三次と浮世絵名品展

林忠彦 「東海道の写真展」

周南市美術博物館5月13日~7月13日

視点それぞれ、林忠彦写真展も

 東海道は江戸の日本橋から京都の三条大橋まで続く街道で、大名の参勤交代にも使われた。広重と北斎の五十三次が発表された時代は、十返舎一九の小説「東海道中膝栗毛」がヒットし社寺詣でなどの旅行ブームに火が付いていたころ。広重が発表した55作品には四季の風景に旅人の人情やユーモアを織り込んでいる。一方、北斎の絵画は宿場で暮らす女たちの様子や各地の風俗を描いた作品が目立つ。

 例えば、静岡県の大井川で描いた作品。広重は、荷物を担いで川を渡る一行の遠景を描写したのに対し、北斎は宿場で支度をする女たちと餌を食べる馬を描いた。

 写真集「東海道」が生涯最後の作品となった林忠彦も、同じ大井川で足を止めた。都市化の波に洗われて消えゆく江戸の面影を5年をかけて写し取った。東海道の難所で知られた大井川で林は、川を渡りゆく旅人たちを思い浮かべ、水鳥たちが飛び交う風景を撮影した。

 林は90年に出版した東海道の中で広重の浮世絵に触れ、「画面は躍動感に満ち、大胆な構図は驚嘆の一語だ」とする一方で、一宿一図という制約に「彼はもっと多く自由に描きたかったに違いない。私は自分の気に入った江戸の面影を現在の目で記録したかった」と記している

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林忠彦  大井川

http://www.fujifilmmuseum.com/pro_artist/artist/detail/?id=4405

FUJIFILM MUSEUM

林忠彦といえばこれですか

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龍馬役者絵

新発見「龍馬役者絵」血染めの下緒が語るもの
中城 正堯

 

 十月二二日の高知新聞社会面に「龍馬の役者絵見つかる 浮世絵研究でも貴重な資料」という記事が、カラー図版付きで紹介された。明治二十年、坂本龍馬の芝居が高知市で上演されたときに刊行された役者絵で、龍馬とゆかりのあった中城家(高知市種崎)の子孫が入手したとある。本稿では、新聞掲載までの経緯と、この作品誕生の社会的背景を報告したい。なお、龍馬は慶応三年九月、最後の帰郷で一時中城家に潜伏、浮世絵(源氏絵)を張り込んだ襖をながめている。
 
 作品キャプション 藤原伊之助「坂本龍馬 市川鶴吾郎」明治二十年六月十五日
            中判(276×223)版元前田齢太郎
 
役者・絵師・版元とも高知
 18回浮世絵オークション目録でこの作品を見つけ、龍馬の役者絵というだけで申し込んだ。落札でき、作品の届いたのは十月十日であった。中判錦絵で摺り保存ともよく、龍馬に扮した役者が血染めの

下緒

(

さげお

)

(刀の鞘を帯に結ぶ紐)を持ち、決意を秘めたまなざしで見つめる姿が見事に表現されている。こま絵は、夜陰にまぎれ雨の川辺を急ぐ二人の武士。

 

 画面余白に記載されたデータを見て驚いた。「御届明治廿年六月十五日 画工藤原伊之助要法寺町八十八番ヤシキ 出版人前田齢太郎種崎町百七番ヤシキ」とあり、ともに高知市内特有の町名だ。画中には「坂本龍馬 市川鶴吾郎」「応需信一(藤原印) 井手環刀」とある。市川鶴吾郎は役者名だが、これら人物は全て高知の可能性があり、早速『高知県人名事典新版』(高知新聞社 1999年刊)で調べてみた。
 

市川鶴吾郎(事典では鶴五郎 1837~1899)「歌舞伎役者 天保八年の生まれで、大坂に出て修業。門閥でないので出世はできなかったが、腕は確か。…明治十九年、共正会創立のときは会長を補佐する総後見に推された土佐の名優」とある。この共正会は、明治十九年に東京・大阪で末松謙澄が提唱し守田勘弥や市川団十郎も参加して結成された演劇改良会に準じて高知で生まれた会で、指導者は自由民権運動の論客・植木枝盛であった。 
 

藤原信一1846 1930)「浮世絵画家 本名、伊之助。弘化三年生まれ。大阪の人。初め大阪の歌舞伎役者・尾上多見蔵の門人、…師の多見蔵とともに巡業のため高知入り。明治十五年…坂本龍馬を主人公とした小説『汗血千里の駒』の挿絵を描いて評判であった山崎年信に会い、その門人となった」。たちまち上達、年信の後任に選ばれて土陽新聞の挿絵に才筆をふるい、のち黒岩涙香の知遇を得て上京、萬朝報などで挿絵・錦絵を描いた。
 

 こうして役者は高知、絵師は大阪生まれだが、ともに明治二十年当時は高知で活躍中と判明した。版元の前田齢太郎もその住所から高知在住で、この芝居の興行元と思われるが身元の記録は見つからなかった。彫師井手環の人物像は不明だが、この作品は高知で制作された可能性が強くなった。役者絵の専門家である新藤茂氏はじめ研究者は、地方の芝居上演にあわせて役者絵が刊行された事例はこれまで報告がなく、貴重とのことであった。
 
自由民権運動のシンボル

 次は、描かれた場面の解題である。血に染まった刀の下緒を持つ龍馬といえば、龍馬最初の伝記小説『汗血千里の駒』(坂崎紫瀾)の冒頭に登場する「井口村刃傷事件」の名場面である。土佐藩の上士と下士(郷士)の身分差に起因するこの殺傷事件で、龍馬は下士の一員として当事者の身柄引き渡しを断り、切腹で収拾を計る。絵は、切腹した友人の血潮に浸した下緒を手に、封建的身分制度撤廃と新しい国づくりへの決意を新たにする龍馬である。事件解決に龍馬が実際関与していたか、紫瀾の創作か、両論あったが、山田一郎氏が寺田寅彦一族など関係者からの詳細な取材を重ね、大きな役割を果たしていたことを『海援隊遺文―坂本龍馬と長岡謙吉―』(新潮社 1991年刊)で明らかにしている。
 

 作者の坂崎紫瀾は板垣退助の自由民権運動に参画、高知県下での政治演説を禁止されると民権講釈一座の座長として興行、さらに明治十六年一月から土陽新聞に『汗血千里の駒』を連載、途中入獄中断するが九月に完結する。六月には前編が刊行され、植木枝盛の書籍購入録同年の項にも「汗血千里駒第一第二」の購入記録がある。坂崎は、民権運動の活動家で、高知新聞編集長や維新史研究家としても活躍する。『日本社会主義演劇史』(松本克平 筑摩書房 1975年刊)によると、明治十五年岐阜での板垣遭難に際しては、監視期間中の坂崎に代わって同志が事件を脚色し、「東洋自由の曙」と題して高知堀詰座で上演、圧倒的好評を得た。その主役退助を演じたのが市川鶴五郎であった。
 
 この浮世絵が新発見かどうかの確認のため、早大演劇博物館や高知県立坂本龍馬記念館などに問い合わせたが、該当作品は見当たらないとの返事。そこで、高知新聞編集委員(文化担当)の片岡雅文氏に連絡、取材調査をお願いした。その結果、土陽新聞明治二十年六月二十日の記事に、「高知座に於て十二日の夜より

蓋明

(

ふたあ

)

けにて興行する狂言は嘗つて本社新聞にて江湖の喝采を博せし坂本龍馬氏一代記即ち汗血千里の駒の新仕組なれば人気頗る宜しく初日よりの木戸留めは近頃の大当り」とあり、続報で市川鶴五郎が龍馬役、植木枝盛も見物、三十日千秋楽、自由民権運動と関連した上演などが判明、記事となった。

 
 明治二十年は、板垣退助の外遊、自由党の解党などで勢いを失っていた自由民権運動が、旧自由党有力者による三大建白運動(地租軽減・言論集会の自由・外交失策の回復)によって、再度高揚した時期にあたる。その中で、「船中八策」や「藩論」に残された龍馬の民意尊重の思想が評価され、芝居上演、役者絵刊行となったのだ。刊行百二十年後に見つかったこの作品は、貴重な地方役者絵にとどまらず、自由民権運動の当時の熱気を伝え、そのシンボルとしての坂本龍馬の存在を今に印象づける絵画でもある。 
 
「浮世絵芸術155号」より

春章 「見立紫式部」

今年は源氏物語千年紀。
紫式部がその着想を得たのが石山寺。
伝承では、寛弘元年(1004)、紫式部が参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、
「須磨」「明石」の巻の発想を得、寛弘5年(1008)に完成したといわれています。

石山寺の美 
  -観音・紫式部・源氏物語-

が明石に巡回してきました。
そこで思いもかけず出会ったのが、春章の肉筆画、「見立紫式部」。
画像は少し見にくいですが、目の前で見ると非常に細やかな表現が印象的です。
他の土佐派の絵などと比べても遜色ありません。
こういう画題ではむしろふさわしいような気がしました。

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ちょっと高額ですが・・・

書 名 図説「見立」と「やつし」 Htbookcoverimage1_3  
副書名 日本文化の表現技法
シリーズ名  
多巻物書名
原書名
出版社 発行所=八木書店
著 者 国文学研究資料館
税込価格 10,290円(本体9,800円+税)
発行年月 2008年3月
判型 A4
ISBN 9784840696685


書 名 図説江戸大道芸事典 Htbookcoverimage2
副書名
シリーズ名  
多巻物書名
原書名
出版社 発行所=柏書房
著 者 宮尾与男
税込価格 9,240円(本体8,800円+税)
発行年月 2008年3月
判型 A5
ISBN 9784760131563

日本人の芸の原点がここにある。おのれの技と腕を磨き、顔や声だけでなく全身を武器にして、生きていくために編み出された芸の凄みと面白さ。大道芸380種を500余点の図版とともに解説したはじめての事典。

赤坂亀;
梓巫女;
愛宕下の源次;
阿房陀羅経;
あまいだ飴;
飴こ;
飴こかいな;
綾織り;
綾竹;
あやつり〔ほか〕

重文 鈴木家住宅公開

羽後町の鈴木家住宅、2年ぶり公開 国重文、1億円かけ大修理

築300年、浮世絵も展示 20080504e12

羽後町飯沢字先達沢にある築300年以上の古民家で、国の重要文化財に指定されている鈴木家住宅が約2年に及ぶ修復工事を終え、3日から一般公開を再開した。

 鈴木家は、平安末期の武将、源義経の家来鈴木三郎重家が土着して帰農したのが始まりとされ、江戸時代には肝いりを務め、飯沢の大半を占める地主だった。

 住宅は、本屋が1650—1700年の建築とされ、正面左手の入り口部分は1733(享保18)年に増築したという古文書が残っている。1973年に国の重要文化財に指定された。土蔵は大正期に完成した内蔵(座敷蔵)で、94年に追加指定を受けた。現在も第46代当主、杢之助重廣さん(38)=会社員=の一家3人が居住している。

 母屋のかやぶき屋根や土蔵の基礎部分、板塀を補修するなど、総事業費1億390万円の大修理により、往時の姿がよみがえった。住宅内には、地下遺構からの出土品や代々伝わる古文書、陶磁器、漆工芸品、浮世絵なども展示している。

 公開日は6日までと5月10、11日、8月14—18日、11月第1週までの毎月第1土、日曜日。公開時間は午前9時—午後5時。入場料は大人500円、中高生300円。

サンパウロで広重展

広重の富士三十六景=州立博物館で浮世絵展=3日から

 サンパウロ州立博物館(Pinacoteca do Estado)で三日から二十五日まで、

百周年を記念した浮世絵展「広重の富士三十六景(As 36 vistas do Monte Fuji)」が開かれる。日本浮世絵博物館(長野県松本市)が所蔵する江戸期の浮世絵師、歌川広重(安藤広重、一七九七~一八五八)の作品を展示するもので、聖州政府、在サンパウロ日本国総領事館などが後援。
 三日、十日の午後三時から同館内で、日本から来伯した専門家による浮世絵技術の説明会が開かれる。ポ語通訳つき。座席は百四十四席で、一時間前から会場で整理番号を配布する。
 入場料は四レアル(土曜日は無料)。

端午の節句

端午の節句  Castsh8n

Inventarisnummer : 1-4482h
Objectnaam : schildering op Hollands papier Fa. Honig
Afmetingen : 40,2 x 27,7 cm
Datering : voor 1830
Geografie : Tôkyô To / Kantô regio / Honshû / Japan
Cultuur : Japans
オランダ国立民俗博物館

現在浦上記念美術館に巡回中の北斎展より選びました。
その図録では北斎と応為の作と推定されています。
製作年は文政7~9(1824~1826)。
Honing社製の古オランダ紙(高級)。
これまでの北斎にはない西洋の影響を受けた作品の1枚と、説明されています。
何故鯉のぼりの首から上がないのか、オランダ人には理解できない鍾馗像が家紋の幟で隠されているのか、の疑問も呈示されています。
この鍾馗、日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりします。
北斎もよく取り上げており、「端午の節句」と同じく今展観できる「四季耕作図」にも見られます。

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河鍋暁斎の代表作に「狂斎百狂・どふけ百万編」があります。
ここにも鍾馗が描かれています。この絵は風刺画で鍾馗は水戸公、犬は会津、火の首は井伊直弼、頭に蝶は長州など全てが幕末の人物を暗示しています。
上部に小さく書かれた字は「ハム」「ジモ」「クヨ」「ウニ」「○ん」「べく」「くだ」「らめ」「志」「の」「り」「目出」「度」「かしく」あり。
風刺される主人公は五本足の大ダコ。その心は御本丸に骨なし。 (因みに地方の魚市場によっては、今もタコを○印で表します)
残念ながら今京都での展覧会には出品されていません。
しかし「幟鍾馗図」「五月節句図」など見応えのある作品が揃っています。
お奨めの展覧会です。

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蘭字 燐票

今日の浮世絵で広重の「府中 茶摘 名産安部茶」を紹介しました。

明治になって浮世絵師達が関わったものの一つに蘭字、燐書があります。

「蘭字」というのは、お茶の本場・中国から伝わった業界用語で、輸出用の茶箱に貼るラベルのことです。

また同じようにマッチのラベルが燐票です。

いわばグラフィックデザインのはしりです。

四日市印刷工業株式会社

http://www.y-pf.co.jp/epoch_ranji.htm

株式会社 西野商店

http://www.meicha.co.jp/otakara.html

清水港湾事務所

http://www.shimizu.pa.cbr.mlit.go.jp/kouhoushi/bays03/01.html

マッチラベルの世界 たばこと塩の博物館

http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventOct04/

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