2016年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

鍵屋あ~

「橋の上、玉屋、玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋と言わぬ情(じょう=錠)なし」

Sc162827fpxobjiip1_2

東都両国橋

川開き繁栄図

三代歌川豊国

旧暦5月28日は両国川開き。今年は7月1日。                         事の起こりになったのは、享保17(1732)年に起こった大飢饉だったとか。この年、西日本一帯で、いなごの大群が発生するなど全国的な凶作となったほか、江戸市中にコロリ(コレラ)が流行して多くの死者を出した。これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は、翌享保18年5月28日にその尉霊と悪病退散を祈って、隅田川において水神祭を挙行したのが始まりだとか。 今、堤通にある隅田川神社です。                                           川開きといえば花火。その時の花火の数は20発程だったとか。私は平和ボケして江戸の花火が大層な物と思っていましたが、当時の江戸では制約が多く、むしろ他国の方が凄いとは『甲子夜話』の松浦静山の話。例えば相模国(神奈川県)の仕掛花火の「富士の巻狩」。数丈もの長さの松の木が朝日の仕掛けで、そこから山の形が現れ、麓(ふもと)に人馬や獣が走る様子を幻出(げんしゅつ)する巧みさには驚くほかないとあります。

話を戻して川開きを取り仕切った花火師が鍵屋。初代弥兵衛が大和篠原村から江戸に出て、日本橋横山町で店を開いたのが萬治二年(1659年) 。ち ょうど大川(隅田川)に両国橋が架けられたまさにその年の事でした。そしてその年にはもう御本丸御用達の看板を揚げるほどだったようです。よほど評判がよかったものと見えます。代々の弥兵衛はその後も大型花火の実験を重ね、より大きく、より高く上がる花火の開発を続けました。58年後の享保2年(1717)には水神祭りの夜に献上花火の打ち上げにも成功。これが、両国の川開き花火の先鞭をつけることになったようです。

当時の花火の様子を、随筆『柴の1本』 には「しだれ柳に大桜、天下泰平文字うつり、流星、玉火に牡丹や蝶や葡萄に火車や是は仕出しの大からくり、提灯、立傘御覧ぜよとあり、様々な花火の名前が挙がりますが、まだまだ「立火」と「仕掛け花火」が中心だったようです。火薬の成分も硝石、硫黄、木炭の三味だけで色変わりもなく、変化にも乏しかったようです。硝石を使うと1700℃までしかならず、発色は困難だとか。          

現在のような打ち上げ花火が初めて記録に登場するのは前出の『甲子夜話』に載った花火番付。一番 流星 柳火、二番 打出し 群光星、三番 流星 武蔵野と70番まで続きます。その12番目に登場するのが  十二番 打揚げ 。享和4年(1804年)のこと。流星と云うのは初期の打ち上げ花火で、円筒形の花火本体に推進用の火薬が入っていて、点火すると自力で空中に飛び上がるロケット式だった。安定を良くするため後部に長い棒をつけてあるので真っ直ぐに上昇し、推力がなくなると落ちて来る。夜空に火の放物線を描くだけだが、当時としては最新の技術でした。

084_6 今のような色鮮やかな花火は明治22年(1889)2月11日まで待たねばならなかったようです。この日、日本は大日本帝国憲法を発布。フルカラーの花火は、その祝賀行事の夜のメインイベントとして皇居の二重橋から打ち上げられました。

東京十二月之内 七月 両国橋之納涼

尾竹国一                             

1901年

蒲原

Photo_2 ミネアポリス美術館

広重の東海道五十三次 保永堂版はロングセラーだったようで、様々な摺りが見られるようです。絵師の製作意図が解る初摺りは画面上部に一文字に施した墨の天ぼかし。 後、摺り師の意向を反映した地ぼかしがあります。

Photo_3 シカゴ美術館

Photo_4 山口県立浦上記念

Photo_6 国会図書館

虎が雨

W0000064 祐成出立の図                          虎御前                              二代豊国

 6月28日は一年で最も雨になる確率が高い日。                        昔の人もそんな事を実感して名づけたのでしょうか、旧暦5月28日今頃の雨を「虎御前の涙雨」と言います。 日本三仇討ちの一つ曽我兄弟の仇討ちで、亡き父の仇を討つも新田忠常に殺された、曾我十郎を偲んで泣く遊女虎女の様です。「一富士二鷹三なすび」は初夢だけではなく仇討ちにも言われます。曾我兄弟の仇討ちは富士の裾野でしたので一富士。

Sc163284fpxobjiip1 広重の作品にずばり「虎が雨」と題した作品があります。

「東海道五十三次 大磯」です。雨はもちろん、右隅に雨よけの合羽を着た馬上にいる人物も描かれています。虎御前が十郎から形見にもらった小袖と鞍を思い出させます。また、宿場境や距離の基準点を示す傍示杭も描かれており、その手前が化粧(けわい)坂、虎女が化粧に使った井戸も近いようです。現代人は遊女というと江戸時代の零落した女性が行き着く暗くマイナスなイメージを強く持ちますがが、室町時代以前の遊女はむしろ知識人であり歌舞などの技芸を厳しく長者と言われる元締めのような存在の女性から躾けられ、時には教養も身につけた女性たちで、神聖な存在として巫女の代わりをするようなこともあったようです。 遊女が自らの性で商売するだけの存在になったは戦国時代以降でしょうか。
そのほか宿場入り口の柵は江戸見付、反対側は上方見付。                松林の向こうは万葉集にも詠まれた小余綾(こゆるぎ)の磯。

大磯の観光協会の絵はがきにも「虎が雨セット」があります。

E_toraga_2 
    

国宝 法隆寺金堂展

【飛鳥の美】「国宝 法隆寺金堂展」開幕から1週間
                           アサヒコム2008年6月21日

Osk200806210079  奈良国立博物館で開催中の「国宝 法隆寺金堂展」が開幕から1週間を迎えた。日本最古の四天王像をはじめ、天蓋(てんがい)や台座など国宝8点、重要文化財7点を一堂に展示。会場は連日大勢の人でにぎわっている。

 

Osk200806210080 金堂の内部を可能な限り再現した会場には荘厳な雰囲気がただよう。思わず仏像の前で手を合わせる姿もみられるほどだ。実際の金堂内は薄暗くてよく見えないが、本展ではスポットライトで美しく浮かび上がった仏像を前後左右から間近に見ることができる。
 7月1日からは広目天、多聞天に加え、増長天、持国天が展示される。四天王像4体が初めて寺外でそろい、鑑賞の絶好の機会となる。
 会場の左右両面を彩る12面の再現壁画も見どころの一つだ。7世紀末から8世紀初めに描かれた壁画は1949(昭和24)年の火災で焼損し、当時の日本画の巨匠・安田靫彦(ゆきひこ)、前田青邨(せいそん)両氏らにより再現された。縦3メートルを超える壁画に圧倒され、息をのむ人も多い。

Osk200806210081

不比等示す木簡

藤原京跡で不比等示す木簡、邸宅の存在裏付け

2008062330281291l 奈良県橿原市の藤原京(694~710年)跡で出土した木簡に、右大臣を意味する「

」との文字が書かれていたことが奈良文化財研究所の調査で分かった。

 当時の有力政治家、藤原

(659~720年)とみられる。藤原京内で不比等にかかわる木簡が見つかったのは初めて。

 木簡は縦24・1センチ、横2・5センチ。同研究所が1979~80年に行った発掘調査で、藤原京の中にある藤原宮の12の門のうち、東側の一番北にある門跡近くの溝から出土した。

 P080624c 同研究所の

・主任研究員が赤外線写真で分析した結果、「右大殿荷八」と書かれていることが判明。宮内から、右大臣邸に八つの荷物を運ぶ際、門で外された荷札とみられる。

 荷物を運び出す際には、邸に近い門を使用したと考えられることから、不比等邸が藤原宮の東か北東にあったと推定できる。平安時代の文献に、不比等邸を「城東第」と記され、宮の東にあったとしていることを裏付けるという。

 不比等は日本最初の法典・大宝律令制定を主導し、平城遷都を進めた。

(2008年6月23日14時35分  読売新聞)
木簡写真は奈良新聞より

市大樹(いちひろき)

不比等(ふひと)

右大殿(みぎのおおとの)

歌川広重・渓斉英泉筆、「木曽街道六拾九次」

Kisokaido

Hiroshige Eisen
The Sixty-Nine Stations of the Kisokaido

September 2008
Hardback, 10 x 14 1⁄2 in.
160 pages, 71 full-color images
ISBN 13: 978-0-8076-1593-5

Reproduced from the finest surviving edition of a rare manuscript, The Sixty-Nine Stations of the Kisokaido brings Hiroshige and Eisen’s portrait of daily life in 19th century Japan to Western audiences for the first time. Each of the seventy-one images teems with unique characters, from beggars and brawling men to boaters and finely clothed women. Behind these travelers loom castles, cities, powerful waterfalls and many other sites familiar to lovers of Japanese history. Comments by Sebastian Izzard, Ph.D., accompany each image, not only providing insight into their subject matter, but also discussing their survival during the dramatic social shifts and economic hardship of Hiroshige and Eisen’s time. This book tells the story of a landmark, two immortal artists, and an enduring masterpiece.

This new book on the Kisokaido is a welcome addition to our knowledge and appreciation not only of Japanese art, of which these prints are splendid examples, but of Japanese culture itself, since we see so many manifestations of traditional Japan so beautifully rendered and reproduced here.

- Stephen Addiss
University of Richmond
Author of
Japanese Ghosts and Demons
and Mountains of the Heart

法隆寺、広目天像

無表情の四天王、赤外線当てたら武人顔が 法隆寺金堂

Osk200806130090  奈良県斑鳩町の法隆寺・金堂(国宝)内にある日本最古の四天王立像(同、7世紀中ごろ)のうち、広目天像を奈良国立博物館(奈良市)が赤外線撮影したところ、眉やひげなどの墨線がくっきりと浮かび上がった。彩色の風化や剥落(はくらく)で無表情のように見えていたが、きりりとした武人の顔をしていた。表情の特徴などから当時の中国の武人を模した可能性もある。

 広目天像は高さ約1.33メートル。細い眉は険しくつりあがり、目を大きく見開く。口元とあごには、ねじれの利いたひげがあった。ひげをたくわえた姿は中国・秦始皇帝陵の兵馬俑(へいばよう)などに見られる武官像によく似ている。

Osk200806140007  四天王は仏教世界の東西南北を守る護法の神で、広目天は西方守護。光背の銘文から、渡来系氏族・東漢(やまとのあや)氏である「山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)」らが造ったとみられる。

 広目天像と多聞天像は、14日に同館で開幕する「国宝 法隆寺金堂展」で公開される(7月1日からは4体すべてを展示する)。

アサヒコム2008年6月14日8時14分

「日本古代木簡字典」

Acd0806172224007p1 奈良文化財研究所

(奈良市)が、平城宮跡(同)から出土した木簡の文字を採録し編集した「日本古代木簡字典」を近く出版する。国内の古代木簡からサンプルをとった字典は初めて。携帯サイズなので使いやすく、研究者だけでなく学生や古代史愛好家にも人気を呼びそうだ。

 木簡の文字は、崩していたり、消えかかっていたりして解読困難なケースが多い。平城宮跡で昭和38年に出土した1785点におよぶ木簡(重要文化財)は、解読して報告書を出すまでに6年ほどかかった。

 同研究所では従来、中国の碑文からとった文字の字典を使うなどしていたが、載っていない字があったり、字体が微妙に異なることもあり、国内の木簡の文字を採録した字典の編集を求める声が多かった。パソコンを使ったデータベースはあったが、持ち運びできないのが難点だった。

 今回の字典では、平城宮跡で出土した木簡の写真をデジタル化して画像を処理。約1000種、5000字を収録しており、画数と部首から文字を探せる。

 さまざまな字体がある文字についても、多彩な実例を示すことで探しやすいように工夫。「国」については140の字体を示しているほか、「郡」「郷」などについても数多くのパターンを網羅し、関連の年号や地名なども載せている。

 同研究所の馬場基研究員は「研究者に役立つだけでなく、発掘現場の現地説明会に来る人にとっても1冊あれば楽しみが増えると思う」と話している。

 八木書店(東京)から20日ごろに発刊される。B6判で約200ページ、税込みで2310円。問い合わせは同社((電)03・3291・2961)へ。

サンケイ新聞 6月17日

K_img_render 奈文研は古代の文字を素早く解読するため、05年2月から木簡の文字画像をインターネット上で検索できるWeb版「木簡字典」を公開中。「外でも使える紙媒体の字典を」との要望があり、昨年8月から書籍版の作成に取りかかった。

 字典の文字は、奈文研が発刊した「平城宮木簡1~6」に記された木簡約1万2千点から収録。約1千種だが、同じ字でも崩し字などいろんな型があるため、最終的な字数は約5千字にもなった。

 研究者らの間で字典の作成は十数年以上前からの悲願だったが、木簡が傷ついていたり墨が薄れていたりして判読が難しい字が多く、作業は困難を極めた。それを可能にしたのがデジタル技術。デジタルカメラで木簡を撮影し、字が不鮮明なものはコンピューターで画像加工を施した。字の筆先まで鮮明に分かるようにノイズ処理に時間をかけたが、現存する字そのものを見てもらうため、墨を加えたりはしていないという。

 作業中に研究者を驚かせたのは、文字それぞれの癖や筆順。「丁寧語であるはずの『御』という字でさえ40種類近くあり、敬っているようには見えない乱雑な字が多くある。古代の人はよほど大胆だったのだろうか」。奈文研の馬場基研究員(35)は何度もそう感じたという。「地域による字の癖もあるかもしれないし、非常に興味深いテーマです」

朝日新聞 6月13日

琉球八景

Sc143113fpxobjiip1 「琉球八景 長虹秋霽」

北斎

Cyokotei1_2 北斎が琉球に渡った記録はありません。では「琉球八景」が描かれたいきさつは。

                                   1756年、中国からの使節団一行が琉球に向かう途中、久米島沖で難破しました。島民が使節団を救助しやがて使節団は無事琉球に到着し、その後中国へ帰国。後に、その報告書が「琉球国志略」としてまとめられました。75年後それが江戸にも届き、北斎の目の触れるところとなり、8枚の絵となったようです。琉球に雪を降らせたり、富士山を書き加えたりと見る者を楽しませるようにしています。実際読者も種本と絵を見比べながら楽しんだそうです。

モノレール「美栄橋駅」前に「新修美栄橋碑」があり、長虹秋霽の謂れが説明されています。「いにしえの那覇は浮島と呼ばれる島であったため、首里との交通は不便だった。そこで尚金福王は、1452(景泰3)年、冊封使を迎えるにあたり、国相・ 懐機(かいき)に命じて崇元寺前からイベガマ(現松山1丁目タマキ屋米店駐車場付近)に至る約1kmの「長虹堤」という海中道路を築かせた。「長虹堤」には3つの橋が架けられたといわれ、美栄橋はそのうちの一つ。那覇が発展していくに従い、美栄橋は手狭になり、さらに上流からの土砂が橋の付近にたまって浅くなってしまう。そのため、川を浚(さら)え、橋を架け替えることになり、1735(康正13)年10月8日に着工、翌年2月6日に竣工した」。

Sc157670fpxobjiip1 P32

今日6月23日は沖縄慰霊の日。かって摩文仁の丘など戦跡を訪れた時は、手を合わさずにはおられませんでした。沖縄最後の官選知事は島田叡氏。戦争末期で誰もが避けた沖縄県知事を「県民の生命、県土の一木一草にも責任を持つ」と進んで引き受け、県民の食糧確保や疎開などに奔走されたそうです。米軍上陸後も壕(ごう)の中で執務を続け、六月中旬に摩文仁の洞窟(どうくつ)で亡くなったとみられています。

合掌

クリスティーズ

Chrisite1as この24日のクリスティーズのオークション。
モネの睡蓮が出品されます。
評価額は($35,316,000 - $47,088,000) 。

見応えのある作品が並んでいます。
http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=21520#action=paging&intSaleID=21520&sid=1cddedee-6f55-4a13-a49e-392e7d97598c&pg=1

他出品数
Picasso, Pablo (1881-1973) (5)
Bonnard, Pierre (1867-1947) (5)
Matisse, Henri (1869-1954) (5)
Miró, Joan (1893-1983) (4)
Schiele, Egon (1890-1918) (4)
Degas, Edgar (1834-1917) (4)
Chagall, Marc (1887-1985) (3)
Kandinsky, Wassily (1866-1944) (3)
Monet, Claude (1840-1926) (3)
Pissarro, Camille (1830-1903) (3)
Renoir, Pierre-Auguste (1841-1919) (3)
Moore, Henry (1898-1986) (2)
Soutine, Chaim (1893-1943) (2)
de Toulouse-Lautrec, Henri (1864-1901) (2)

ボストン美術館 浮世絵名品展内覧会

「ボストン美術館 浮世絵名品展」開会式・内覧会にペアで20名様ご招待

西日本新聞社では福岡市美術館などと共に、7月12日(土)から福岡市美術館(福岡市中央区大濠公園)で「ボストン美術館 浮世絵名品展」を開催します。

西日本新聞読者プラザPar:Qではこの「ボストン美術館 浮世絵名品展」の開幕に先立って、11日(金)におこなわれる開会式・内覧会にPar:Qに利用登録された方の中から抽選で10名様(ペア20名様)をご招待します。

 ボストン美術館には5万点にものぼる浮世絵版画、多くの版本・肉筆画が収蔵されており、そのコレクションは質量ともに世界一の規模と評価されています。
 今回は膨大な収蔵品から初期浮世絵版画の誕生から幕末までの展開を、版画に肉筆、画稿、版本を加えて紹介します。「浮世絵史の教科書」ともいうべき作品群をお楽しみいただけます。

是非、一般の方に先がけて鈴木春信や鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重らの名作をご堪能ください。

 お申し込みの受付は6月30日(月)までです。
「ボストン美術館 浮世絵名品展」開会式・内覧会ご招待企画へのお申し込みはこちら(クリック)。
 ※お申し込みには読者プラザPar:Qへの利用登録が必要です。
  読者プラザPar:Qへの利用登録はこちら(クリック)。


 《 開会式・内覧会 》

 ■日 時:平成20年7月11日(金)午後5時
 ■会 場:福岡市美術館2F 特別展示室A 会場前
      福岡市中央区大濠公園1-6   


 《 ボストン美術館 浮世絵名品展 》

 ■会 期 :平成20年7月12日(土)~8月31日(日)
 ■開館時間:9時30分~19時30分
       ※但し日曜日、祝日は17時30分閉館
 ■休館日 :月曜日
       ※7月21日(月・祝)は開館し、7月22日(火)は休館。
 ■会 場 :福岡市美術館
       (福岡市中央区大濠公園1-6)

バルセロナ

46_ukiyoe_2 BARCELONA - On 16 de June the exhibition Ukiyo-e, images of an ephemeral world. Eighteenth and nineteenth century Japanese prints from the Bibliothèque Nationale de France, opened to the public in the Exhibition Hall of La Pedrera on 17 of June until 14 of September 2008. The press conference was attended by Gisèle Lambert and Jocelyn Bouquillard, honorary chief curator and curator respectively, of the Print and Photographic Department of the Bibliothèque Nationale de France (BNF).

The exhibition includes more than one hundred prints from the BNF's Département des Estampes collection by such representative authors as Harunobu, Kiyonaga, Utamaro, Hokusai or Hiroshige, and is divided into five thematic sections: theatre, female beauty, parody, eroticism and landscape.

27_ukiyoe The ukiyo-e are xylographs made in Japan between the eighteenth and nineteenth centuries that began to reach Europe during the first decade of 1860, as a result of the trade and cultural exchanges following more than two centuries of isolation and protectionism in Japan. These works captivated French collectors and artists, immersed in an anti-academia mood and the spirit of experimentation of the prevailing impressionism and symbolism in Europe. With this exhibition, the Fundació Caixa Catalunya aims to penetrate the world of the ukiyo-e, a reflection of the illusory and fleeting nature of everyday life's immediate pleasures in the Japan of the Edo period (1603-1868).

Theatre and sumo, female beauty, parody, eroticism, flora and fauna and the landscape are some of the subjects, a reflection of the ephemeral worldly life in contrast with the immutable and sacred world. Whether in the eighteenth century with Harunobu and Utamaro, or in the nineteenth with Hokusai or Hiroshige, the Japanese world takes on the appearance of a frail and highly exquisite spectacle.

This project is a co-production of the Fundació Caixa Catalunya and the Bibliothèque Nationale de France in Paris, which will host this exhibition from 17 November 2008 to 15 February 2009 at the Mazarine Gallery and the crypt of the Richelieu space.

A catalogue accompanying the exhibition will be published in Catalan, Spanish and French and will include reproductions of the works on display, articles by the curators, Gisèle Lambert and Jocelyn Bouquillard, and texts by Christophe Marquet and Keiko Kosugi.

Sweet Briar College

Sweet Briar College
http://www.artgallery.sbc.edu/ukiyoe/index.html

バージニア州にある大学です。

羨ましい限りの施設ですね。

Banner_campus_arts 

水売り

Mia_46390e 水売り

鈴木春信

「壺算」という落語があります。二荷入りの水がめを買いたい少し間抜けな主人公。買い物上手な兄貴分に応援を頼みます。兄貴分は何故かまず3円50銭の一荷入りの水がめを3円に値切って買います。一旦店を出て後間違えていたと今度は二荷入りの水がめを注文。二荷入りの壺は一荷入りの倍だから6円。うまく1円値切りました。そして支払った金が3円、3円の一荷入りの壺を引き取ってもらうから併せて6円、と話を付けようとする噺です。          「壺算」はもともとは建築関係の「坪算」。坪数を誤ることを云い、これが転じて商取引で先手を打たれて不利になる事、勘定あって銭足らずなどを意味するようになった。

江戸の下町は埋立地で浅井戸は塩分が多いため、生活用水はいわゆる水道井戸に頼っていました。その一つを担ったのが羽村の取水堰で多摩川の水を取り入れた玉川上水。四谷の水番所まで43km、標高差92m。すなはち1メートル当り2ミリの勾配という技術の高さ。その玉川上水が完成したのが1654年6月20日です。

その水道井戸も清潔さと味で今一だった。そこで飲用にはもっぱら天秤棒で商う水屋から買っていました。荷入りは水の量のいわば単位、画像のように前後2桶約4斗72リットル。 これで4文。江戸っ子が「1荷4文の水道水で産湯をつかかった」と啖呵を切るのはこれです。  「水や、よろしゅう」と声を出しながら売り歩き、留守中に補充したりとサービスもよかったとか。生活必需品のため休みはとれず 、80kgを担いで4文とは重労働ですね。儲けが薄いせいか上方の水屋は副業を持っていたとか。それが何故か葬儀屋です。そして多くの屋号は水熊、今でも大阪の東成区にあります。

Photo これとは別に、夏遠い水源で汲まれた冷たい水に砂糖. と寒ざらしの白玉が入ったものが売られていました。

香蝶楼国貞画                                           「俳優見立夏商人」水売り

福珠園輝人 なまぬるい役者のきもをひやさせむ            うつ巻瀧の氷水売り

新刊情報

Htbookcoverimage6_2 書 名 浮世絵史概説
副書名 フェノロサ厳選20木版画による浮世絵史観
原書名 An outline of the history of Ukiyo-ye.
出版社 発行所=新生出版(港区)
著 者 アーネスト・フランシスコ・フェノローサ 高嶋良二
税込価格 1,155円(本体1,100円+税)
発行年月 2008年1月
判型 B6
ISBN 9784861282508
フェノロサ没後100年の今なお燦然と輝きを放つ浮世絵師たちの歴史。岩佐又兵衛から広重まで20人の絵師が描く珠玉の精神を“フェノロサ美学”で読み解こう。

日本美術の五大史的区分;
徳川時代の八流派と浮世絵の画題;
浮世絵文化の表現形式と三様式;
浮世絵の影響と進歩;
土佐派・狩野派と岩佐又兵衛(一五七八‐一六五〇);
初期浮世絵と菱川師宣(一六一八?‐一六九四);
肉筆浮世絵と宮川長春(一六八二‐一七五二);
鳥居派と役者絵;
初期の判型と摺;
鳥居清信(一六六四‐一七二九?)と奥村政信(一六八六‐一七六四);
鳥居清満(一七三五‐一七八五)と宮川春水(作画期一七四〇‐一七七〇頃);
錦絵と鈴木春信(一七二五?‐一七七〇);
勝川春章(一七二九‐一七九二)と一筆斎文調(春章と同時代);
浮世絵黄金期の鳥居清長(一七五二‐一八一五);
清長の信奉者たち;
過渡期の喜多川歌麿(一七五三?‐一八〇六);
葛飾北斎(一七六〇‐一八四九)と歌川豊国(一七六九‐一八二五);
後期浮世絵と歌川広重(一七九七‐一八五八)



27016 公文浮世絵コレクション
江戸子ども百景
小林 忠 監修
中城 正堯 編

定価2,940円(本体2,800円)
ISBN 978-4-309-27016-6 ● Cコード 0071
凧あげ、双六から鉦太鼓、からくり玩具まで、世界にも類をみない江戸の遊び文化。さらに列島のすみずみにまで誕生した読み、書き、算盤の手習い塾の風景。子どもの楽園、子どものあるべき姿が見えてくる浮世絵集成第二弾!

Seia0806a 江戸編年事典  新装版
 稲垣史生編
江戸の社会・経済ぜんたい、犯罪、心中、自然災害など、年ごとの編年方式「江戸庶民年代史」。天正~元和期、寛永~慶安期、元禄前後、享保~寛保期、延享~天明期、寛政~文政期、天保~慶応期に大別。女郎の買い方・化粧の仕方・恋文の書き方など「実用江戸風俗帳」が附録。 新装版。

四六判二段組 684頁   
ISBN978-4-7905-0502-0
本体価格 5700円

幽霊が怖くってコハダが食えるか!

Sc145735fpxobjiip1_2百物語 こはだ小平次

北斎

歌舞伎座六月大歌舞伎の「生きている小平次」、幕が上がると一面が青い沼のシーン。それだけで拍手が来たことを覚えているとは、21年振りに主演している松本幸四郎。 「これからの歌舞伎を示唆する作品」ともインタビューに答えています。

M24202702_2 その「生きている小平次」は大正一三年(1924)の鈴木泉三郎作ですが、享保3年(1718)戯作者、山東京伝が『小幡小平次死霊物語 復讐奇談安積沼(こはだこへいじしりょうものがたり ふくしゅうきだんあさかのぬま)』を著しこれが読本として人気になったところから、小平次ものの芝居や講談が次々生まれ、江戸の人々には非常にポピュラーな幽霊となっていたようです。安政六年(1859)には河竹黙阿弥の「小幡怪異雨古沼」があります。主人公小幡小平次は、三角関係のもつれから殺され安積(あさか)の沼に沈められた旅役者。その殺したはずの小平次が訪ねてくる、ひょっとすると生きている・・・。疑心暗鬼がもたらす恐怖を味わえます。

「小幡小平次」 三代豊国                                     外題 「小幡怪異雨古沼」                                     小平次 四世市川 小団次

そして強がる江戸っ子が吐くセリフが「幽霊が怖くってコハダが食えるか」。

江戸落語では小平次の師匠も登場させます。その名もこのしろ伝兵衛。                             

伊蘇普物語

0507_1

「通俗伊蘇普物語」 渡部温訳

挿絵を藤沢梅南榊篁邨と共に河鍋狂斎が担当。

Jgmweb_2 イソップ物語は日本では1593年にラテン語から翻訳

された、「イソポのハブラス」として紹介されたのが最初。

その後江戸時代に各種の「伊曾保物語」が出版されています。

そして明治になり渡部温が英語から翻訳した

「通俗伊蘇普物語」がベストセラーになり、

修身の教科書にも採用され広く親しまれるようになりました。

Hokusai_105_3 「アリとキリギリス」は見当たらないので北斎の「あやめときりぎりす」。

江戸時代、吉原へ通う二挺だての屋形船を櫓のきしむ音からきりぎりすといったそ

うです。大津絵にはこんな俗曲も

♪きりぎりす 時節とて 虫売り 女衒(ぜげん)の手にかかり
    江戸町々をかごに乗り 売られて買われて 身も細る
     ほんに 思えば 苦の世界 きうり切られて 勤めの身
    親たちゃ 草葉の陰で泣く 思い切れ切れ きりぎりす
     屋敷では 軒に吊られて 泣き暮らす
      ままになるなら 飛んでゆきたや 草の宿

一秒の言葉

Hachimanshrinefukagawa   「はじめまして」

この一秒ほどの短い言葉に、

一生のときめきを感じることがある。

「ありがとう」

この一秒ほどの短い言葉に、/

人のやさしさを知ることがある。               「江戸名所 深川八幡宮」
                                    広重

小泉吉宏

Sc190340fpxobjiip1 23年前一度だけ放映された幻のCMがこの10日、各民放で1回だけ復活するとか。

時の記念日のSEIKOのコマーシャルです。

江戸時代庶民に時を告げたのは鐘。

上野、浅草、芝切通しなど9ケ所の鐘が幕府に公認されていました。

「浮かれ浮かるる脚の下、撞き出す鐘は浅草か、雲の上野の明け六つに・・・」

清元「流星」

これらの鐘が聞こえる範囲に住んでいる武家、町人からは鐘撞料が徴収されたそうです。間口一間について年三文。

Sc183346fpxobjiip1 先日のNHK「新日曜美術館」では歌麿の「青楼十二刻続」が紹介されていました。吉原の一日をを刻にあわせて捉えています。絵師として吉原に自由に出入りできた歌麿は、女性がふとした一瞬に見せる仕草や表情に美しさを見出します。

画題に柱時計があしらわれていますが、吉原の刻を告げたのは深川八幡の鐘(公認9ケ所には入っていない)でした。さすがにこの鐘撞料は吉原がすべて負担したようです。

「青楼十二時 続 巳ノ刻」

スタンダール「赤と黒」 新訳めぐり対立

          「誤訳博覧会」「些末な論争」    6月8日12時24分配信 産経新聞

「まるで誤訳博覧会」-。光文社古典新訳文庫から昨年刊行されたスタンダールの『赤と黒』について、誤訳が数百カ所にのぼり、全面的な改訳が必要だと批判する書評が、スタンダールを研究する専門家でつくる日本スタンダール研究会の会報に掲載された。
新訳文庫の訳者は東京大学大学院准教授の野崎歓氏で、これを手厳しく批判したのは立命館大学教授の下川茂氏。
 「『赤と黒』の新訳について」と題した下川氏の書評は「前代未聞の欠陥翻訳で、日本におけるスタンダール受容史・研究史に載せることも憚(はばか)られる駄本」と同書を断じ、「訳し忘れ、改行の無視、原文にない改行、簡単な名詞の誤りといった、不注意による単純なミスから、単語・成句の意味の誤解、時制の理解不足によるものまで誤訳の種類も多種多様であり、まるで誤訳博覧会」と書いた上で、「生まれてこのかた」という成句になっている「Delavie」を「人生上の問題について」とするなどの具体例も列挙している。
 また、今年3月15日付で発行された同書の第3刷で19カ所が訂正されたことについて、「2月末に誤訳個所のリストの一部が(訳者に)伝わっている。そこで指摘された箇所だけを訂正したものと思われる」と指摘。改版とせずに、初版第3刷として訂正したことを「隠蔽(いんぺい)」だと非難している。
 産経新聞の取材に下川氏は「野崎氏に会報と絶版を勧告する文書を郵送しました。学者としての良心がおありなら、いったん絶版にしたうえで全面的に改訳すべきだと思います」と語った。
 一方、光文社文芸編集部の駒井稔編集長は「『赤と黒』につきましては、読者からの反応はほとんどすべてが好意的ですし、読みやすく瑞々しい新訳でスタンダールの魅力がわかったという喜びの声だけが届いております。当編集部としましては些末な誤訳論争に与(くみ)する気はまったくありません。もし野崎先生の訳に異論がおありなら、ご自分で新訳をなさったらいかがかというのが、正直な気持ちです」と文書でコメントした。

本は読まずに編集長のコメントだけをみての意見。

19ケ所訂正など些末なこと事をせず題名を「盗作赤と黒」にすれば簡単なのに。

はたして光文社に古典をシリーズ化できるようなスタッフが揃っているのか?

http://recruit.kobunsha.com/2008/document/document01.html

遺跡に見る江戸

6月6日付けDaily Yomiuri に、地下鉄工事に伴なって行われている発掘の様子が書かれています。発掘面積は5000エーカー(約2000ha)にも及ぶとか。江戸時代の生活ぶりを伺える食器等が出ているようです。豊島区教育委員会はその成果の発表をなるべく早く行ないたいようです。

Subway line rare archeological opportunity
http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/arts/20080606TDY14001.htm

NPOとしま遺跡調査会

http://www.toshima-iseki.org/

「江戸時代研究の休み時間」 

東京遺跡情報2000

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/index.html

江戸遺跡会会報(東京大学本郷構内の遺跡)

http://ao.jpn.org/edo/cyber/2002/edk88.pdf

国宝に真贋論争

 20080605019jd_2 国宝常長像、真贋いかに 学界巻き込み論争

仙台市博物館が所蔵する国宝の肖像画「支倉常長像」をめぐり、真贋(しんがん)論争が起きている。青森中央学院大(青森市)の大泉光一教授(日欧交渉史)が「博物館の現存画は模写」と偽物説を打ち出し、博物館の浜田直嗣前館長が「現存画が本物なのは史実的に明らか」と反論。学界を巻き込んだ議論に発展している。

 大泉氏は、現存画は本物が1900年前後に東京美術学校(現東京芸大)に預けられた際、同校出身の画家黒田清輝、北連蔵、児島虎次郎のいずれかによって模写され、本物と入れ替わったと20080605020jd_2 する仮説を唱える。
  本物は処分され、現存する史料では、明治政府の指令で慶長遣欧使節を調べた平井希昌の著「欧南遣使考」(1876年)に載っている別の模写が、時代考証で正しく、本物を忠実に再現していると考察する。

 大泉氏は、この模写で常長の顔がやつれていることに着目。本物は常長が渡欧中に描写されたとされることから、「当時、常長は長旅で体調を崩していた。本物もやつれた顔で描かれたとみられ、模写の信頼性を高める」と論じる。
 現存画はその点、顔が端正に描かれ、不自然だと主張。「欧化を進める明治政府と、戊辰戦争の敗北から立ち直るために英雄を祭り上げたい仙台藩の意を受け、画家が顔を意図的に整えて模写した」と推論している。

 大泉氏は著書で持論を展開し、2006年度に和辻哲郎文化賞を受けた。新説を加えた新著を今月に出す。国際日本文化研究センター(京都市)の山折哲雄前所長も「多くの史料を読み込み、通説を打破した」と評価している。

 一方、浜田氏は今年3月発行の博物館の研究報告書で反論した。欧南遣使考の模写で常長の顔がやつれていることについて、「模写が上手でなく、正確に描写できなかった」とみる。明治中期―昭和初期に本物を撮影したとされる写真を系統的に並べ、「どれも現存画と同様に整った顔をしていて、現存画が本物である裏付けになっている」と指摘。「大泉氏の説は憶測から抜け出ていない」と結論づけている。

 東大の五野井隆史名誉教授(キリシタン史)は「現存画は一部修復されたが、大規模な改作があったとは考えられない」と本物説を支持する。
 文化庁は「真贋論争が起きていることは聞いているが、国宝指定を見直す議論に発展しているとは考えていない」と話している。

[支倉常長像] 縦80.8センチ、横64.5センチ。常長が慶長遣欧使節の一員として渡欧中の1615年ごろにスペインかイタリアのローマで描かれ、日本人を描写した最古の油彩画とされる。常長は20年に画を持って帰国したが、禁教令によって仙台藩に没収された。明治以降、所有権が宮城県から伊達家に移るなどし、1964年に仙台市が買い取った。2001年、他の慶長遣欧使節関連資料とともに国宝に指定された。

河北新報2008年06月06日金曜日

ニュージランドの浮世絵展

7bea124e8f2d0cb52d41f92dad762d262d9 Hail Falls Noisily on Bamboo Leaves
Japanese Prints
from the Dunedin Public Art Gallery Collection (New Zealand)

2008.5.31~2009.4.12

関連記事

http://www.odt.co.nz/entertainment/arts/8444/current-exhibitions-challenge-western-perceptions-art

菖蒲

Sc153603fpxobjiip1

三代坂田半五郎の藤川水右衛門

写楽

入梅。鬱陶しい日々が続きそうです。

そんな気分を紛らわせてくれ、雨が似合う花の一つが菖蒲。

「六日の菖蒲」は?かも知れませんが、6月の菖蒲は!なのでは。

先日の東京新聞にも、伊勢原あやめの里など各地の菖蒲祭が紹介されていました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/amuse/flower/CK2008052902013392.html

その中でも江戸の切花の生産地だった堀切村の百姓伊左衛門が始めた

100_views_edo_056 堀切菖蒲園がその発祥だとか。

菖蒲はその種類のなんと多い事、そして素人には見分けがつきません。

菖蒲の品種改良にも江戸文化の豊かさが感じられます。

最近、菖蒲といいますと花弁の垂れた姿を思い浮かべますが、江戸後期には花弁が垂れず水平に、またはやや抱え気味に開く、「平咲き」や「受け咲き」と呼ばれる品種が現われ人気を集めました。なるほど広重の江戸百もそうです。

江戸っ子の好む粋の表われです。

今日の浮世絵の一枚と菖蒲の繋がりは?

中村座の控櫓だった都座は、寛政六年二月一日から始めた

初曙観曽我(はつあけぼのかおみせそが)』の興行を三月、四月と外題を代えながら続行、五月五日の節句を選んで上演した外題が『花菖蒲文禄曽我』。

藤川水右衛門はその仇役です。

運慶 木造大日如来坐 展示

東京国立博物館は3日、今年3月にニューヨークで競売にかけられ、宗教法人「真如苑」が1280万ドル(約12億5000万円)で落札した運慶作とみられる「木造大日如来坐像」を、10日から展示公開すると発表した。

 真如苑が同博物館に寄託した。同仏像は文化庁が文化財指定を検討したこともあり、競売による海外流出が懸念されていた。

サンケイ 2008.6.4 00:59

6月の浮世絵展 続き

Berlin 美がむすぶ絆
ベルリン国立アジア美術館所蔵日本美術名品展

岩手県立美術館

~7月21日

出品目録 はこちら

http://www.ima.or.jp/exhibition/temporary.html

7月30日~9月21日 山口県立美術館へ巡回

「ガレとジャポニスム」

サントリーミュージアム[天保山]
~7月13日

http://www.suntory.co.jp/culture/smt/gallery/index.html
http://www.asahi.com/galle/detail/introductio.html

共通鑑賞券(ギャラリー「ガレとジャポニスム」 +アイマックスシアター(1作品))
大人 1,840円 (2300円のところ)

天文図の星は「ほぼ純金」

Acd0806022139011n1 極彩色壁画が描かれたキトラ古墳奈良県明日香村、7世紀末)の石室内で見つかっていた1ミリ大の金箔片は、天井に描かれた天文図の星から剥落(はくらく)した可能性が高いことが1日、奈良文化財研究所などの調査で分かった。金箔発見当初は、漆塗り棺の装飾の一部とみられていたが、金箔の分析で漆の痕跡が全くないことや、金箔が天文図の真下にあたる石室中央付近で集中していたことなどから判明した。

 金箔片はこれまでの調査で石室内に堆積した土の中から計37点が確認され、いずれも1~2ミリの大きさだった。

 同古墳の天文図は天井に描かれており、星は直径約1センチの金箔を天井の漆喰層に張りつけて表現。

 朱線で結んでさそり座やオリオン座など計68個の星座が描かれている。

 金箔の星は、19年7月から始まったはぎ取り前までに約350個が確認され、築造時の半分以上が残っているらしい。

 金箔片の分析では、金が97~98%とほぼ純金で、銀と銅がわずかに含まれていた。

 天井の星についてはこれまで成分分析は行われておらず比較はできないが、金箔片が天井の星であれば、築造当初は、数百個の“純金”の星が被葬者の頭上で輝いていたことになる。

 金箔を分析した京都国立博物館の村上隆・保存修理指導室長は「当時から、純度の高い金箔を作る技術があったことが分かった。今後は天井に残っている星の金箔の詳細な分析が待たれる」と話している。

サンケイ 2008.6.2 21:50

広重

ベルリン国立アジア美術館

Utagawa Hiroshige: Landscape woodcut prints
2008.5.30~10.5
http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=17187&lang=en&typeId=10&n=1

Gal_karasaki

画像 近江八景之内 唐崎夜雨
Abendregen in Karasaki, Farbholzschnitt aus der Serie „Acht Ansichten von Ômi“, Tokugawa-Zeit, 1835

東海道中膝栗毛の世界展

Comn0020 東海道中膝栗毛の世界展

常葉美術館

~7月6日

http://www.tokoha.net/museum/2008%20hizakurige.html

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »