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2008年7月

夕立

各地で夕立が発生しています。28日の雷雨は初めて経験する凄さでした。         神戸では幼い命が奪われました。1982年の長崎の大水害、1時間に187mmの豪雨。 今や各地で発生するようになった気がします。

U0099300 大はしあたけの夕立 

広重

名所江戸百景

大橋は元禄6年(1693年)に浜町から深川籾倉に架けられました。現在より150m程下流。最初両国橋が大橋と呼ばれそれに対して新大橋と呼ばれていましたが、両国橋の呼び名が定着するにおよび単に大橋と云えばこの橋の事になったそうです。                     「あたけ」は対岸の地名。1635年に造られた御用船「安宅丸」に因む。長さ36間、胴間20間の大船が廃船後埋められているとか。

異なる角度の雨の線は2つの版木を使った事が復刻事業で確認されました。何種類かの異なる刷りもあるようです。

Sc126266fpxobjiip1_3 Sc126267fpxobjiip1 

左側の刷りには対岸に2艘の小船。

御用倉に灯りが見えます。

藤澤周平の小説に「江戸百」を借景にした掌編があります。七つの連作の中にこの画もあります。好奇心の強い少女が大人への入り口に立つある一閃の話です。当時の子供はどんな夢を持っていたのでしょう。

神戸の亡くなった子供達は夢を叶えられませんでした。

広重展

広重の浮世絵、加古川で紹介 東海道五十三次展 

01239833  江戸時代、浮世絵師の歌川広重が描いた絵画「東海道五十三次」を一堂に集めた展示会が、加古川市加古川町粟津の「あかりの鹿児資料館」で開かれている。二十五日まで。(三津山朋彦)

 展示作品は同館所蔵の複製品だが、五十三カ所の宿場と、発着点となる京都、江戸を合わせた全五十五点を一度に見られる機会は少ない。

 絵は街道に沿って並べられ、現在の地図を添えて宿場の位置を明示している。一枚ごとに当時の風俗慣習を示した説明板を付け、五十五点を見て回ると歴史の勉強もできる展示になっている。

 描写方法も見どころだ。「江戸日本橋」は優れた遠近法が使われており、「嶋田 大井川駿岸(すんがん)」は航空写真を思わせるような精密な鳥瞰(ちょうかん)図になっている。

 加えて、当時の旅行グッズも展示。荷造りは前夜のうちに-などと、旅の心得を記した「旅行用心六十一カ条」や、まくらの中にそろばんやくし、行灯(あんどん)を入れた「旅枕行灯」などがある。

 同館学芸員の横山奈央子さんは「京都-江戸間は当時で十日ほど。現在も、趣味で歩く人がいると聞きます。展示を見て旅のイメージをふくらませてもらえれば」と話している。

神戸新聞 7月17日

新刊情報

CG日本史シリーズ 9 大奥と江戸の女たち
7 発売日:2008年07月18日
定価:980円 (本体 933円)
判型:A4判
ISBN 978-4-575-45014-9

CGと浮世絵で甦る江戸城大奥とさまざまな女たちの人生 [CONTENTS]

第一章●大奥と女の人生/第二章●武家の女 町屋の女/第三章●市井に暮らす女たち/第四章●艶世界に生きる女たち


61jatnlcsl_ss500_ 浮世絵大事典
国際浮世絵学会編
税込価格 : \26,250 (本体 : \25,000)
出版 : 東京堂出版
サイズ : 27cm / 45,654p
ISBN : 978-4-490-10720-3
発行年月 : 2008.6

近世の研究には欠かせない浮世絵を捉えるため、絵師名、作品、画題、風習、風俗などを広く収録した事典。絵師の「姓」「名」「号」から項目名を探せる「絵師人名索引」付き。寛政2年から明治8年までの「改印一覧」を掲載。



410zlwv8ual_ss500_ 開化の浮世絵師清親
酒井 忠康著
税込価格 : \1,575 (本体 : \1,500)
出版 : 平凡社
サイズ : 16cm / 300p
ISBN : 978-4-582-76642-4
発行年月 : 2008.6

【サントリー学芸賞(第1回)】旧幕臣で、6尺2寸の大男であった清親。波乱にとみ、無頼の徒への仲間入りを含む数々のエピソードをもつ前半生を経て、明治9年、30歳で絵師になり、光線画「東京名所図」で一躍有名となる。彼の人生と心模様を綴る。
〔「時の橋」(小沢書店 1987年刊)の改題〕

暑中お見舞い

近畿地方も平年よりも3日早く梅雨明けしました。 本格的な夏の到来です。         お体にはくれぐれもお気を付けください。

Uirou_2

小田原

国綱

画像の異彩を放つ建物は提灯と並ぶ小田原名物を扱う外郎家。 

Sc200218fpxobjiip1 ういろうは600年余り前、陳宗敬により伝えたられた透頂香(とんちんこう)という薬。江戸時代、万能の大衆薬として親しまれました。 もっとも今日では、名古屋や山口などの名物にもなったお菓子の方が馴染みでしょうか。お菓子は外郎家の来客用に出されていた物。「東海道中膝栗毛」では喜多さんが勘違いして薬の方を食したりしています。

外郎売り 団十郎2世市川門之助(大磯の虎)      鳥居清信

歌舞伎「外郎売」で語られる口上は早口言葉として有名。

http://www.d7.dion.ne.jp/~hal9000/uirouuri.htm

その他にも江戸時代には様々な薬が売られています。頭痛薬、歯痛はもちろんお乳のでる薬なども。人魚印でお馴染みのの清心丹は暑気当り、水当り、乗り物酔い、に効き、津村順天堂の中将湯は婦人薬。小伝馬町にあったのは虱退治薬の幸手屋。                   

専門薬の店として有名だったのは薬研堀埋立地にあった四つ目屋。女悦丸、長命丸などの媚薬、諸道具を販売。土産として地方にも広く知られていたとか。         詳しくは田中優子著「張形ー江戸をんなの性」河出書房新社に出ているかも知れません。

http://lian.webup.co.jp/yuu/list/book3.htm

Photo_3 Photo_6 それぞれの商標、引き札が保存されています。京都烏丸の山口屋の枇杷葉湯。 江戸、大坂にも店を構え、多くの売人を使って市中を担ぎ売りされたとか。水当りに効くため旅人がよく携行したそうです。

Photo_7 Photo_8

祇園祭

Up2016_3 「諸国名所百景」

「京都祇園祭礼」

二代広重

明日が宵々山と佳境に入いる京都祇園祭。 応仁の乱でいったん途絶えましたが、明応9年(1500年)に復興します。その復興の原動力になったのは町衆の力と思っていましたが、少し違っていたようです。13日付けサンケイ新聞での河内将芳奈良大学准教授によると、実際は室町幕府の意向が強く、逃げ腰の町衆と主催する祇園社(現在の八坂神社、当時延暦寺の末寺)が押し切られたようです。その後も三者の微妙な力関係の元で続いたそうです。そのため日程的には不規則で本来旧暦6月のはずが、 12月にずれ込んだりしたこともあったとか。詳しくは「祇園祭と戦国京都」(角川叢書)。 

Viewimg 17日の山鉾巡行で先頭を行くのが長刀鉾。           1441年の創建と言われ高さ21.7m。          重量は今年初めて正式計量され7.3t。               長刀鉾の名は、鉾の頂に三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾ったことに始まります。現在東京国立博物館にある国宝「三日月宗近」は天下五剣と言われる名刀の一つ。             前懸は18世紀のペルシア華文緞通、等動く美術館。
平成12年、天井幕「彩雲紋刺繍」を新調。続けて平成16年168年ぶりに見送り「雲龍波濤文様」綴錦を構造。
平成19年、252年ぶりに下水引「緋羅紗地五彩雲麒麟図刺繍」の後面を復元。本年は左側面、来年度全面が揃う。

今、各山鉾保存会は公益法人改革法の施行により山鉾そのものの評価を迫られ、新たな局面を迎えています。

 

Gion_2 祇園祭は八坂神社の神様に、各種芸能を奉納する神事でもありました。

「祇園神輿はらい ねり物姿」。

豊国や長秀一連の作品で芸子達が扮するものは「市井風俗をうつしたもの」「物語や芝居などの登場人物」「舞台上の歌舞伎役者を模したもの」でした。
画像は豊国の「牛若丸に扮する宇治屋(うじや)の芸妓 「君の」と付添いの舞子みつ。

梅雨明け間近

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橋立雨中雷

国芳

稲妻の崩れようにも出来不出来      柳多留

雷がなると梅雨開けといいますが、九州四国に続いて近畿もそろそろでしょうか。稲妻の語源は「稲の夫(つま)」からとか。日本では稲が開花し結実する旧暦の夏から秋のはじめにかけて、雨に伴い雷がよく発生するため、また落雷した田では稲が良く育ったため、稲穂は雷に感光することで実るという理解が生まれ、雷を稲と関連付けて、稲の「つま(=配偶者)」。

Env0807031904009p1 今回の洞爺湖サミット。会場のアートを担当したのは戸田正寿さん。宗達の風神雷神図が松林図屏風と共にメインの首脳会議場に見えます。「絵心事」で心豊かに議論をとの気持ちからだそうです。残りの会場には北斎の地図や広重の江戸百等浮世絵も採られたとか。また昔から現代までの日本人の循環型社会への取り組みを漫画で紹介するパンフレット「北斎風循環型社会之解説」も配布されたそうです。

今度の日曜日は大相撲名古屋場所初日。江戸時代に阿武松(おおのまつ)と競った七代目横綱は稲妻雷五郎。188cm145kgの当時としては巨漢。                 雲州松平藩のお抱え力士でした。その四股名は雲から出る(出雲)のは、から名付けたそうです。

W0000005

相撲錦絵 豊国

明石志賀之助・谷風梶之助             小野川喜三郎・阿武松緑之助            稲妻雷五郎・不知火諾衛門             秀ノ山雷五郎

Mcnaught3_kemppainen 浮世絵とは関係ありませんが、昨年

オーストラリアパースでのマクノート彗星

Comet_mcnaught

ミズリー州

The Poetry of Nature in Japanese Woodblock Prints

76561asianutamaropoetshut Museum of Art and Archaeology

7.7.~8.24.2008

Utagawa (Ando) Hiroshige
Japanese (1797–1858)
The Poet Saigyo’s Hut at Shigitatsu March in Oiso
from Fifty-three Stations of the Tokaido series
1855
Woodblock print on paper
(76.561)
Gift of
Barbara Stratton Bolling and Deborah S. Booker
in memory of Arthur Mills Stratton

関連記事

Missourian  7.3.2008

http://www.columbiamissourian.com/stories/2008/07/03/woodblock-exhibit/

http://www.columbiamissourian.com/stories/2008/07/03/poetic-painting/

絵金

絵金びょうぶ今年も公開 6日まで高知市春野で

高知新聞 2008年07月05日09時30分

 高知市春野町東諸木の春野町公民館諸木分館で五、六の両日、幕末の絵師、金蔵(絵金)や弟子らのびょうぶ絵や「笑い絵」など六点が展示される。入場無料。
 戦前は諸木八幡宮の夏祭りで公開されていたが途絶えており、二十年ほど前に旧県立郷土文化会館に寄託。その後、県立美術館が引き継いだ。「もう一度見たい」という年配住民の要望を受け昨年、同分館が地元での展示を復活させた。

http://203.139.202.230/?&nwSrl=228644&nwIW=1&nwVt=knd

「見立て」「やつし」

浮世絵の画題の一つに見立て、やつしがあります。その基になっている逸話を知らないため理解するのがなかなか難しく幅広い知識の必要性を感じています。           以前、『図説「見立(みたて)」と「やつし」――日本文化の表現技法』(八木書店)という本をご紹介させていただきました。朝日新聞が次のように書評欄で取り上げたことがあります。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200805210058.html

国文学研究資料館が、日本の伝統的な表現技法である「見立て」と「やつし」を、文学・演劇・絵画・庭園など幅広く研究し、『図説「見立(みたて)」と「やつし」――日本文化の表現技法』(八木書店)にまとめた。159点の図版を収め、隠された意味や面白さを読み解く。

 「見立て」とは、例えば落語家が扇子をくわえてキセルに見せること。小野小町が江戸の娘に姿を変えるのが「やつし」。伝承性、重層性を盛った表現技法で、江戸時代に花開いた。

 和歌絵本、見立絵本、作庭書、浮世絵など、図版をふんだんに織り込みながら、具体的に「見立て」「やつし」の技法を詳述している。

Photo  また、「見立て」とは異なるものを連想で結びつけること、「やつし」とは古典的な題材が当世風に姿を変えることと改めて定義。浮世絵研究者の新藤茂氏は、これまで「見立孟宗(もうそう)」と呼ばれていた春信の錦絵(1765年)は「やつし孟宗」とすべきだと指摘する。絵のキーワード(雪、竹やぶ、簑(みの)、鍬(くわ)など)から孟宗とわかるため、従来、描かれた女性を『廿四(にじゅうし)孝』の孟宗に見立てた絵だと考えられてきたが、発想から言えば、孟宗を当世美人にやつした絵となる、という。

雪中に筍を掘る女 (見立孟宗)               春信

0703_01 「風流七小町 卒都婆(そとば)」は浮世絵の「やつし」の例。画名から謡曲「卒都婆小町」を江戸の風俗にやつし、右の女性は小野小町をやつした江戸時代の娘とわかるなど、様々な意味を織り込んでいる。

礒田湖龍斎画                          安永年間(1772~1780)制作?

補足説明を少し

「二十四孝 孟宗」

ウィキペディアより

孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍がある筈も無い。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。

「風流七小町 卒都婆」

女の煙管から若衆が煙管に火をもらう図で、煙が「恋」の字の形となっている。この若衆の長羽織は、吉字模様の縞であるので、「八百屋お七」物のお七の恋人 吉三郎であり、火の縁で結ばれた二人の関係を洒落たもの。
八百屋お七の話は、天和2年(1682)12月28日の大火で類焼した、本郷八百屋の娘お七が、避難先の檀那寺の美少年と恋仲となり、お七はもう一度逢いたい一心で放火を企て、火刑になったというもの。

謡曲『卒塔婆小町〈そとばこまち〉』は、卒塔婆(舞台での作り物は床几)に腰掛けた老婆の小町に、僧がそれを見咎めて宗教問答となり、小町が勝利する。しかし小町に深草少将の霊が取り憑き、適わぬ恋の執着の苦しみを述べさせる。狂乱から醒めた小町は、仏道を念じ、悟りの道に入ろうとするという内容。

本図は小町を当世風の若い女と若衆との恋の有様とし、『卒塔婆小町』の深草少将の恋を、当世風俗に「やつし」て描いたもの。

江戸時代とはどんな時代だったのか?

名古屋大学附属図書館研究開発室 第31回オープンレクチャー 

無料。事前の申込は不要です。

日 時: 2008年7月14日(月) 18:00~19:15
講 師: 種田 祐司(名古屋市博物館学芸員)
タイトル: 江戸時代とはどんな時代だったのか?
場 所: 中央図書館5階多目的室
概 要: 皆さんは、江戸時代というと、どんなイメージを持っていますか。農民は豊作の年でも食べるのがやっと、あるいは浮世絵や歌舞伎など小粋な文化が華開いた、などでしょうか。私は誰にでも結構住みやすい時代ではなかったかと、思っています。そのように考えられる資料をいくつかご紹介し、生の江戸時代を感じていただければ、と思います

テキサス

Exquisite Visions of Japan:

June 29 – August 24, 2008

Blanton Museum of Art

James A. Michener Collection of the Honolulu Academy of Arts.所蔵の作品。

版木も展示されているようです。

http://blantonmuseum.org/works_of_art/exhibitions/exquisite_visions/index.cfm

Hiroshi_castle

Yoshida Hiroshi (1876 - 1950)
Hirosaki Castle, from the series "Eight Scenes of Cherry Blossom", Japan, Shöwa period, 1935
40.3 x 27.5 cm
Color woodblock print
Gift of James A. Michener, 1955

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