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「見立て」「やつし」

浮世絵の画題の一つに見立て、やつしがあります。その基になっている逸話を知らないため理解するのがなかなか難しく幅広い知識の必要性を感じています。           以前、『図説「見立(みたて)」と「やつし」――日本文化の表現技法』(八木書店)という本をご紹介させていただきました。朝日新聞が次のように書評欄で取り上げたことがあります。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200805210058.html

国文学研究資料館が、日本の伝統的な表現技法である「見立て」と「やつし」を、文学・演劇・絵画・庭園など幅広く研究し、『図説「見立(みたて)」と「やつし」――日本文化の表現技法』(八木書店)にまとめた。159点の図版を収め、隠された意味や面白さを読み解く。

 「見立て」とは、例えば落語家が扇子をくわえてキセルに見せること。小野小町が江戸の娘に姿を変えるのが「やつし」。伝承性、重層性を盛った表現技法で、江戸時代に花開いた。

 和歌絵本、見立絵本、作庭書、浮世絵など、図版をふんだんに織り込みながら、具体的に「見立て」「やつし」の技法を詳述している。

Photo  また、「見立て」とは異なるものを連想で結びつけること、「やつし」とは古典的な題材が当世風に姿を変えることと改めて定義。浮世絵研究者の新藤茂氏は、これまで「見立孟宗(もうそう)」と呼ばれていた春信の錦絵(1765年)は「やつし孟宗」とすべきだと指摘する。絵のキーワード(雪、竹やぶ、簑(みの)、鍬(くわ)など)から孟宗とわかるため、従来、描かれた女性を『廿四(にじゅうし)孝』の孟宗に見立てた絵だと考えられてきたが、発想から言えば、孟宗を当世美人にやつした絵となる、という。

雪中に筍を掘る女 (見立孟宗)               春信

0703_01 「風流七小町 卒都婆(そとば)」は浮世絵の「やつし」の例。画名から謡曲「卒都婆小町」を江戸の風俗にやつし、右の女性は小野小町をやつした江戸時代の娘とわかるなど、様々な意味を織り込んでいる。

礒田湖龍斎画                          安永年間(1772~1780)制作?

補足説明を少し

「二十四孝 孟宗」

ウィキペディアより

孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍がある筈も無い。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。

「風流七小町 卒都婆」

女の煙管から若衆が煙管に火をもらう図で、煙が「恋」の字の形となっている。この若衆の長羽織は、吉字模様の縞であるので、「八百屋お七」物のお七の恋人 吉三郎であり、火の縁で結ばれた二人の関係を洒落たもの。
八百屋お七の話は、天和2年(1682)12月28日の大火で類焼した、本郷八百屋の娘お七が、避難先の檀那寺の美少年と恋仲となり、お七はもう一度逢いたい一心で放火を企て、火刑になったというもの。

謡曲『卒塔婆小町〈そとばこまち〉』は、卒塔婆(舞台での作り物は床几)に腰掛けた老婆の小町に、僧がそれを見咎めて宗教問答となり、小町が勝利する。しかし小町に深草少将の霊が取り憑き、適わぬ恋の執着の苦しみを述べさせる。狂乱から醒めた小町は、仏道を念じ、悟りの道に入ろうとするという内容。

本図は小町を当世風の若い女と若衆との恋の有様とし、『卒塔婆小町』の深草少将の恋を、当世風俗に「やつし」て描いたもの。

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