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2008年8月

八朔

Photo_2  江戸新吉原八朔白無垢の図
三代歌川豊国
文政(1818~29)末期

八朔。明日31日が旧暦8月1日です。古来農耕上の嘉日とされていたようです。
天正18年(1590)の八朔に徳川家康が駿河から始めて江戸城に移ったことに由来し、  江戸時代には正月と並ぶ重き日であったそうです。                      その日家康は白装束に身を固め、半分水没している城の真ん中に立ち、天下の統一を心に誓ったとか。
以来、八月一日には城中においては諸大名が白帷子(裏をつけない夏用の衣服)を着て登城し、挨拶を行うなど様々な儀式が営まれたようです。

「八朔の暮は 五丁の 雪明り」

Hassaku そして吉原においても遊女が白無垢を着用したとか。
そのいわれとして有名な故事があります。                            元禄の頃巴屋源右衛門方の高橋という太夫が瘧(おこり)(マラリアのこと)で臥せってしまいました。しかし、八朔に馴染みの客と逢うことになっていた彼女は、無理を押して病床着の白い小袖姿で揚屋入りをし、約束を果たした。その心意気のみならず、凛とした白無垢姿の美しさに多くの人々が感動をした由。その翌年巴屋のすべての遊女がそれに倣い、以降他家でも定着したようです。

                                       八朔之図  歌麿

八朔と浮世絵の関わりといえば初代広重。
幕府が天皇に神馬を献上する八朔御馬進献に広重が随行京都へ行ったという話です。
そしてその証拠とされる絵が「東海道五十三次(保永堂版)藤川・棒鼻ノ図」。
しかし8月の旅で、冬でもほとんど雪の降らない「蒲原」を大雪の絵にしたり、石製の京都三条大橋を木製に書いたりとその信憑性が疑われています。
元々この話の出所も三代広重が酒屋の主人から聞いた話とか。

U0085400

四谷

4010222 江戸の廻花 名勝会 五番組く組

三代豊国

橋本貞秀

都遊

江戸の廻花は、江戸の名勝地とその地域と縁の深い歌舞伎の役名を複数の画家が担当して描いたシリーズです。

五番組く組はこの辺りを持ち場とした町火消し。

四谷、古くから4軒の茶屋があったからとか谷が四つのためとも云われています。   江戸城外堀設置のため麹町から多くの寺社が四谷に移転しました。

怪談の定番の一つ、「四谷怪談」。                                             夏も終わりのこの時期にと訝る方も多いと思います。が、江戸中村座での初演は文政8年(1825年)の7月26日、ちょうど今頃です。 最初は「仮名手本忠臣蔵」の外伝と位置付けられたようです。元になった実話に鶴屋南北が忠臣蔵の登場人物を絡ませました。

この演目では大向うから「長谷川」の声が掛かります。戸板返しや仏壇返しの仕掛けが見せ場のの一つですが、これらを考案したのは代々大道具を受け持った長谷川勘兵衛の十一代目と云われています。提灯抜けでは三世尾上菊五郎がこんな小さな提灯で大丈夫かと心配した所、大きな提灯から出ても意外性がないと答えたとか。

Sc129706fpxobjiip1_2   四谷名物の一つに馬糞があったそうです。       四谷新宿別の名を馬糞新宿。                郊外の農家が早朝収穫した野菜などを馬に引かせて江戸市中に運ぶため馬糞が多かったそうです。それをアワビの貝殻で拾い燃料や肥料にする人も。                                          古川柳に『牛のくそあわびツ貝は見て通うり』とあるように牛糞は人気がなかったようです。水分が多く燃料に向かず堆肥にしても温度があがらないためでしょうか。                                                     それにしても「馬糞を踏むと背が伸びる」という話はどこから来ているのでしょう?同じく古川柳に 

新宿の子供は早くせいがのび

名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿

広重

Victoria and Albert Museum

Masterpieces of Ukiyo-e from the Victoria and Albert Museum

49180large

Oniwakamaru subduing the Giant Carp (detail),

by Totoya Hokkei, about 1830-1832.

Museum no. E.3826:1&2-1916. Given by the

Misses Alexander

12 December 2008-15 March 2009

Rooms 90 and 88a, the Julie and Robert Breckman Gallery and part of the Edwin and Susan Davies Galleries
Free admission

The V&A's collection of Japanese ukiyo-e is one of the largest and finest in the world, with over 25,000 prints, paintings, drawings and books. It is not since The Floating World exhibition in 1973, however, that a substantial number have been on show at the Museum. This display will reflect the strengths of the V&A's outstanding collection, from elegant fan prints and glorious full-colour prints to artists' sketches and copyists' drawings that offer unique insights into the creation of ukiyo-e.

A further selection of copyists' drawings will be displayed in Room 45, the Toshiba Gallery of Japanese Art.

北斎 富士を描く

「北斎 富士を描く」 佐川美術館

常設の平山郁生、佐藤忠良、十五代樂吉左衞門に加えての今回の企画展。
見応えがありました。

「冨嶽三十六景」、「富嶽百景」、それぞれの全貌が一度に展覧されるのは珍しい事。
今回はその両方が一堂に。いずれも初公開のコレクションだそうです。
しかも状態もかなりよく「冨嶽三十六景」は色鮮やかでした。
版も初版ないしは極めてそれに近い作品。「富嶽百景」は初摺り半紙本三冊(「鷹の羽」と俗にいわれる二冊を含む)とそれぞれの図版が額装されたもの102点。
作品1点づつはもとより、作品全体の構成が把握できる内容。
「富嶽百景」はあの浦上満氏のコレクション。「北斎漫画」も1300冊所蔵しているとか

「歌撰恋之部 物思恋」

D5114669l_2 Christie's 9.18

SALE 2028                      LOT 152

Estimate

$1,000,000 - $1,500,000

                                                                                                  
                                 
                                    
                                   
                                    
                                    
                                  
                                    
新聞報道もされ注目されてきているようです。
HPの画像ご覧になりましたでしょうか。
かなりのズームアップが可能で細かい所まで見られます。
ボストン美術館の所蔵品とは細部で摺りの違いが見られますね。
オークション終了後翌日には画像消えます。
今の内に是非ご覧下さい。

クリスティーズHP  
http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=21660#action=refineestimate&intSaleID=21660&sid=343a4d5f-0d3b-4af2-96b6-253c42bc7b38&e1=294769&e2=1000000



宝暦年間(1751~1764)になると、初めて江戸の出版物数が上方を上回ります。   江戸文化がいよいよ本格的に花開こうとしてます。                       その江戸の出版界を切り開こうとしたのが、蔦屋重三郎と須原市兵衛。          須原市兵衛は「解体新書」を出版するなど最新の知識を広く紹介。             一方蔦屋重三郎は黄表紙、洒落本そして浮世絵で時代を拓いていきます。        その一翼を担ったのが歌麿。 単なる美人画に留まっていた浮世絵の範疇を越え、人間の内面的動きの表現を試みます。その頂点に立つ一枚。                  寛政(1793~94)年間の作。歌麿40歳過ぎでしょうか。

「歌撰恋之部」という中世の和歌の主題を借りた見立て絵のスタイルを取っています。  5枚組の中の一枚です。
雲母摺りの状態もよく、顔料も剥げていません。縁も切り取られていないほぼ完璧な一枚のようです。歌麿の製作意図が窺い知れるようです。
ピンクの雲母摺りと云うのは珍しいようですね。
昔も「恋」の色はピンクなのでしょうか。まして雲母摺り。
見る人も様々な思いが巡るのではないでしょうか。
79633_350918 この時代の黄表紙、洒落本では実在の人物をモデルにすることがあったようです。
この「歌撰恋之部」にもそうではないかと云う説があります。
「歌撰恋之部 あらはるる恋」 
団扇に桜草が描かれていますが、これは富本節の関係者ではないかとか。 桜草は富本節の家の定紋。
歌麿の「朝日屋(あるいは日の出屋)後家」。
「歌撰恋之部 物思恋」 の女性に
よく似ているというのですが如何でしょう。
                                              
                                          他の作品と主な所蔵館です。
「歌撰恋之部 物思恋」   ボストン シカゴ ギメ 平木 
                 渋井清コレクション
「歌撰恋之部 夜毎ニ逢恋」 ボストン 米国会図書館
「歌撰恋之部 あらはるる恋」ボストン シカゴ      
「歌撰恋之部 稀ニ逢恋」  ボストン  Irma Grabhorn-Leisinger コレクション        「歌撰恋之部 深く忍ぶ恋」  ギメ 東京国立博物館                        
                                                            
この他伊藤若冲、作者不詳の「洛中洛外図」も注目されます。                 
                                                           尚、今回このオークションを担当する山口桂さん。あの運慶作「大日如来座像」も担当。 アメリカ浮世絵学会会員。
浮世絵研究の権威である山口桂三郎国際浮世絵学会会長・立正大学名誉教授がお父さん。
以前にも書き込んでますが運慶の大日如来座像」担当時の裏話。

今回の「大日如来座像」も、持ち主からの封書が東京支社を経由して山口さんのもとへ届いたのが始まり。中に入っていたのは東京国立博物館による研究論文と連絡先のメールアドレスのみ。「なんじゃこりゃ?ですよね。でも読んでみてびっくり。個人がこんなすごいものを持ってるなんて、ちょっと想像できない。すぐ東京へ飛びました」。
 それから競売までの2年間は「1冊の本に書きたいほど」の波瀾の日々。        一度は話が流れかけたこともあった。
 話題になったのはうれしいが、一部誤解を招く報道には怒りも覗かせる。       「売り主がずいぶん不当に報道されているが、真実は違います。文化庁との値段は折り合わなかったけれど、文化庁側からもう少し出しましょうとか、希望金額を出しますが分割でいいですか?などの提案すらなかったそうです。本当に国内に留めておきたかったら、国としてそのくらいの努力があってもいいと思います。国内で価値を認めてくれないのなら、海外での評価を問うてみよう。それでだめだったらかまわないというのが、売り主のほんとうの気持ちだった。重要文化財指定を固辞したのも、保存など厳しい指定条件を一個人として満たすことができないと思ったからです。                         
                                                           
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「歌撰恋之部 夜毎ニ逢恋」
                                                             
                                                                
                                                                
                                                             
                                                             
                                                               
                                                                     
Lot Description

Kitagawa Utamaro (1753?-1806)
Mono omou koi (Reflective Love), from the series of five prints entitled Kasen koi no bu (Anthology of Poems: The Love Section), c. 1793-94
A woman resting her head on her hand, lost in a daydream against a backdrop of luminous pink mica, signed Utamaro hitsu (from the brush of Utamaro), emblem of publisher Tsutaya Juzaburo--superb impression and color
oban tate-e: 37.6 x 25.5cm.

Provenance

Hayashi Tadamasa (1853-1906), Paris

Literature

Asano Shugo and Timothy Clark, The Passionate Art of Kitagawa Utamaro, exh. cat. (London and Tokyo: British Museum Press and Asahi Shinbun, 1995), pl. 133 (nos. 134-37 show four other designs in the set); Shibui Kiyoshi, Utamaro (New York: Art of the East Library, 1962), pl. 17; Shibui Kiyoshi, Utamaro, Ukiyo-e zuten, vol. 13 (Tokyo: Kazama Shobo, 1964), 48.1; Kikuchi Sadao, Utamaro, Ukiyo-e taikei, vol. 5 (Tokyo: Shueisha, 1973), pl. 27; Money L. Hickman, Bosuton bijutsukan III (Boston Museum III), Ukiyo-e shuka, vol. 3 (Tokyo: Shogakkan, 1978), pl. 3; J[ack] Hillier, Utamaro: Color Prints and Paintings (London, 1961), no. 33; Catalogue of Highly Important Japanese Prints, Illustrated Books and Drawings, from the Henri Vever Collection: Part I, catalogue by Jack Hillier (London: Sotheby's, 1974), no. 175 (purchased by Huguette Berès); Collection Huguette Berès: Estampes, Dessins et Livres Illustrés (Paris: Sotheby's, 2002), pl. 50 ex. coll. Vever; Huguette Berès, Utamaro: Estampes, Livres Illustrés, intro. by Jack Hillier (Paris, 1976), no. 19; Yoshida Teruji, Utamaro zenshu (Tokyo: Takamizawa Mokuhansha, 1941), no. 156; Roger Keyes, "Kitagawa Utamaro sakuhin mokuroku" (Index of work by Kitagawa Utamaro), in Narazaki Muneshige, ed., Kitagawa Utamaro, Zaigai hiho, vol. 5 (Tokyo: Gakushu Kenkyusha, 1973), 43.1; pl. 16; Narazaki Muneshige, gen. ed., Hizo ukiyo-e taikan/Ukiyo-e Masterpieces in Western Collections, vol. 7 (Musée Guimet) (Tokyo: Kodansha, 1990), pl. 10; Narazaki, Hizo, suppl. vol. (Berès Coll.) (1990), pl. 51; Narazaki Muneshige, gen. ed., Meihin soroimono ukiyo-e, vol. 3 (Tokyo: Gyosei, 1991), pl. 10; Narazaki Muneshige, The Japanese Print: Its Evolution and Essence, English adaptation by C. H. Mitchell (Tokyo and Palo Alto, 1966), pl. 61 (Shibui coll. impression); Narazaki Muneshige and Kikuchi Sadao, Masterworks of Ukiyo-e: Utamaro, trans. John Bester (Tokyo, New York and San Francisco: Kodansha International, 1968), cover plate; Vignier & Inada, Utamaro, estampes japonaises...exposées au Musée des Arts Décoratifs en janvier 1912, intro. by Raymond Koechlin (Paris, 1912), no. XXXIV, 76; Laurence Binyon, Catalogue of Japanese and Chinese Woodcuts in the British Museum (London: The Trustees of the British Museum, 1916), cat. no. 17, 185

Lot Notes

Other Impressions:
Musée National des Arts Asiatiques, Guimet (EO 1656); The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection (1952.393); Museum of Fine Arts, Boston (21.6415); British Museum, 2 impressions (1937,0710,0.95; 1907,0531,0.113); Hiraki Ukiyo-e Museum; ex. coll. Huguette Berès, Paris




The Visual Poetry of Reflective Love

Imply, do not declare, advised the poet Mallarmé, the magic of art lies in suggestion. He may as well have been speaking of the approach of Kitagawa Utamaro (1753?-1806), whose formal distillation of sensuality was to fuse so seamlessly with the experiments of the European avant-garde a century later as to be absorbed into the universal canon of modernism.
Reflective Love started its world tour in eighteenth-century Edo (modern Tokyo), the "Paris of the East." Unknown hands kept it dark for decades before releasing it in the 1880s into cargo bound for a Japanese dealer in Paris. A touchstone of the print's greatness is its almost miraculous condition: the fragile, friable pink mica ground has not cracked, the fugitive natural pigments have not faded, the edges have not been trimmed. This impeccable example, the best of seven published impressions, is as close as we may come to how Utamaro intended us to see it in 1793: soft grey contours and intense colorplay in a rose glow.

Entwined under the Ivy
Utamaro and his publisher Tsutaya Juzaburo (1750-1797) collaborated between 1780 and 1797, when Tsutaya died. The reservoir of art and literature Tsutaya left behind proves that he was an exceptional talent who was quick to pick up the scent of genius and who had the personal skills to nurture and bring it to profit. Utamaro lived with Tsutaya from 1783 to 1788 adjacent to his shop, the Koshodo, just outside the Great Gate to the Yoshiwara pleasure quarter in Edo. The brightest lights of the time---the designers Sharaku, Shunsho, Hokusai, Choki; the writers Kyoden, Bakin, Ikku, to name few---benefited from the tutelage and hospitality within these doors.
Utamaro, Tsutaya and their friends made up Edo's sophisticated salon culture. A fruitful hunting ground for inspiration and clients was the Yoshiwara poetry circle led by Murata Ichibei (1754-1828), proprietor of the Daimonjiya brothel. Lively parties all around town were dedicated to the display and appreciation of kyoka, seven-line "mad verse" that revels in complicated allusion and multiple-entendre. Tsutaya composed under the name Entwined under the Ivy (Tsuta no Karamaru), a twist on the "tsuta" of his name that means "ivy," the emblem that appears on Reflective Love. Utamaro wrote under the penname Slip of the Brush (Fude no ayamaru).
The title of Reflective Love is a play on classical anthologies of poetry that are divided into thematic sections. Utamaro's audience would have made the instant connection to a host of verse. The woman's brilliant underrobe might recall an anonymous poem that cautions to keep love under wraps lest its flush catch people's eyes "like robes dyed purple with the violet grass" (Kokin waka shu [Collection of poems, old and new], comp. 10th century, XIII: 652). The Kokin waka shu devotes 360 of around 1100 poems to love, which are themselves organized by progression. Utamaro's Anthology of Poems follows the same sequence, named in the subtitles at the bottom of the rectangular cartouches. Reflective Love is the first, complemented by Deeply Hidden Love, Love that Meets Each Night, Obvious Love and Love that Rarely Meets. The literal subtitle of Reflective Love---mono (something) omou (thinking about) koi (love)---derives from the convention found in poems like this one by Emperor Komyo (1321-1380) from a suite of thirteen in the love section of Collection of Elegant Poems (Fuga waka shu; comp. 1343-49):
mono omou to How strange it is:
ware dani shiranu I keep falling into a vacant reverie
kono goro no of vague awareness
ayashiku tsune wa these days when in my mind itself
nagamegachi naru I do not know I really love.1
(Fuga waka shu X, 955)
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「歌撰恋之部  稀ニ逢恋」
                                                                         

                                                                        

                                                                            

                                                                        

                                                                            

                                                                           

                                                                         

                                                                        

The five women in Utamaro's Anthology set are shown half-length, with hand or hands showing, and range in age from teen (Love that Rarely Meets) to the unnamed woman here. Her shaved eyebrows indicate she is married or a matron, a woman in her twenties. Unlike so many of Utamaro's famous beauties she is not a courtesan. Her hairdo is a version of the Shimada style popularized by geisha that calls for the sidelocks to be stiffened with camellia nut oil, bent into triangles and the lengths folded into a low back loop. Duplicating these see-through strands in woodcut is where the block carver and printer are flaunting their wizardry. All Japanese prints before the twentieth century are the work of four experts: the artist who draws the design; the publisher who commissions, oversees production and markets the print; the engraver who carves the woodblocks; and the printer who inks the blocks and rubs the color into the paper. The quartet responsible for this beautiful dreamer has perfect pitch.
Her underrobe lies loose about her neck, as in a casual moment at the end of a day, and her eyes are unusually compressed to give the sense of the heavy-lidded stare of the daydreamer. Features or dress that might define personality or status or period are absent. Utamaro is using "delicious approximations" to decant the sensation from the scene.2
The visual glory of Reflective Love begins with the contrasts between the planes of color. The violet inner robe and matching silk hair tie are breathtaking. Purple, one of the most fugitive hues, tends to fade to grayish brown. The muted colors of the Reflective Love in the Musée Guimet prompted Richard Lane to remark on Utamaro's subdued palette.3 Its cool tone conveys a somber mood, a brooding over something lost or never to be. The impression here---the vermilion lips and cuff lining, the velvet swirl of hair---is stirring (fig. 1). The underrobe is in a traditional tie-dyed dappled pattern (kanoko shibori moyo) that appears often in Japanese prints, usually on undergarments. Utamaro uses it to stage intimate settings, as here. The middle robe has the trellis design of plain-weave robes from crossing warp and weft threads. The fabric of the outerrobe represents crepe treated with wax resist so that the clusters of plovers and dots, symbolizing clouds or waves, appear white against the dyed grey.
The pink mica ground is exceedingly rare. The mineral flakes were ground into fine powder and blown or shaken through a pipette onto a thin layer of glue size. Utamaro and Tsutaya had enhanced illustrated poetry albums with silver or white mica that they adapted to sheet prints of women in the 1790s for the surface of a mirror or a mirrorlike ground. They turned to beauty prints in earnest following near financial ruin, and jail time, that Tsutaya had suffered after having been found guilty for publishing three risqué books by another of his famous lodgers, Santo Kyoden (1761-1816).
Shibui Kiyoshi (1899-1992), a collector and scholar of Japanese woodcuts, offered that the pink mica of Reflective Love represents the light of a lantern. Extending his implication that the background is not simply a costly gloss, but is intended to establish mood by suggesting the time of day, one might equally see the pink as crepuscular. To take another step, consider the poem by Fujiwara Teika (1162-1241) using the same pivot, "vacant reverie" (omoi), to which Emperor Komyo linked his poem in the sequence mentioned above:
kino kyo Yesterday, today--
kumo no hatate nino matter how I gaze in vacant reverie
nagamu tote toward the cloud tips
mi mo senu hito notinted in the evening, how can I know
omoi ya wa shiru the feelings of one I cannot see?4
(Fuga waka shu X: 954)

Stéphane Mallarmé (1842-1898), crafter of the poetics of the everyday in the vocabulary of the exquisite, weaves a similar metaphor into a poem he inscribed on a shiny paper fan that he dedicated to his daughter. It begins, O rêveuse (Oh, dreamer), and ends with the rosy glint of sunset reflected in her bracelet. Essential to the poem is the lack of intermediate space between the young woman and the sinking horizon, a "dream space," in the words of Marshall Olds, "that quivers in its infinite suggestiveness."5 In another fan-poem to his wife, Mallarmé uses a mirror backdrop to project the poem to the person visualizing the image, who gives it voice. This metaphorical couplet has an astonishing accord with the dynamic working so flawlessly in Reflective Love, where the reflective ground becomes the medium between the poems and the viewer, who gives lyrical voice to the daydream.

Surprise the Universe
The red circle in the lower left of Reflective Love is the seal of Hayashi Tadamasa (1853-1906), the connoisseur-dealer through whose hands passed so many of the great Japanese prints now in Western private collections and museums (fig. 2). Destined for a career in public service, Hayashi seized the opportunity to serve as the representative of a Japanese trading firm exhibiting in the 1878 Exposition Universelle. He stayed on in Paris and eventually expanded into an independent dealer of Japanese art. Speaking excellent French, he moved easily in collectors' circles. Hayashi also began assembling his own collection of European art, which included paintings by Corot, Degas, Monet, Morisot, Renoir, Pissaro, Cassatt, Gaugin and Redon. Monet exchanged three canvases with Hayashi for a large Japanese vase. Degas traded several drawings for an erotic album by Hishikawa Moronobu (1630/31?-1694). From Japan Hayashi mailed iris bulbs and peony seedlings to Monet for his garden in Giverny. Degas, the artist whom Hayashi most admired, is said to have kept Hayashi's gift of the woodcut diptych Women inside a Bathhouse by Torii Kiyonaga (1752-1815) above his bed until his death.6 Bather Stepping into a Tub, a pastel of around 1890 by Degas, was purchased for $3100 at the 1913 auction of the Hayashi estate at the American Art Association, New York, by Louisine Havemeyer, who bequeathed it to the Metropolitan Museum of Art in 1929 (29.100.109, image accessible on the MMA website).
Hayashi enjoyed the felicitous combination of unlimited good stock and customers fervid for Things Japanese. Japan at the time was detaching itself from much of its native culture in its headlong embrace of modern technology and institutions. The societal shift propelled some old families into financial duress, coaxing many heirlooms into the marketplace. Hundreds of thousands of woodcuts left Japan, including some 160,000 prints and 10,000 books exported by Hayashi, who was vilified by the Japanese establishment for releasing these "vulgarities" on the outside world. Hayashi finessed the divide over high and low art by leaving prints out of the exhibition of Japanese treasures he curated for the 1900 Exposition Universelle.
Hayashi's society was not unlike Tsutaya's: artists, authors, publishers, tastemakers, bourgeois with means. Hayashi's 726 extant business letters are an absorbing testament to the collecting impulse and to his role as an aesthetic ambassador.7 Henri Vever (1854-1943) shows himself to be a tough customer, at least to his suppliers. After grinding down the price of two lacquer boxes, he warns, "Whatever you do, don't write me in the country about business so I'm chided for it by my wife!"8 Edmond de Goncourt (1822-1896) frequently asks for research assistance which was to culminate in his landmark Outamaro of 1891 and Hokousai of 1896. Between trips to his porcelain factory in Limoges, Charles Haviland (1839-1921) addressed numerous entreaties to Hayashi "to put aside for me the choice items that fall into your hands and those which my collection lacks."9 Guimet, Freer, Gonse, Cernuschi, Duret, Grosse and so on: the index to the correspondence is a star map to the cultural colony of the end-of-the-century West.
In ill health and seriously in debt because of his brother's mismanagement of their finances, Hayashi was obliged to close his gallery in 1902. If this catalogue entry describes it, Reflective Love was among his private holdings auctioned off in Paris that June: "806. Outamaro. Large bust of a woman on a mica ground, the head resting on the hand. Signed: Outamaro" (fig. 3). An ink margin note in a copy of the catalogue stamped Yamanaka & Company, New York, records the sale price: 47 francs, around $12, three times the daily earnings of a French miner and about six times the American minimum wage. The auction's expert, Siegfried Bing (1838-1905), was the other port for Japanese art in Europe and Hayashi's chief competitor. The impression of Reflective Love offered here appears to have passed from Hayashi to a French collection in which it remained for just short of a second century before being sold to the present owner.
His connections alone could have gained Hayashi welcome in any quarter of interest to him, but it was his refinement, connoisseurship and modesty that endeared him to his wide acquaintance. These qualities were not lost on visiting Japanese functionaries, who regularly called on Hayashi, or on Japanese artists, including the young Kuroda Seiki (1866-1924), seeking his endorsement and support. A piece in the New York Times, byline Paris, July 31, 1895, relates the art adventures of "Fresh, the American," of the eponymous 1881 farce, who "hunted the latest foreign fad, and he discovered it, with true Christopher Columbus instinct. The boulevards will wake up later. He found the Japanese emporium of the famous Hayashi. . . ." In a curious mix of flippancy and prescience, the tale reveals "Hayashi's Japanese Secret": a new generation of Japanese artists to reconceive the Western recipes, as their mentors had those of the East, to "blossom suddenly and surprise the universe."
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  「歌撰恋之部 あらはるる恋」

                                                                         

                                                                        

                                                                        

                                                                        

                                                                        

The scholar-collector Raymond Koechlin (1860-1931) maintained that Hayashi Tadamasa was the only Japanese who truly loved and understood European art. While it cannot be overstated how profoundly Hayashi influenced the course of modern art in the West, it should be remembered that he also introduced the Impressionists to Japan. Unfortunately, the 500 paintings, drawings and prints Hayashi donated to the Japanese nation in 1905 and that he envisioned for a museum of Western art found a different reception from that of the Japanese art he had brought to Paris. They languished in storage until 1913, when a third was dispersed at auction in New York.10
Hayashi's business papers include receipts for around 90 of his European paintings and drawings, principally from the galleries of Alphonse Portier (d. 1902) and Paul Durand-Ruel (1828 or '31-1922), whose own contributions parallel those of Utamaro's agent, Tsutaya Juzaburo. Hayashi lent nine paintings by the Impressionist Berthe Morisot (1841-1895) to the 1896 memorial exhibition of her work that was organized by Monet, Degas, Mallarmé and Renoir and held at Durand-Ruel.11 One of Hayashi's loans, Interior of 1872, presents a woman seated in left profile, eyes unfocused, deep in her own thoughts (fig. 4). To the right is a silver tea service awaiting a guest to take her place in the empty chair; palm fronds and trailing vines intrude from a bouquet out of view. Just behind, hangs a garden painting or, one might propose, a mirror reflecting a canvas on the opposite wall. At the left a girl and her nanny look through sun-drenched curtains onto an unseen street. The women are Morisot's family observed in a private moment that the artist intensifies with several tropes: the detached figures, the picture-within-the-picture, the missing guest and the play between interior and exterior/public and private space. Morisot's affinities with compositional aspects of the Japanese prints and paintings she collected and used in her paintings are documented along with those of her circle. In a letter to Mallarmé she writes of her anticipated return visit with Mary Cassatt to the display of "the marvelous Japanese," an exhibition at the Ecole des Beaux Arts of 700 woodcuts from Parisian collections organized by Bing in 1890. It is well known that the works in this exhibition, in particular those of Utamaro, had a deep effect on Cassatt and that her enthusiasm brought her American acquaintances into Hayashi's shop; a terse message reads: "I am taking the three Utamaro prints for 2500 francs.-H.O. Havemeyer, 20 September, 1897."12 Hayashi owned at least three pictures by Mary Cassatt (1844-1926), including a pastel of around 1894 known as Pensive Reader that was another in his legacy to Japan, now in the Smithsonian Institution, Hirshhorn Museum (fig. 5). Cassatt poses a young woman half-length over a tabletop, lost in thought over a book. Her head rests in one hand while the other idly fingers the pages. She wears a blue dress over a pink underblouse flush against a warm backdrop of yellow, brown and pink.

In what were to be her last years, Morisot embarked on a series of pictures devoted to the expression of reverie. In Young Woman Reclining of 1893, a girl on a divan rests her head on her hand, gazing absently out of the picture frame (fig. 6). Flowered curtains filter the strong shafts of late afternoon. A formal departure from Morisot's earlier paintings, her assured contours and flashing surface planes are in service of atmosphere veiled in an enigmatic sensuality and restraint in sympathy with Utamaro's Reflective Love. Both works conscientiously abstract the quotidian setting, calling the viewer into timeless dream space with the gorgeous notes of line, color and light.
In his elegy to his great friend Berthe Morisot in the memorial exhibition catalogue, Stéphane Mallarmé exposes his conviction that art is to be an inner mirror to stimulate through the appropriation of Beauty a reverie that infers the mystery and meaning of the universe. Reflective symbols (minerals, mirrors, ice, windows) are markers of a process by which the soul, gazing out, looks within. He acknowledges the "foreign" strain in Morisot's work, by which he means the elements of the Japanese aesthetic that she/he extracted into their own artistic and intellectual compound being minted for the future, a "fusion of recent illuminations with older lights."13 Mallarmé argues that the nuanced language shared by painter and poet is an abbreviated, allusive vernacular--the modern poetics of suggestion--in which he conjures this elliptical tribute:
Here, canvases recede, dispersing a radiant caress, idyllic, fine, powdery, diaphanous in my memory, leaving an armature of superb design attesting to the science behind the purposeful marks, colors aside . . . work for the public to appreciate with the pure senses, dipped in this pearl and silvery luster. Should one keep silent in the intimacy of suggestion trying to impart itself on this occasion, a moment suspended in shimmering perpetuity?. . . . To poetize through plastic art, using direct illusions, seems, without forcing it, to be the effect of the atmosphere awakening from their surfaces their luminous secret . . . .
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「歌撰恋之部 深く忍ぶ恋」

                                 

                                  

                               

                                  

                               

                               

                                  

NOTES
1. Robert H. Brower and Earl Miner, Japanese Court Poetry (Stanford: Stanford University Press, 1961), 405.
2. "De délicieux à-peu-près," Crise de Vers (Crisis of Verse), in Stéphane Mallarmé (1842-1898), Divagations (Paris: Charpentier, 1897). For an English translation see Divagations, trans. Barbara Johnson (Cambridge, MA and London: The Belknap Press of Harvard University Press, 2007), 203. "Paint not the thing, but the effect it produces," from an undated letter [1864] Mallarmé to Henri Cazalis, is a clarion of modern Symbolist theory.
3. Richard Lane, Images from the Floating World (New York: Dorset Press, 1978), caption pl. 139.
4. Brower and Miner, 405. The translation there puts the poem in the male voice, using "her" in the last line, but it can be equally read in the female voice, as used here.
5. Posted on the Web: Marshall C. Olds, Under Mallarmé's Wing (University of Nebraska--Lincoln, Modern Languages and Literatures, Department of French Language and Literature Papers, 2001).
6. Correspondance addressée à Hayashi Tadamasa, ed. Brigitte Koyama-Richard (Tokyo: Tokyo Institute, Independent Administrative Institution, National Research Institute for Cultural Properties, 2001), 25.
7. Correspondance, passim.
8. June 11, 1899, Correspondance, letter 340, 298.
9. October 20, 1894, Correspondance, letter 110, 166.
10. 165 lots of paintings, pastels, drawings and prints were sold by the estate of Hayashi Tadamasa at the American Art Assocation, New York, Jan. 8--9, 1913, accompanied by a fully illustrated catalogue with forewords by Ernst Grosse (1862-1927) and Raymond Koechlin. 197 drawings by Paul Renouard (1845-1924) were bequeathed to the Imperial Museum, Tokyo, in 1915; the remainder of the Hayashi collection was sold off piece by piece by his heirs, who currently hold about a dozen works, including some by Théodore Rousseau.
11. Berthe Morisot (Madame Eugène Manet): Exposition de son oeuvre du 5 mars au 21 mars 1896 chez Durand-Ruel, rue Lafitte et rue Le Peletier, preface Portrait de Berthe Morisot by Stéphane Mallarmé, photogravure of portrait by Edouard Manet ([Paris], 1896).
12. Correspondance, letter 261, 248.
13. Mallarmé, from Solitude, in Divagations.

 

歌麿「歌撰恋之部 物思恋」 1億円?

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「歌撰恋之部 物思恋」 歌麿

画像は参考 出品作品そのものではありません

9月18日のクリスティーズに出品されるらしい。
(HPではまだ具体的には明らかにされていません)
評価額は100~150万ドル。

近江八景

U0267700 「逢身八契 三勝半七の母節」 

歌麿

朝晩涼しくなり秋の訪れを感じさせます。

トップの絵は歌麿の見立絵の一つです。
画題からお判りのように近江八景の見立絵です。
こま絵は比良暮雪。
画材は元禄時代の大坂での心中事件。子までなした女芸人三勝と、貞節な妻お園の間で悩む半七が殺人を犯してしまい、子供を妻の許に預けて三勝と心中するという話。
三勝の母親としての母節を暮雪に見立てる。

Sc156259fpxobjiip1_2 他の八契は
「逢身八契 お千代半兵衛の寄乃涙(よるのあめ)」
「逢身八契 梅川忠兵衛の喜伴」
「逢身八契 椀久松山の情乱(せいらん)」
「逢身八契 お染久松の夕妾(せきしょう)」
「逢身八契 お半長右衛門の楽顔(らくがん)」
「逢身八契 お七吉三郎の盤棊(ばんしょう)」
「逢身八契 小柴権八の床乃通気(とこのつき)」

Sc156258fpxobjiip1_2 近江八景は明応9年(1500年)8月13日に近江守護六角高頼の招待で、近江に滞在した公卿の近衛政家が近江八景の和歌八首を詠んだことが始まりだと言われています。
比良の暮雪、唐崎の夜雨、矢(八)橋の帰帆、粟津の晴嵐、勢多(瀬田)の夕照、堅田の落雁、三井の晩鐘、石山の秋月の八景です。

盂蘭盆会

Sc200662fpxobjiip1 立版古

浅草 雷門

作者不詳なれど北斎関与

立版古。盂蘭盆会の供養の灯篭が玩具化したものとされています。おもちゃ絵の中でも古い歴史をもち、その期限は明和期(1764~1772)以前に遡ることができます。寛政・享和年間(1789~1804)には、葛飾北斎や北尾政美が多くの作品を描いたことが『武江年表』に紹介されています。また天保期(1830~1844)前後には歌川国長・豊久の作品が多く見うけられます。一枚の錦絵のなかに描き込まれた人物や家屋などの部分品を切り抜いて、糊ではりあわせて台紙の上に芝居の舞台などを作り上げる夏の遊びです。出来上がった作品は夕涼みの床几の上などで蝋燭を灯して飾り、江戸・京・大坂の三都で盛んにおこなわれたようです。。「組み上げ灯篭」「切組み灯篭」あるいは「組み上げ(絵)」とも呼ばれ、立版古は上方の俗称です。版古は、版行・板行(はんこう)の意で、錦絵や摺物などを指すことば。幕末から明治二十年(1887)頃にかけて、大阪では長谷川貞信・小信父子の立版古が数多く出版されています。歌舞伎の全狂言をほとんど網羅するほどで、大阪における立版古流行の最盛期でありました。

W0000012_3  長谷川貞信の作品の中から1枚。                                          「都名所之内」「如意嶽大文字」

旧暦7月16日、今年は8月16日。満月は8月17日

五山送り火で一番有名なのが「大文字」。後は鳥居形、妙法、舟形、左大文字。江戸時代後期にはこの他に、「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)、などの字形もあったそうです。因みに「大文字焼き」という言い方は京都の人は快く思わないそうです。            

 東山区の六波羅蜜寺。祖霊を迎え入れるため、毎年8月8-10日に行う萬燈会では、本堂に数多くの「大」が現れます。丸い小皿に「大」の字になるように灯心を並べ、火をつけたものが百八組。本尊前にも「大」の字型の棚を置き、火のついた小皿を乗せる。お寺によると、萬燈会の始まりは963(応和3)年夏とか。「大」は地、水、火、風の四元素に空を加えて大自然を表した「五大」を意味し、自然への畏敬(いけい)と祖先をうやまう気持ちを象徴しているそうです。研究者には、この「大」の意味が次第に民衆の間に浸透し、送り火の「大」のヒントになったとする向きも。

写楽の肉筆画が発見される

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写楽の肉筆画がギリシャで発見される

扇面画は端の一辺が17・4センチ。竹を素材とする中国製の「竹紙(ちくし)」を使ったと見られ、署名と花押がある。「忠臣蔵」二段目から、四代目松本幸四郎が演じる加古川本蔵と、松本米三郎による本蔵の娘、小浪(こなみ)を描いている

夕涼み

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「浮世三勢喜 兄弟ノ夕涼」

歌麿

寛政12年頃

9日、久しぶりに近くの川辺を散歩しました。川面を渡る風が涼しく、とは参りませんでした。しかし、国際宇宙ステーションが中天高く北西から飛行してきました。気のせいかいつもより明るく大きく感じました。宇宙ステーションの動きに合わせて視線を東に転じると稲光。遠くから見ると綺麗な物です。

Sc133187fpxobjiip1 エアコン等のなかった江戸時代、こぞって夕涼みに出かけたのでしょうか。江戸の両国界隈の様子はたくさんの浮世絵が残っています。その他有名なのは京都の川床。貴船の川床、鴨川納涼床、高雄の川床、鷹ヶ峯の渓涼床。なかでも鴨川でしょうか。慶長年間の終わりには河原の賑わいが絵巻物に見られます。少なくとも寛永2(1662)年の中川喜雲著「案内者」には納涼床の様子が描かれています。昔は6月7日の神事として祇園会の後から18日までだったそうですが、現在は皐月床から9月の名残床まで楽しめます。

 「都名所之内 四条橋河原夕涼」長谷川貞信長谷川貞信長谷川貞信

Sc130723fpxobjiip1 一方大坂は水の都と言われる通り至る所で楽しめたようです。浮世絵には浪花橋あたりが描かれています。鍋島藩の蔵屋敷があった堂島川の浜は「鍋島浜の夕涼み」といわれ、夕涼みの場所、月の名所として有名でした。あの鴻池善右衛門は川遊びの舟に風呂を誂えたそうです。

「道頓堀芝居町夕すずみ」「中村松江」「澤村国太良」

西瓜

Hokusaisuika1 西瓜図 北斎
宮内庁三の丸尚蔵館
天保10(1839)年

北斎晩年の傑作の一つに数えられています。
その理由はもっぱら技法上の卓越さに由来していました。
輪郭線抜きで西瓜や包丁を描き、材料それぞれの質感をも巧に表現しています。曲がりくねった皮や鋭利な刃先を手前に向けた画面構成も印象的です。

しかし近年この絵が見立て絵であるとして注目されています。
七夕の絵だそうです。
宮内庁所蔵であるのは、時の帝の命により制作されたものだからです。
宮中での七夕の行事である「乞巧奠」(きっこうでん)を画題として。
半分に切られた西瓜は盥すなはち星あいを表わし、紅白の西瓜の皮は糸の七夕飾り、種は星、包丁は天の川でその白点は織姫星と彦星。

1861年の「禁中近代年中行事」には乞巧奠の様子を次のように書いています。
「御座所の庭に枝付きの竹を二間四方に立て、上に小縄を四方に引き、御前に面する側の縄に絹糸をかけ、・・・・。高机を置き、その上に針糸、扇、笛、また皮が赤く丸いあこだ瓜の輪切りを七つ、・・・。御殿の縁側には薦をしいて角盥に水を入れ・・・。」

北斎の西瓜図としては北斎館に半分に切られた西瓜を描いた物があるそうです。
また最近フランス国立博物館から里帰りした、」二代載斗作と推定される「西瓜の陸揚げ」も記憶に新しい所です。

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江戸時代の西瓜は現在のような甘さはなかったようです。    『本朝食鑑』(1697)には、西瓜を半分に割り、果肉をえぐって砂糖を入れ、暫くおいてから食べる方法が書かれています。

豊国

十二月ノ内 水無月 土用干

七夕 大はしあたけの夕立

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「名所江戸百景 市中繁栄七夕祭」               

広重

江戸百の秋の部の巻頭を飾る一枚です。

星あひのささかに掃かむ粕でっち (丁稚)

                                                     敬雨(祇空)が小咄にあるような句を詠んでいます。                      夜空の星を弟が箒で落とそうとしているのを見て、兄がそれでは星に届かない。ものほし棹を接ぐか物干し台に登れと。それを見ていた親が、「さすがに兄はしっかりしている」。                                                  「ささかに」は蜘蛛のこと転じて織姫星。この7日は旧暦7月7日、七夕です。       

物干し台から江戸の七夕を眺めている人がいます。ヘンリー・スミスによると江戸百の「市中繁栄七夕祭」 は大鋸町の広重の自宅からの眺めだそうです。広重は嘉永2(1849)年以来、中橋狩野新道に居を構えました。狩野安信を祖とする中橋狩野派の屋敷の隣です。江戸百は安政の大地震後の復興の様子を描いたものと云われています。絵の下の方に描かれている蔵、「四方蔵」と知られた南伝馬町の蔵です。地震後は空き地であったのが復興した様子が見て取れます。遠くには火の見櫓も描かれています。広重が火消同心として勤務した八代洲河岸の屋敷の櫓だそうです。

Sc131526fpxobjiip1 この絵と同じような広重の絵がもう一枚。        「不二三十六景 大江戸市中七夕祭」。            これは嘉永5年(1852年)の作、「市中繁栄七夕祭」は安政4年(1857年)。蔵の様子に違いがあります。

旧暦の7月7日の月は上弦。                 西に傾く半月を船に見立てることもあったようです。                     月の船が山の端に隠れると夜空の真ん中に
天の川が浮かび上がり、その両岸に織姫と彦星が輝く・・・。                 

七夕は旧暦に限ると思えてきます。

写楽の肉筆扇面画、ギリシャの美術館で発見

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江戸時代の浮世絵版画の巨匠、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の肉筆扇面画がギリシャ・コルフ島のアジア美術館に所蔵されていたことが分かった。

 小林忠・学習院大教授ら国際学術調査団が真筆と鑑定した。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を題材にした役者絵で、浮世絵版画の世界から姿を消した直後の筆と見られる。写楽の肉筆作品は極めて少なく、謎の多い絵師の実像に迫る一級の手がかりとなる。

 扇面画は端の一辺が17・4センチ。竹を素材とする中国製の「竹紙(ちくし)」を使ったと見られ、署名と花押がある。「忠臣蔵」二段目から、四代目松本幸四郎が演じる加古川本蔵と、松本米三郎による本蔵の娘、小浪(こなみ)を描いている。

 調査団によると、2人がこの父娘を演じた上演記録から、1795年(寛政7年)5月の舞台に基づく絵と推定される。写楽が役者絵などを発表した期間は約10か月で、同年初めには浮世絵版画の制作をやめているが、その後も肉筆画は描いていたことになる。

 真筆と判断した根拠について、小林教授らは、〈1〉役者の表情のとらえ方や繊細な彩色など、オリジナルな表現の質を備えている〈2〉通常、浮世絵に描かれない場面を取り上げており、場面の選び方がユニーク--などの点を挙げている。

 コルフ島のアジア美術館は、19世紀末から20世紀初めにかけて、ギリシャの外交官グレゴリオス・マノスがパリやウィーンで買い集めた日本などの美術・工芸コレクションを所蔵している。今回の扇面画もマノスの収集品。近年、同館のコレクションが日・英の研究者に知られるようになり、7月下旬、絵画・陶磁器などの調査団が訪れた。

 小林教授は「版画では役者の表情を強調し、奇をてらうイメージもある写楽だが、この肉筆画では抑制された筆致を見せている。彼の表現の本質や実像をとらえ直す上で、重要な作品となる」と話している。


最終更新:8月4日3時8分  読売

第一報は7月23日だったようで、写真のキャプションも当初は下記だったようです。      肉筆扇面画の画像もあったのでしょうか。残念見損ねました。

(上)コルフ島のアジア美術館で見つかった写楽の肉筆扇面画。右が松本幸四郎。墨書は写楽以外の筆で、「五代目」とあるのは誤記と見られる(下)扇面画に見入る小林忠・学習院大教授(左から2人目)ら(7月23日)

NHKニュース (7月23日)8時14分

東洲斎写楽といえば、表情豊かな役者絵の版画で世界的に知られる江戸時代の浮世絵師ですが、これまでで最も新しい時期の写楽の肉筆画が、ギリシャの美術館に保管されていたことがわかり、「謎の絵師」の活動の実態に迫る新たな手がかりとなりそうです。

この肉筆画は、江戸時代の日本の美術作品が数多く収蔵されているギリシャ西部のコルフ島にある「アジア美術館」に保管されていたものです。幅50センチほどの扇に江戸時代に活躍した歌舞伎役者の4代目・松本幸四郎と松本米三郎が、「仮名手本忠臣蔵」の一場面を演じる姿が描かれています。先月、学習院大学の小林忠教授をはじめ日本の浮世絵研究者たちが現地でこの絵を鑑定した結果、筆の運びや色づかい、それに作者を示す「花押」の形がほかの作品と一致していることから、写楽の肉筆画と見て間違いないということです。写楽は正体をめぐる論争が長年続いている「謎の絵師」で、その肉筆画はきわめて少なく、特に役者を描いた肉筆画の発見は初めてだということです。また、写楽の活動は1795年、寛政7年1月が最後とされていますが、この肉筆画に描かれた舞台が上演されたのは記録によると寛政7年5月でした。これまで考えられていた活動期間が4か月延びることにもつながり、写楽の活動の実態を探るうえで新たな手がかりとなりそうです。見つかった肉筆画について小林忠教授は「表情が非常に柔らかで、本物としか考えられない。一筆一筆に画家の息遣いが伝わり、版画とは別の表情が感じられる」と話しています。

ゴッホの絵画に隠れた肖像画、X線分析で再現

L_ah_gogh アムステルダム(AP) オランダとベルギーの科学者が新技術を駆使して、19世紀の巨匠ファン・ゴッホの絵画に隠されていた別の作品を再現することに成功、30日に学術誌に発表した。

新技術を開発したのはオランダのデルフト工科大学とベルギーのアントワープ大学の研究者。当時の顔料に関する知識とX線技術を組み合わせた手法で、ゴッホが1887年にパリで描いた作品「Patch of Grass」(オランダのクレラー・ミュラー美術館所蔵)を調べた。

その結果、草原を描いた作品の下に、女性の肖像画が隠されていたことが判明。この肖像画の精細なイメージをカラーで再現することに成功した (17.5×17.5センチ)。

これまでにもX線を使って隠された絵画を調べる技術はあったが、ぼんやりした白黒画像しか再現できていなかった。

Van_gogh__patch_of_grass_2 専門家によると、肖像画の女性は,1885年の名画「ジャガイモを食べる人々」に連なる作品で描かれている人物と同じモデルと見られる。ゴッホは1884年11月から85年3月の間にオランダでこの肖像画を描き、そのカンバスをパリに住む弟のもとに送って、後に自分もパリに移って「Patch of Grass」の作品を上書きしたという説が有力だ。

ゴッホは1890年に死去するまで貧しい生活を強いられ、節約のため一度描いた作品を塗りつぶして別の作品を書き直すことも多かった。現存する作品の約3分の1は別の作品が下に隠されているとされる。

研究チームが使った手法は、シンクロトロン放射光を使った蛍光X線分光法。絵画の隠れた層を発見するのには、たいてい従来のX線検査などが用いられているが、それには限界があるため異なるアプローチを採用したという。蛍光X線分光法では絵画の層の蛍光性を測定する。蛍光性はそれぞれの化学元素に固有なので、原子の種類(鉛や水銀など)や顔料を個々に描けるという。さらにシンクロトロン放射を使うことで、上の絵画層による測定のゆがみを抑えられ、また測定が高速になると研究者は説明している。研究チームはドイツにある粒子加速器を使って隠された画像の金属原子の二次元分布図を作成。赤い顔料には水銀原子が、黄色の顔料にはアンチモン原子が含まれることが分かっているため、この分布図をもとに隠された画像をカラーで再現できたという。

研究チームはレンブラントやピカソなどの作品もこの手法で調べたい意向だが、粒子加速器が世界に数台しか存在せず、オランダにはないことから当面は難しい見通しだ。

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