八朔
江戸新吉原八朔白無垢の図
三代歌川豊国
文政(1818~29)末期
八朔。明日31日が旧暦8月1日です。古来農耕上の嘉日とされていたようです。
天正18年(1590)の八朔に徳川家康が駿河から始めて江戸城に移ったことに由来し、 江戸時代には正月と並ぶ重き日であったそうです。 その日家康は白装束に身を固め、半分水没している城の真ん中に立ち、天下の統一を心に誓ったとか。
以来、八月一日には城中においては諸大名が白帷子(裏をつけない夏用の衣服)を着て登城し、挨拶を行うなど様々な儀式が営まれたようです。
「八朔の暮は 五丁の 雪明り」
そして吉原においても遊女が白無垢を着用したとか。
そのいわれとして有名な故事があります。 元禄の頃巴屋源右衛門方の高橋という太夫が瘧(おこり)(マラリアのこと)で臥せってしまいました。しかし、八朔に馴染みの客と逢うことになっていた彼女は、無理を押して病床着の白い小袖姿で揚屋入りをし、約束を果たした。その心意気のみならず、凛とした白無垢姿の美しさに多くの人々が感動をした由。その翌年巴屋のすべての遊女がそれに倣い、以降他家でも定着したようです。
八朔之図 歌麿
八朔と浮世絵の関わりといえば初代広重。
幕府が天皇に神馬を献上する八朔御馬進献に広重が随行京都へ行ったという話です。
そしてその証拠とされる絵が「東海道五十三次(保永堂版)藤川・棒鼻ノ図」。
しかし8月の旅で、冬でもほとんど雪の降らない「蒲原」を大雪の絵にしたり、石製の京都三条大橋を木製に書いたりとその信憑性が疑われています。
元々この話の出所も三代広重が酒屋の主人から聞いた話とか。
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