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2008年9月

第1回絵画共進会

Sc162669fpxobjiip1 藤原保昌月下弄笛
月岡芳年
                          

                         

                         

                         月夜の市原野、無の境地で笛を吹く保昌、それを付け狙う袴垂。
今昔物語の説話が元になっています。
藤原保昌、またの名を任地因んで平井保昌。武勇に秀いでて、源頼信・平維衡・平致頼と共に「道長四天王」と呼ばれました。酒呑童子退治等に名を残しています。
和歌にも才能を見せ笛も良くしたようです。
その保昌が彼女から御所の紫宸殿前の紅梅を手折ってほしいという難題を出されます。苦労して一枝手折ったものの,警護の北面の武士に見つかり矢を射かけられます。ざんばら髪になりながら何とか持ち帰ります。その姿をモチーフにしたのが祇園祭の保昌山。彼女の名前が和泉式部、恋多き女性です。
保昌山の護符は縁結びにご利益があるそうです。

明治維新を迎え美術界おいても混沌とした有様でした。まだ「美術」という概念も確立していませんでした。「美術」という言葉もドイツ語のkunstgewerbeの官製の訳語です。元来が工芸の意味だったためか、当時は絵画や書も工芸の一部としての捉えられていました。
そうした中、1882年5月にフェノラサが絵画の優位性を論じたり、小山正太郎と岡倉天心が書の芸術性を問うたりしています。
この絵はこの1882年に開催された第1回絵画共進会に出され、好評を博したため浮世絵として出品された物です。
この展覧会は西洋画法による絵画、パネル状以外の形態の出品は認められませんでした。絵画を平面表現としてより純粋に追求していくきっかけでもあったようです

ガラスの森

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2008年度ベスト・サイエンス・イメージ
写真部門第1位:『ガラスの森(The Glass Forest)』

伊藤若冲  菜蟲譜 

伊藤若冲
《菜蟲譜(さいちゅうふ)》

江戸時代中期の京都の青物問屋に生まれ育ち、近年ますます多くの人を惹きつけている画家・伊藤若冲の晩年期の作品です。11メートルにおよぶ巻物をひもといてゆくと、前半には四季の野菜や果物が、後半からは昆虫や爬虫類などの小さないきものたちが次々と現れます(野菜・果物等約100種、昆虫等約60種)。かれらのどこかユーモラスな姿からは、若冲の慈しむようなまなざしが感じられます。
巻頭には大坂で書家として知られたらしい福岡撫山(仲国、生没年未詳)による題字、巻末には大坂の著名な詩人・細合半斎(1727-1803)による跋文があります。
栃木県立美術館で今秋開催の「朝鮮王朝の絵画と日本-宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美」(平成20年11月2日[日]-12月14日[日])にて、菜蟲譜が展示されます。
ただし、同展は全国4館に巡回しますが、《菜蟲譜》は栃木会場のみで展示されます

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「朝鮮王朝の絵画と日本-宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美」
http://korean-art.org/Exhibition.html

2008年11月  2日-12月14日 栃木県立美術館
2009年  2月17日-  3月29日 静岡県立美術館
2009年  4月17日-  5月24日 仙台市博物館
2009年  6月  5日-  7月12日 岡山県立美術館

東京見聞録:浮世絵づくり                        

           木版画の技術を見学 /東京

 江戸庶民の文化の精華となった美術品は浮世絵をおいて他にない。人物や風景の特徴をとらえ、色彩豊かに表現する木版画だ。だが、明治以降の近代化で浮世絵が忘れ去られ、木版画の技術も廃れていった。逆にモネやゴッホといった海外の画家に影響を与え、日本の誇るべき芸術作品として見直されている。この技術を受け継ぐ活動に取り組む「アダチ伝統木版画技術保存財団」(新宿区下落合3)が開いた実演会を見学した。【木村健二】

 ◇漫画やアニメの原点

 摺(す)り師の仲田昇さん(72)が作務衣姿で作業台に座った。この道に進んで50年以上になる。黙々と版木に絵の具を塗り始めた。会場のショールームに緊張感が張り詰める。実演会に参加した23人が台を囲む。その視線が、仲田さんが動かす手先に集まった。

 今回の作品は歌川広重の「月に雁(かり)」。広重と言えば、「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などの風景画がよく知られているが、「月に雁」は花鳥画の名作だ。中短冊(縦約38センチ、横約13センチ)といわれるサイズで、一般的な大きさの大錦に比べて横が半分の長さになる。

 仲田さんが右手のバレンに力をこめて和紙を版木にこすりつけると、まず白黒の3羽の雁が浮かび上がった。版木を替えては絵の具を塗って、紙に摺り込む作業を繰り返し、だんだんと色が付いてくる。

 ハイライトはあい色のぼかしで夜空を表現する部分で、摺り師の腕の見せどころだ。手ぬぐいで版木を水にぬらし、特殊なハケで絵の具をのばして微妙な濃淡をつける。ぼかしを入れることにより、単調にも見えた画面が一気に引き締まった。

 「私たちは芸術家ではない。同じことを毎日繰り返す中で個性が出てくる」。同財団の安達以乍牟(いさむ)理事長(78)が、摺り師の技について解説した。版画は商品としては同じものでなければならないが、「同じ見本画を見せて、同じ力の人たちにお願いしても、少ない幅の中で個性が出る」と話す。

 最後に朱色の判を摺って完成。自然と拍手がわいた。10面の版木を使い、摺り始めから約45分で4枚の浮世絵が仕上がった。友人と訪れた東村山市の20代の女性会社員は「浮世絵は1枚の版木で摺られるものだと思っていたので、びっくり。至近距離で作業を見られて貴重な機会になりました」と感心していた。

 ただ、これは実演会向けの工程だ。仲田さんが販売する商品100枚を摺る場合、摺り上がりまでには8日間はかかるという。商品100枚のほかにも、色を整えるために余分に10枚は摺る。摺り師は体力勝負の仕事でもある。

 かつての浮世絵は、絵師、彫り師、摺り師がそれぞれ仕事を請け負い、版元がまとめ役になっていた。しかし、浮世絵市場の衰退に伴って職人が独立して仕事をするのは困難な時代を迎えた。このため、同財団を設立した「アダチ版画研究所」では製版、印刷、版元を一体にした経営を進めてきた。彫り師、摺り師ら計15人の従業員を抱え、伝統的な木版画技術の継承と発展に努めている。

 実演会の開催もその一環だ。同財団が2カ月に1回ほどのペースで開いている。定員30人で予約が必要だが、入場無料というのに心意気を感じる。

 安達理事長が広重の作品に触れながら言った。「日本の絵の良さは、自分の表現したいことは表現するけれども、表現したくないことは表現しない。飛んでいる鳥、周りのものは写実風に描いてあっても、写実ではない。そのつながりが漫画だと思う」。現代日本のソフトパワーを代表する漫画やアニメの原点に浮世絵がある。知識はあったが、職人の技を間近に見てこそ実感できた。そんな歴史も頭に入れて、じっくりと浮世絵を味わっていきたい。

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 ■メモ

 ◇財団が賛助会員募集中

 アダチ版画研究所が制作する浮世絵は、1枚1万3650円(専用額付きで2万6250円。いずれも税込み)からで、手に入れやすい価格になっている。浮世絵ばかりでなく、中島千波氏ら現代の日本画家による版画も手掛けている。また、アダチ伝統木版画技術保存財団では事業を支援する賛助会員を募っている。単年度の会費は2万円を1口に個人が1口以上、法人が5口以上。問い合わせは、同財団事務局(03・3951・1267)へ。

錦絵誕生

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雨中美人
鈴木春信

                              

                               

                              

                                

                              

                              

                              

                              

                                                     

前回の続きで錦絵誕生の経緯を少し。
江戸も下って貞享2(1685)年、渋川春海によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。「貞享の改暦」です。これ以降年中行事や吉凶などの歴注が統制されます。陰暦では毎年大小月が変わり、時には閏月が入ります。晦日の支払いなど日常生活に欠かせないため、月の大小だけを記した暦が普及します。粋な江戸っ子は単に数字を使うのは野暮と、趣向を凝らすようになります。さらに富裕層ではそれを年始の挨拶で交換するようになり、品評会まで催されます。その「大小の会」の中心人物だったのが旗本大久保忠舒(ただのぶ)。俳号巨川(きょせん)です。
彼は西川祐信のファンであり、祐信の直弟子だった鈴木春信を引きいれます。
江戸に戻った春信、最初は米沢町後に神田白壁町に引っ越し終の棲家とします。(時代は違いますが米沢町には歌川国直、小林清親が住み白壁町には重田蘭渓などが住んだことがあります。)
その町内にいたのが平賀源内。豊富な巨川の資金を元に二人で工夫を重ねます。彫りの天才遠藤五録、刷りの名人小川八調も加わります。その結果明和2(1765)年の年始の会に登場したのが「雨中美人」。多色摺り版画「錦絵」の登場です。巨川はその版木を版元達に売り、版元は重版し一般に売り出し錦絵は広まります。
「雨中美人」は乾してある着物に大小の月が書かれています。
明和2年の暦をもう2枚。
1枚目は女歌仙 「紫式部」。これは解り易いと思います。
今ひとつは作者不詳ですが「花売り」。小の月が隠されています。
明和2年は1,4,7,9,11,12月が小の月です。
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千葉市立美術館館長の小林忠さんは、かっての春信展の解説で春信を
「絵筆を持つ詩人」、そして「白の魔術師」と評しています。
春信は版画において上質で厚手の奉書紙を使っています。
そのふっくらとして白い地をそのまま使い、
女性の肌、梅の花、そして降り積もる雪などを巧に表現しているからです。
特に夜の闇に浮かぶ白の美しさは格別です。
多色摺りを得て、逆に白の持つ表現力、何も書かない「虚」の重さを感じさせます

今日はお彼岸の中日。
お彼岸は仏教行事ですが日本独特のものとか。
てっきり宗教的に定められていると思っていました。
しかし実際は為政者の改暦により彼岸も変えられています。
江戸時代前半まで使われていた宣明暦・貞享暦では、彼岸の入りは春分・秋分の日から数えて3日目。寛政暦では昼夜等分になるようにそのつど決められていました。
天保暦から現在のようになったそうです。

狂月坊

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開館60周年 記念貴重書展

Ⅰ国立国会図書館東京本館 新館1階展示室
 平成20年10月16日(木)~29日(水)
Ⅱ国立国会図書館関西館 地下1階大会議室
 平成20年11月13日(木)~26日(水)

概要
http://www.ndl.go.jp/exhibit60/index.html
展示資料一覧
http://www.ndl.go.jp/exhibit60/list.html

この展示会は10月中旬から電子展示会としても公開する予定です

狂月坊
紀定丸撰 喜多川歌麿画 江戸 耕書堂 寛政元(1789)刊 1冊 25.7×19.1cm

狂歌絵本。書名は刷り題簽による。序題は「狂月望」。望月をテーマに描いた5枚の画を収録し、狂歌72首を掲げる。耕書堂蔦屋重三郎が贅を尽くして刊行したもので、雪景色の『銀世界』、花見を描いた『普賢像』とともに、喜多川歌麿(1753-1806)の雪月花三部作の一つ。繊細な空刷りや微妙な色合いが刷り出され、わが国多色刷り印刷の傑作である。書名の「狂月坊」は、狂歌の祖と伝えられる暁月坊(冷泉為守。1265-1328)にちなんだともいわれる。展示本は初刷本。表紙は改装されているものの、全丁揃い。完本は、国内では東洋文庫、慶応義塾大学など、所蔵機関が少ない

 寛政元年(1789)蔦屋重三郎が刊行した彩色刷狂歌絵本。「月」をモチーフとした狂歌72首に喜多川歌麿(  -1806)の画をおさめる。『銀世界』(雪)『普賢像』(花)とあわせて雪月花三部作をなすもののひとつ。画帖仕立。灰色地白色水玉模様の表紙、背は薄茶色の薄い紙で包まれる。表紙および背は後代の補装。原題簽。書名は題簽による。本書の題簽には「狂月坊」、「狂月望」の2種類があり、「狂月望」の題簽をもつものは後刷本である。本書は「狂月坊」と題簽があるもので、刷りが美しい初刷本である。同種本は国内では他に、東洋文庫、慶応義塾大学図書館が所蔵する。掲載本の彩色、空押し等の状態は東洋文庫本とよく似ている。なお、国外では大英博物館が「狂月坊」の題簽が付された初刷本と、「狂月望」と題簽の付された後刷本とを所蔵する。

V&A管美術館所蔵展でも同じ絵が開かれていました。
一番できがいいのでしょうか

そのほか
吉原傾城新美人合自筆鏡 北尾政演画

カナダ

Andohiroshige Masters of the Ukiyo-e
Art Gallery of Hamilton.
~9.28

                                   

                                   

A quintessential Japanese historical art form, ukiyo-e ("pictures of the floating world") are colour woodblock prints that represent subjects ranging from brothel scenes and legendary episodes to landscapes and urban views.

Masters of the Ukiyo-e features more than a dozen ukiyo-e prints from the AGH collection, including images of the geisha, the Kabuki actor, and the sumo wrestler; episodes along the Tokaido Road; and snow and river scenes. In addition to the work of 19th-century masters like Ando Hiroshige (1797–1858) and Utagawa Kunisada (1786–1864), the exhibition presents a few examples by talented artists who continued the ukiyo-e tradition into the next century, such as Hiroshi Yoshida (1876–1950) and Kiyoshi Saito (1907–1997)

水絵

Sc150908fpxobjiip1 「寄雪恋」(冬の山谷船)
春信

                                

                                  

                                

                                      

                              

                              

                              

                                

                              

                              

                                       

                              

                              

先日のSpaulding Collectionを扱ったNHKスペシャル。
クローズアップされた3人の絵師、二人目は春信でした。
ボストン美術館には322枚所蔵されており、これは最多のコレクションです。
大和絵の修行のため上方で西川祐信に師事した春信、宝暦10年頃江戸に戻ってからはもっぱら版下絵や紅摺りの美人画を描いていました。
赤と緑の2色では人物を描くのが精一杯、背景は地のままでした。
そうする内、明和2(1765)年「座敷八景」シリーズを発表します。
錦絵の誕生です。
10色以上の多色摺りです。これにより人物だけでなくその背景も表現できるようになりました。

その前年明和元年の極端に色彩の淡い7枚の作品が確認されています。
普通墨で描かれる輪郭などに露草が用いられています。
水絵です。柔らかな印象をかもし出し、古典や故事を題材にした作品が多い事もあり、閑雅な趣を伝えています。昨年のギメ展での春信「汐汲み」を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
露草は劣化しやすく残る事が稀で、これまで知られていた絵は、帯の柄が消えたり当初の色調とは異なった状態の作品がほとんどでした。ボストンの所蔵品の保存状態の良さが、改めて絵師の意図を蘇えらせたようです。
露草といえば歌麿は紅を混ぜ独特の紫を使ったことが、以前のNHKスペシャルで紹介されたようです。
トップ画像、実らぬ恋と知りながら通う男の切なさが、一面の銀世界に表現されています。当初は鮮やかな全面の青がいっそう際立たせたことでしょう。
春信は色彩の多様さの可能性をこれらの水絵7枚で実感、錦絵へと発展させていったようです。

2枚目の作品は「近江八景之内 唐崎夜雨」。
これには水絵と紅摺り絵など異なる4つの版があるそうです

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歌麿の「歌撰恋之部 物思恋」はいくら?他の浮世絵はいくら?

9月18日の注目のオークション、歌麿の「歌撰恋之部 物思恋」は値が付かなかったようです。 結果欄のリストには載っていません。                                                      
詳しくは
http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=21660#action=refinecoa&intSaleID=21660&sid=757185c4-a2bb-48ad-bc3c-734891f3db93&selectedids=8918|518
                                                             
D5114749l_2 伊藤若冲の”Hawk on a blossoming plum branch ”           
 362500ドル。
                                                      
                                           
                                          
                                       
                                       
                                       
                                          
                                        
                                          
                                       
                                        
                                          
                                       
                                        
                                         
                                        
                                        
                                       D5114726l_2
                              鍬形蕙斎「江戸名所之絵」                 
110500ドル。       
                              
                              
                                  
                              
                              
                                   
D5114672l_3 D5114682l_2  
                                  
                                   
                                       
                 
                
                
                
                 
                    
                     
                       
                     
                        
広重「六十余州名所図絵 阿波鳴門の風波」6875。
                                                          

                 

                                  

  北斎「詩歌写真鏡木賊刈」25000ドル。          

                                           

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川瀬巴水「東京十二ヶ月 谷中の夕映」7500ドル。

Brigham Young University

Windows on a Hidden World: Japanese Woodblock Prints
                    from the BYU Collection


September 26, 2008 – January 17, 2009
Warren & Alice Jones and Paul & Betty Boshard galleries (lower level)

When Japan opened its doors to the outside world in 1854 after two centuries of self-imposed isolation, it disclosed subtle and mysterious beauties. This island kingdom held rugged coastlines, wooded mountains, and picturesque villages. It was also the home of a distinctive culture with sumptuous styles of dress, elaborate architecture, and spectacular theatrical entertainments.

For most Europeans and Americans, their first glimpses of this hidden world came through a distinctively Japanese art form — colorful woodblock prints called ukiyo-e (oo-key-yo-eh). Throughout the eighteenth and early nineteenth centuries, Japanese artists had developed techniques for multi-color printing with which they created elegant images of people and places in their homeland that could be reproduced by the thousands. In Europe and America, collectors and artists of the late nineteenth century marveled at their subtle delicacy. These evocative images inspired the experimentations of artists like Manet, Monet, Degas, Cassatt, Whistler, and Van Gogh. Many of these prints entered the collections of major museums on both sides of the Atlantic.

The Brigham Young University Museum of Art is fortunate to have more than a hundred examples of Japanese woodblock prints, including dozens of works by recognized masters of this art form. Most of these prints were collected by J. Alden Weir, a leading American Impressionist painter, in the late nineteenth and early twentieth centuries. His collection passed to his son-in-law, Utah-born artist Mahonri Young, and through his heirs to Brigham Young University.

One outstanding print in the exhibition depicts a vista through the gates of a famous Buddhist temple in Edo (Tokyo) while snow gently falls. Titled The Kinryuzan Temple in Asakusa, this design was created in 1856 by Hiroshige (Ando Hiroshige, 1797-1858), the last of the great masters of classic woodblock printmaking. The sides of the gate and the large lantern overhead frame the more distant view of worshippers approaching the temple, its brilliant red walls contrasting with the thickly layered, spotless snow. Although the bright pure colors, the careful geometric composition, and the lack of shadows make the picture more a decorative two-dimensional pattern than a realistic scene, we nevertheless see it as a convincingly real place with a distinct mood. It seems that the temple gates have just opened to give us a glimpse of a quiet, reverent place in a pristine world.

http://cfac.byu.edu/index.php?id=1635 

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  この展覧会の紹介記事
DESERET NEWS 
http://deseretnews.com/article/1,5143,700258298,00.html?pg=2 

画像 豊国

ベルリン国立アジア美術館

ベルリン国立アジア美術館

Utagawa Hiroshige: Landscape woodcut prints
2008.5.30~10.5
http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=17187&lang=en&typeId=10&n=1

の紹介記事

THE WALL STREET JOURNAL 2008.9.12
http://online.wsj.com/article/SB122116830413825099.html?mod=googlenews_wsj

Berlin art
Japan's Edo period, from 1603 to 1868, was one of transition from feudalism to modernity, symbolized by the changing role of the samurai, Japan's medieval warrior caste. No one chronicled the latter stages of this period with such skill and subtlety as the painter and printmaker Utagawa Hiroshige (1797-1858).

Born into a samurai family of minor government officials, Hiroshige became a master of the "ukiyo-e," or "pictures of the Floating World," woodcut prints depicting the sophisticated pleasures of pre-industrial Edo (then the name for Tokyo). This "Floating World" is a Japan of teahouses, geisha and Kabuki, but in Hiroshige's unique renderings, it is also a transcendent vision of everyday events and familiar landscapes -- a vision that would strongly influence European modernism only a few decades later.

Both Van Gogh, who owned around 400 Japanese prints, and Monet were followers -- at times, even imitators -- of Hiroshige. Twenty of Hiroshige's landscapes are on view in a beautiful exhibition at Berlin's Museum of Asian Art, "Hiroshige: Landscape Woodcut Prints."

In the early 1830s, the subject matter of Japanese woodcuts began to shift from geisha girls and Kabuki actors to famous sites in changing seasons. Hiroshige's older rival, Hokusai, had a great success with his series from the period, "Thirty-Six Views of Mount Fuji." Hiroshige, after taking a journey from Edo to Kyoto in 1830, produced his own successful series a few years later called "Fifty Three Stations of the Takaido," several of which are on view in the Berlin show.

Unlike Hokusai, who used dramatic colors and exaggerated shapes, Hiroshige produced something like genre scenes set against delicate landscapes. In "Bridge over River Toyo," from his Tokaido Road series, a remote bridge, given minute detail to suggest its distance, is contrasted with a small group of indifferent workers hanging on a building scaffold. In another early work, "Evening Rain at Karasaki," a rainstorm is rendered in thickening straight lines, and the emptied garden is gray, black and white. In a later, mysterious work, called "Moon Cape" (1857), from his series "One Hundred Famous Views of Edo," a teahouse illumined by lamps overlooks a bay made bright by a harvest moon. In the center are plates of an unfinished meal, and from the corner we can just make out two figures, probably geisha, who are falling asleep. The atmosphere is both Vermeer-like and Van Gogh-like -- a fading, ordinary moment, given one last burst of description.

—J. S. Marcus

ボストン美術館 浮世絵コレクション

「浮世絵コレクションの収蔵品デジタル・カタログ化プロジェクト」

■講師: ボストン美術館キュレーター Sarah Thompson

■日時:2008年10月8日(水)午後6時~8時

■場所:慶應義塾大学三田キャンパス 東館6階グローバル・スタジオ

■定員:80名(申し込み先着順)

■参加無料

詳しくは
http://museum.dmc.keio.ac.jp/

「江戸名所之絵」

Img004_2  「江戸名所之絵」
鍬形恵斎
享和3年

                         

                         

                              

                         

                                                     先日青春18切符で姫新線を楽しんで来ました。
途中、津山郷土資料館と新見美術館を訪れました。
目的の一つは鍬形恵斎の「江戸一目図屏風」を見る事。
寛政6(1764)年に恵斎は津山藩のお抱え絵師となります。浮世絵師が御用絵師になるのは非常に稀なことのようです。
老中松平定信との親交の深さが買われたこともその理由のようです。
老中松平定信といえば浮世絵に規制を加えるなど、浮世絵界とは因縁浅からぬ人物ですね。
恵斎は後の文化7~8(1810~11)年に津山を訪れ、焼失した津山城再建本丸の襖絵などを手がけています。
その中の一点が「江戸一目図屏風」。 元々襖絵だったようです。
その基になったのが「江戸名所之絵」。                             江戸の東、墨田川の本所上空から江戸城・江戸市中・同郊外を望む鳥瞰図です。
太陽が西にあり、日没寸前の時刻ということになります。
江戸名所200余りの地名や料理屋、商店が書きこまれているそうです。
この絵に似たような物をどこかでご覧になったことはございませんか。
Toukaidoumeisyoitiran そう北斎です。「東海道名所一覧」、これは文政元年  (1818)年の作ですから北斎の方が後ですね。
また恵斎は寛政七(1795)年 に「畧画式」を発表しますが、その20年後には北斎の「北斎漫画」が出版されます。
                                  斎藤月岑(げっしん)の「武江年表補正略」寛政年間記事を見ると

北斎はとかく人の真似をなす、何でも己が始めたることなしといへり。是は「略画式」を恵斎が著はして後「北斎漫画」をかき、又紹真(つぐさね)(恵斎のこと)が「江戸一覧図」を工夫せしかば、「東海道一覧の図」を錦絵にしたりなどいへるなり。

先日のNHKスペシャルで、「当時他の絵師の図柄を無断で借りる事は一般的」とのコメントがありました。 しかし快くは思われてなかったようですね。
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新見美術館、横内正弘氏のコレクションを寄贈を受け充実した内容です。
富岡鉄斎《武陵桃源図》 児島虎次郎《ノールウェイ風景》 金重陶陽《緋襷銚子》
富岡鉄斎《十六羅漢像図》 児島虎次郎《婦人像》
その他日本画だけでも横山大観、富岡鉄斎、平山郁夫、堂本印象、上村松篁、川合玉堂、竹内栖鳳ら。

で、その感想です。ありません。一点も見られませんでした。
「江戸一目図屏風」も新見美術館の所蔵品も展示されていませんでした。
お出かけの節はよくご確認を。

中秋の名月

U0157700月百姿 石山月
月岡芳年

                                                                      

                                                                  

                                                                      

                                                                        

                                                                      

                                                                                                                                          

                                                                      

この14日は中秋の名月(仲秋とは意味合いが異なるそうです)。
今年は「源氏物語」千年紀。
紫式部は近江石山寺で着想を得、湖水に映る月を眺めながら、『源氏物語』を書いたと伝えられたいます。
古来月の名所と言われる須磨、明石に光源氏も赴き月を見上げます。

月のいとはなやかに出でたるに、今宵は十五夜なりにけり、と思し出でて、
殿上の御遊び恋しく、所どころながめたまふらむかしと、思うひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。
「二千里外個人心」誦じたまへる、例の涙もとどめられず。
とあり、入道の宮(藤壺)を思い出し

見るほどぞしばしなぐさめぐりあはん月の都は遥かなれども

と詠んでいます。源氏26歳、哀愁の名月です。

江戸での月の名所は隅田川、高輪、品川、中洲などが「東都歳時記」に挙げられています。
少し離れて武蔵野の立野。
立野のみ旧名を存するといへどその地定かならず、とあるように
江戸時代既に具体的な場所が不明になっています。
或いは府中と国分寺の間の富士見塚がそうではないかと想われますが、いずれにしろその風情は失われているようです。

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 諸国名所 武蔵野 魚屋北溪

余談ですが、14日は月齢14.3 満月は15日です。
暦は天文学的満月とどうしても誤差が出ます。
一昨年は閏月もあり10月6日と少し遅めの名月でした。
月は自転周期と公転周期が同じ27.3217日なので、いつも同じ面を地球に向けています。
地球から一体、月の表面のどれぐらいを見られるのでしょうか。
半分50%ではなく、もう少し59%だそうです。
月の軌道が楕円であるとか、月の自転軸も傾いているために起こる秤動(ひょうどう)運動のためです。
ですから満月でもその時々で微妙に月の模様は異なります。
薄にお団子はなくとも偶には月を眺めますか。
また14日は無理ですが13日5時前、15日4時15分頃、国際宇宙ステーションが日本上空を通ります。
滑るようにスーと遠ざかっていきます。

20080829014610 旧暦8月15日は富岡八幡宮の祭礼。
今年も54基の神輿が練ったようですが、                   「神輿連合渡御駒番」の画像があります。
縁起を担いで四番と四十二番がありません。
かって自動車のナンバーでは「4」はありましたがやはり 「42」は欠番でしたね

ボストン美術館スポルディングコレクション

Sc172910fpxobjiip1_5市川鰕蔵、碓井荒太郎定光に扮しての暫
国政

                                  

                                           

                                       

                                           

                                  

                                     

                                  

先日のNHKスペシャルご覧になられましたでしょうか?
ボストン美術館所蔵のスポルディングコレクションの素晴らしさが再認識されたのでは。
デジタル画像を基に日本でも作品に様々な角度から検討が加えられているようです。
番組では3人の浮世絵師にスポットが当てられていました。
その中の一人が国政。
来月江戸東京博物館に巡回する「ボストン美術館浮世絵名品展」のポスターになっています。
無類の歌舞伎好きで、役者絵に写楽とはまた違った才能を発揮しています。
二人は共に寛政年間の近い時期に活躍しています。
写楽は寛政6(1794)年5月 ~寛政7(1795)年1月。
(先日ギリシャで発見された肉筆扇面画 により5月まで延びそうです)
一方国政は3期に別れています。  
Ⅰ期  寛政7(1795)年11月~寛政9(1797)年半ば
Ⅱ期  寛政10(1798)年8月~寛政12(1800)年11月
Ⅲ期  享和3年(1803)11月~文化(1804)元年

写楽は蔦屋から鮮烈のデビューを飾ります。一気に28点を発表します。版元としてはまだまだ新興の蔦屋が歌麿で美人画のジャンルを制し、次に狙いをつけたのが役者絵。 国政も新興版元上ヨから出版、人気を博します。   
何故か二人とも後半の評価は初期に比べると芳しくありません。
国政は、役者絵においては師匠豊国をも凌ぐと言わしめる冴を見せます。
しかし美人画、全身の姿絵では今一つだったとか。
別の版元の意向に沿う形では中々その実力を発揮できなかったようです。

同じ時期に登場した浮世絵師に歌舞伎堂艶鏡がいます。
写楽風の7枚の作品しか残っておらず謎の絵師です。大正15年、落合直成が狂言作者の二代目中村重助とする説を出していますが疑問点も。素人絵師の評価しか得ていないようで、「増補浮世絵類考」に役者似顔のみ画たれども拙ければ半年ばかりにして行れずとあります。

三人三様を三代市川八百蔵で

画像1 三代市川八百蔵の田辺文蔵 写楽  1794年
画像2 三代市川八百蔵の梅王丸  国政  1796年
画像3 三代市川八百蔵の薬王丸  歌舞伎堂艶鏡 1796年ごろ

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脳の大きさを制御するメカニズム発見

理化学研究所(理研)は9月5日、「長年の謎だった脳の大きさを一定にするメカニズムを解明することに成功した」と発表した。理研では、「ES細胞(胚性幹細胞)などから分化させた組織や臓器を正しいサイズや形で発生させて移植する技術につながる」と期待しており、成果は、同日付の米国の科学雑誌「Cell」に掲載された。
生物は、一つの受精卵が繰り返し分裂し、細胞を増やしながら多様な細胞や組織を形成する。その発生過程で、脳や心臓など主要な臓器の大きさは、環境の影響を受けず、ほぼ一定で発生し、個体差はわずかという。これは、発生学の歴史の中で大きな謎の一つだった。

 理研発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の細胞分化・器官発生研究グループは、アフリカツメガエルを用いた研究で、脳の発生を促進する神経誘導因子「コーディン」と結合し、その分解を促進するタンパク質「ONT1」を発見。「ONT1」が、「コーディン」の量に応じて、その量を増減し、「コーディン」の量を調整していることが分かった。これにより、「コーディン」の場合、「ONT1」によって活性が一定になり、発生する脳組織の量も一定になることが解明できた。
 また、「ONT1」の機能が消失すると、脳組織の発生の制御が不安定になり、「コーディン」が少し多く働くだけでも、巨大化した脳組織が発生することも突き止めた。

 同グループでは、「脊椎動物の受精卵が分裂を繰り返すだけで細胞の発生が進行する過程で、多様な臓器のサイズがどのようにして自動的に決定されるのかという根本的な生命科学の疑問に対し、一つのメカニズムを提案できた。今回の発見は、自動的に組織を一定にする制御機構の例であり、次世代のより高度な再生医学の発展の上で先導的な意義を持つ」などと話している

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ATENEUM ART MUSEUM

HOKUSAI & HIROSHIGE. ON A JOURNEY TO EDO
5 Sep–7 Dec 2008
ATENEUM ART MUSEUM

http://www.ateneum.fi/default.asp?docId=15681

浮世絵の風景画に絞った展覧会はフィンランドでは初めてのようです
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地球は丸かった

U0012500 「冨嶽三十六景 上総ノ海路」 

北斎

1831年冨嶽三十六景出版開始

                              

                                

                                                     先日佐川美術館で鑑賞した時に感じました。水平線が丸い。
構図上船の曲線と対比させるためでもありますが、地球が丸い事は認識されていると。
何頃から庶民はそれを認識していたのでしょう。

1522年9月6日マゼラン隊が世界一周航海によって、地球が球形であることを実証 しました。
07  その300年後、「周髀算経正解図」という本が文化10(1813)年 に出版されています。著者は石井寛道なる国学者です。石井寛道は 、天は球体で地は平面であるという「周髀説」が正しいと結論付けています。
しかし19世紀初頭の日本には、大きく分けて3つの宇宙論が混在して紹介されていたようです。一つはこの古代中国の宇宙論である「周髀説」。もう一つは、仏教的宇宙論である「須弥山説」。最後は西洋伝来の「地動説」です。
08_4  例えば「圓球萬國地海全圖 」 享和2年(1802)という地図が残されており正に円球となっています。また寛政5年(1794)年には「新制天地二球用法記」が翻訳されコペルニクス説が初めて紹介されます。
                                          

                                          475832560_68 江戸幕府も天文方を設置しますがもっぱら編暦を司ったようです。
天明2(1782)年浅草に天文台が移されますが、その様子を伺えるのが北斎の「富嶽百景 鳥越えの不二」渾天儀や象限儀が設置された建屋の屋根が描かれています。
江戸初期まで「宣明暦」を元にしていましたが、誤差が大きかったようです。
そのため吉宗が西洋天文学を取り入れた暦を作らせたりします。その時活躍したのが麻田 剛立と弟子達。
麻田 剛立は民間人でしたが、宝暦13年9月1日(1763、10、7)の日食を予言 的中させます。しかし計算方法の制度を高めた結果のようで必ずしも地動説などの理解に基づくものではなかったようです。
ケプラーの第3法則にあたる「麻田剛立の法則」も独自の研究成果ではなかったかも知れません。

葛飾に秋の訪れ

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撫子と藤袴

広重

中短冊
37.5 x 12.7 cm

葛飾区の都立水元公園の西側にある「水元さくら堤」で、秋の七草の一つ、フジバカマが見ごろを迎えた。

 区によると、フジバカマの自生地は二十三区でも同所だけ。十七年前に同所が「フジバカマ自然群生地」として区の天然記念物に登録され、毎年、花のシーズンには多くの写真愛好家などが訪れる。

 さくら堤には、約五十株のフジバカマが自生。現在は約七割の花が咲き、残りもほとんどがつぼみを付ける。枝先には細長い赤紫色がかかった白い花があふれ、周囲に秋の訪れを告げている。

 区環境課は「開花は例年並み。自生地として非常に貴重な場所なので、身近な自然をいつまでも楽しんでほしい」と話している。

東京新聞 9月4日

                                  

                                  

今、墨田区は2011年度末の開館を目指して北斎館を建設計画を進めています。   葛飾北斎を区民の誇りとして永く顕彰するとともに、新たな文化創造の拠点となるようにを基本コンセプトに掲げています。これに対してブログ「すみだ行革110番行政改革」で大瀬康介さんが様々な資料を挙げて追及しています。

http://ose.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300234336-1

購入作品には贋作も含まれるとか、相場を無視した購入額と指摘しています。そしてそのいずれもが鑑定書等は一切ないそうです。区の説明も十分とは言えないように思います。数十億円の区の税金を使い、年間維持費も3億円を越える事業です。箱物を作り幹部が天下る。そのサイクルに一部業者が入り込み利権を得る。そんな旧態依然のことがなされているのでしょうか。わざわざ出向いて偽物、高いお金を出した割りに2級品ではかないません。
県立千葉美術館だったでしょうか、折り目の入った「浪裏」を所蔵されていたのは。
限られた予算の中で頑張ってくれていると感じます。                      公立美術館では予算に限りがあるのは仕方ないと思うのですが。

ともあれ区民の皆さんに支持して頂けるかどうかは、公明正大なやり方や誠意ある対話だとおもうのですが。今日ラジオで聞いた言葉
「我を喰らわすに余桃をもってす」
一浮世絵ファンとして今後も成り行きを見ていきたい。

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