第1回絵画共進会
月夜の市原野、無の境地で笛を吹く保昌、それを付け狙う袴垂。
今昔物語の説話が元になっています。
藤原保昌、またの名を任地因んで平井保昌。武勇に秀いでて、源頼信・平維衡・平致頼と共に「道長四天王」と呼ばれました。酒呑童子退治等に名を残しています。
和歌にも才能を見せ笛も良くしたようです。
その保昌が彼女から御所の紫宸殿前の紅梅を手折ってほしいという難題を出されます。苦労して一枝手折ったものの,警護の北面の武士に見つかり矢を射かけられます。ざんばら髪になりながら何とか持ち帰ります。その姿をモチーフにしたのが祇園祭の保昌山。彼女の名前が和泉式部、恋多き女性です。
保昌山の護符は縁結びにご利益があるそうです。
明治維新を迎え美術界おいても混沌とした有様でした。まだ「美術」という概念も確立していませんでした。「美術」という言葉もドイツ語のkunstgewerbeの官製の訳語です。元来が工芸の意味だったためか、当時は絵画や書も工芸の一部としての捉えられていました。
そうした中、1882年5月にフェノラサが絵画の優位性を論じたり、小山正太郎と岡倉天心が書の芸術性を問うたりしています。
この絵はこの1882年に開催された第1回絵画共進会に出され、好評を博したため浮世絵として出品された物です。
この展覧会は西洋画法による絵画、パネル状以外の形態の出品は認められませんでした。絵画を平面表現としてより純粋に追求していくきっかけでもあったようです
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