石焼きいも~
前回に続いて広重の作品から数字のお遊びを。
トップ画像は江戸百冬の部の一枚。山くじらの看板が目を引きます。
右手に小さく見える十三里の看板は焼きイモ屋さんです。
蜀山人の狂歌に
なにはにありし八里半といへるやきいも江戸に流行しけるに
四里四方茶粥の腹になりはててみな八里半九里の焼いも
とありますので、元々は上方で始まったしゃれのようです。
栗に近いおいしさだから八里半、それが江戸に来てから後に、小石川白山前の店が九里より(四里)うまい十三里としたそうです。
甘藷で有名な川越までの距離ともいわれています。
同じく十三屋は櫛屋さん、唐櫛屋さんは十加えて二十三屋。
十七屋さんもあります。飛脚です。十七夜の月は立待ち月、たちまち付くのしゃれです。
江戸と大坂を結んで公文書を運ぶ「継(つぎ)飛脚」が出来たのが元和元(1615)年。
その後、大名の信書を運ぶ大名飛脚が出来、これは京都・大坂・江戸の三都を結ぶことから三都飛脚、 あるいは江戸と大坂を月に三度往復するので三度飛脚ともいいました。
さらに、寛永16(1639)年ごろ大坂に民間の飛脚業者が生まれ、これを町飛脚と呼びました。
並み飛脚で大坂・江戸間は10日、定六と呼ばれる速達便で6日かかりました。
さらに速い仕立便は江戸と大坂を三日で駆けたといいいます。
広重の赤坂には飛脚と月が描かれています。芭蕉の
「夏の月 御油より出でて 赤坂や」
が頭にあったのでしょうか。 赤坂と隣の宿場御油とは2km足らずしか離れていません。
数遊びではありませんが、しゃれで付けた屋号で有名なのに「春日野」があります。お汁粉屋さんです。汁よしのしゃれです。
「昔、男、初冠して、ならの京、春日の里に、知るよしして狩りにいにけり」。 (伊勢物語 第一段)
画像2「東海道五十三次之内 赤坂」
画像3「東海道 三十六 五十三次之内 赤坂」
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