嘘八百
来月3日は江戸文化歴史検定ですね。
受験される皆さん、準備進んでいらしゃいますか。
HPを見ると問題例に「四文屋」がでてましたね。元祖百円均一の店が正解。
明和5(1768)年、四文銭が発行され、商品の値段は四の倍数、つまり八文、十二文、十六文が主流となりました。 四文屋はこうした時流に乗って急増したようです。煮肴(にざかな)や、煮しめ、おでん一串など、なんでも四文均一で売った所、 面倒くさいことが嫌いな江戸っ子は明朗会計の店として大いに歓迎されました。
実はそれより前の享保8~9(1723~24)年に小間物全般を扱った「一九文見世」ができています。その他将棋の駒、三味線道具、鼻紙入れ、緒締(おじめ)、盃、塗り物、煙管、剃刀、人形、墨、筆など日用品から趣味のものまで様々。売れるものは何でも置いたそうです。さらに 「三十八文見世」が登場しましたが、何故か名称は「一九文見世」のまま。やはり値上げのイメージを避けるためでしょうか。
「あぶりこでも金網でも三十八文、焙烙(ほうろく)に茶ほうじ添えて三十八文、銀のかんざしに小枕(くり小枕)をつけて三十八文・・・」と呼び声を掛けたと「式亭雑記」にあります。
三八というと「嘘の三八」なる言葉があります。
少し意味あいは違いますが、「千三つ」なる言葉も。 タレントではせんだみつお、不動産関係などを千三つ屋とも言いますね。
もう一桁増やして万八とも言います。やはり三、八ですね。
画像の万八は万屋八郎兵衛の料亭、貸し座敷。大きな座敷があり、書画会、舞踊のおさらい等によく利用されたようです。
「その頃月ざらいですと、八幡様の山の松本ですることもありましたが、大ざらいですとなりますと両国の中村楼か万八と決まっていました」(吉原夜話)
当時は柳橋の北側まで広く両国と呼んだようです。中村楼は川向う、正に両国です。
書画会は万八息子どこか行き
万八でおごりやしたと伊勢屋云い
古川柳ではどうしても嘘のイメージがついて廻るようです。
伊勢屋はケチの代名詞だそうで奢るわけがないとか。何故ですかね。
安政5(1858)年9月6日、広重がコレラで亡くなりました。
今年は10月4日が命日です。広重は実直な人だったようで、締め切りの期日もきちんと守ったと記されています。
「浄る理町繁花の図」 広重
図中の左上は味付けされた油揚げに、味付けした豆腐殻を入れ、一切「四文」で「志の多巻」として商いをしている所です。天保の大飢饉が過ぎ天保末年頃油揚げを袋形にして椎茸、干瓢を刻み、飯に混ぜ、「稲荷ずし」として屋台で売り出されたとされています。この図は「稲荷ずし」の原点が表現されています
神田志の多寿司HPより
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