愛宕山からの江戸
10月12日の月は旧暦9月の十三夜。ご覧になりましたか?
兎の尾っぽは欠けていましたが、冴えて明るい月でした。
江戸時代、旧暦八月の十五夜を見てこの十三夜を見ないのを片見月と呼び、縁起が悪いとしてきました。何故かはよく判りませんが、 江戸時代の縁起かつぎや迷信は単なる駄洒落な物も多く、そう大した理由では無いかも知れません。これも例えば形見、片身とか。
地名でも大阪はかって小坂だったのを、小を大に替え坂の字は土に反るのでよくないと阪に。富山も元々は外山だったそうです。
富山県の氷見市、蝦夷防備の狼煙を見る所から「火見」。それがためではないでしょうに火事が多いと「氷見」にしたとも言われています。
火事といえば我がご近所人丸神社も火防の霊験もあると信じられましたが、それも火止まるからですね。学問はともかくとても柿本人麿に火事を防ぐ霊力があるとは思えません。 (右画像 「百人一首之内 柿本人丸」 国芳)
同じようなのが愛宕神社。
主祭神の火産霊命(ほむすびのみこと)を産むとき伊邪那美神が火にまみれた。そのため仇子、熱児から愛宕となり火を鎮める神となったとか。
愛宕山、京都の愛宕山の標高924mに対しそれを擬えた江戸は26メートルしかありません。
しかし平坦な江戸では見晴らしが良く、幕末期に江戸に居た外国人に最も人気のあった江戸名所です。
愛宕神社への石段男坂は「出世の石段」と言われています。
その逸話の主は三代将軍家光と讃岐生駒藩の家臣の曲垣平九郎。
詳しくは講談「寛永三馬術」でお楽しみください
愛宕山山上からの江戸パノラマ写真 Felice Beato, 1865 or 1866.
| 撮影者: | 日下部金兵衛 |
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