長崎屋から見る世界
最近は海外旅行も手軽になりました。今でも豪華客船で世界一周はなかなか難しいのでは。
私にとってその象徴とも云う船がQueen Elizabeth Ⅱです。
11月11日、QEⅡがサザンプトンを出航します。彼女にとって最後の航海です。
22日にスエズ運河を越え一路南へ、そして27日にドバイ。
そこで海上ホテルとしてリスタートするそうです。
江戸時代は鎖国でしたから海外旅行は思いもしなかったでしょうね。今ではごく当たり前の新婚旅行でさえ、竜馬が先にしろ小松帯刀が先駆者にしろ江戸末期です。
当時、庶民は外国をどんな風に想像していたのでしょう。
トップ画像のような情報は何時頃から知られていたのでしょう。
画中にある仮名垣魯文の「万国噺」は1861年に出版されています。
芳幾の浮世絵にはオランダ語の単語を並べた物があります。
日=だふ、月=まぁん、山=べるぐ、海=ぜぇ等。
もちろん外国人と接する機会は滅多になかったでしょうが。
その数少ない機会がオランダ人の江戸参府です。
正月明けに長崎出島を出て春に江戸に着きます。
「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」 と芭蕉もその様を詠んでいます。
その一行の宿舎となったのが長崎屋です。日本橋本石町3丁目にあった薬種問屋です。
町人が物珍しそうに覗きこむ様子を北斎が描いています。北斎自身カピタンの注文で数十枚の浮世絵を書いているのは、昨年から今年にかけての北斎展で記憶に新しい所です。シーボルト事件に絡んで身を潜めたりもしています。
フェイルケにより長崎屋の2階の様子も描かれていますが、
絨毯がひかれておりテーブルにワインなどが見えます。シーボルトの持ち込んだピアノが 弾かれたり、オランダ料理が振 舞われたりもしたようです。また知識人が詰め掛け海外の最新情報を得たりもしました。平賀源内が皆がてこずった知恵の輪を鮮やかに解いたりしています。
勿論多くの商人ともやり取りしたことでしょう。後の三越の越後屋や京都では青貝師の西川家の名もあります。青貝師は螺鈿を扱う人で重要な輸出品だったようです。
江戸長崎屋だけではなく京都の海老屋、大坂長崎屋、下関は伊藤家と佐甲家、そして小倉の大坂屋が西洋文化の重要な入り口でした。
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