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2009年1月

運慶

運慶作品の“体内”CT画像で鮮明に 24日から公開

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県立美術館で開催中の特別展「運慶流」で展示している運慶作「大日如来像」(国重要文化財、栃木県・光得寺)を、高性能CTスキャナーで撮影した3次元画像などが23日、公表された。内部に空間があり、運慶が「仏像の魂」として心臓部に納めたとされる水晶玉「心月輪(しんがちりん)」などが鮮明に浮かび上がっている。同美術館は24日から、特別展に合わせて画像などを公開する。

 大日如来像は像高約32センチと小さいが、堂々たる体格や力強い表情などは運慶ならではの特徴。昨年3月、米国の有名オークションで約12億5000万円の値を付けた大日如来像(真如苑蔵)とともに鎌倉時代、足利氏の発注で作られた作品とみられている。

 調査は東京国立博物館と九州国立博物館が県立美術館などの協力で実施。特別展「運慶流」で初めて九州に移動する機会を利用し昨年12月下旬、九州国立博物館の高性能X線CTスキャナーで、3次元の画像データを採取した。

 その結果、内側に空間がある内部構造や、心月輪を「五輪塔」で固定した状況などがより詳細に分かったほか、データに基づく実物大模型の製作も可能に。その第一弾として、心月輪の樹脂製模型が作られた。

 同美術館は24日から、特別展「運慶流」の受け付け前通路で、撮影された3次元画像や心月輪模型を公開。特別展で展示中のX線画像などとともに、精巧な作りや魂を込めた運慶の精神が見て取れそうだ。

 調査に参加した竹下正博県立美術館学芸員は「より詳細なデータが得られたことで、運慶研究の進展が期待される。県立美術館では速報としての展示だが、特別展の目玉だった大日如来像の3次元画像などが加わったことで、運慶作品の特徴が一層分かるようになった」と話す。

【写真右】X線CTスキャナーで撮影された大日如来像。心臓部の「心月輪」などの納入状況が詳細に分かる=画像提供・九州国立博物館
【写真左】3次元画像で浮かび上がった像内納入物。高さは約14センチで、直径約2センチの水晶玉「心月輪」を五輪塔で固定している様子が分かる=画像提供・九州国立博物館

Dainichi1 特別展「運慶流」で展示されている
運慶作「大日如来像」
(国重要文化財、鎌倉時代、栃木県・光得寺)
=写真提供・東京国立博物館

十七歳で消えた天才絵師

C0013639 「文読む美人図」 
清政

                              

                              

                              

                               

                                

                              

                              

                              

                              

                              

                              

先日訪れた四大浮世絵師展で目に付いた絵師に鳥居清政があります。
「江戸紫娘道上寺」、十七歳で消えた天才絵師とありました。
鳥居清政、1776~1817年。
浮世絵師には珍しく生没年が判っています。
Sc154958fpxobjiip1 鳥居派4代目清長の子供で、11歳で描いた「頭巾を被った女と凧を持つ子供」などが残されています。「江戸紫娘道上寺」の説明には17歳とは思えぬ技量とあります。画像2の「なにはや おきた」は同じく17歳の作と推定されています。
その清政が20歳を前に筆を折ります。
父清長の命です。
鳥居派は3代目清満が亡くなった時跡継ぎがなく、存亡の危機に陥ります。
その2年後に清満の外孫が生まれたため、とりあえず清長が4代目を継ぎ外孫が成長の暁に跡を譲ることで話がまとまります。長じた清峰が清長に弟子入りした時、跡目争いを避けたのです。清長といえば美人画のイメージが強いですが、後年舞台絵に専念します。鳥居派の元祖と言われる清元は大坂の役者で余技で絵看板等を描いており、江戸に下ってからの活動が鳥居派の始まりとなっています。そのような事情もあり5代目以降も鳥居派は歌舞伎の絵看板、番付を得意にします。その流れは現代も続き9代目清光さんは歌舞伎座などで活躍されています。鳥居派初めての女性宗家です。

中右さんの著書「写楽は18歳だった!」は清政が写楽の正体ではとのものです。

初春

An00331302_001_l_2  栄松斎 長喜

「初日の出」

                              

                              

                              

                              

                              

                              

                              
旧正月 という事でト画像を選んでみました。
海からの初日の出に福寿草や若水があしらわれています。
晴れあがった空には雲母摺りが施されています。

江戸時代の初日の出の名所として有名なのは、湯島天神や九段坂上に州崎、高輪の海岸だそうです。
江戸庶民はこぞって初日の出を見たのでしょうか。
大晦日は徹夜してそのまま元旦に初日の出を見た、だから初夢は2日だと書いている本もあります。別の説では、庶民は大晦日は夜遅くまで仕事をし元旦は朝寝坊。初日の出を拝む酔狂な人は1%以下なんだとか。
一体どちらなんですかね。当時の人口100万人として1万人。
現代と比べてどうでしょうか。

栄松斎長喜、版元の蔦屋が歌麿との折り合いが悪くなり、代わりに美人画の分野で売り出そうとした絵師です。役者絵で写楽を売り出した後の事です。ところが歌麿の反撃に合い、思ったほどの名声は得られず後に子興と改名しています。敗北宣言でしょうか。

その長喜の作品の中で有名なのが「高島屋おひさ」。団扇に写楽の「四代松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛」が描かれています。何故か煙管を持つ手が左右逆ですが。

Sharaku_hisa Sc153583fpxobjiip1

寒中お見舞い

04kawa05_2 枯木寒鴉図 
狂斎

                                                                              

Sc134890fpxobjiip1_3                                                                                                                           

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狂斎がこれに100円の高値を付け売りに出した所、 榮太樓の主人が言い値で買い話題を集めました。

これとは逆に狂斎が100円で買った物があります。
陵王の面です。北斉の皇族で将軍高長恭の話を基にした雅楽で使われる物です。
道具屋も狂斎の貧乏は聞いていたのですが、有名な人だからと掛けで売ったそうです。
それを年の暮れに催促したところ、狂斎は家財一切を質に入れ何とか工面したそうです。何もかも無くなった部屋でその面を眺めながら狂斎は一人酒を飲んでいたそうです。
あの時は、ほとほと困ったと娘の暁翠さんは後々嘆いたそうです。

今一枚は柴田是真の「雪中鷹図」
狂斎とは不仲とも言われていますが、合作した作品もありますし、書画会で狂斎の絵に揮毫したりもしています。

四大浮世絵師展とベルギーロイヤルコレクション展

会期末に行っての書き込み意味がないかも知れませんが、前者は今まで各地で開催されていますので今後もどこかに巡回するやも。後者は日本橋高島屋(4月29日~5月11日)に巡回します。

特徴的なことは共に世界で1点しか確認されていない物が出展されていました。
前者では北斎の春郎時代の作「風流江戸百日の出 愛宕」。
(他に天童広重や北斎の肉筆画なども。)
後者では写楽の「四代目岩井半四郎の鎌倉稲村が崎のおひな娘おとま実は楠政成女房菊」と「三代目市川高麗蔵の廻国の修行者西方の弥陀次郎実は相模次郎時行」。
また浮世絵の主な題材を多くの作者で紹介されている事。
美人画、風景画、役者絵、相撲絵に浮絵、摺り物と絵本の挿絵。
前者では四大浮世絵師と言われる写楽、歌麿、北斎、広重の各コーナーに区分け。その作品に春艶、国政、豊国、清政、、春英、長喜に加え上方浮世絵の流光斎や叢豊丸、十返舎一九を紹介。
春信、湖龍斎、清長の流れに勝川派の春章、春好、春英、春潮、春旭と歌川豊春を挟み、歌麿、写楽、豊国、北斎、広重、国芳へと続きます。その途中に英之、英昌、英水や北尾政寅、窪俊満などの名前が見えます。

広重の美人画や北斎の初期役者絵、文字絵など他ではあまり見られない物が並んでいました。また2展で重複する作品も比較でき面白かったです。
前者では写楽の謎がらみやエピソードの多い解説が興味深く、後者では春信作品の美しさに驚かされました。入って直ぐの「やつしかきつばた」の緑にはビックリしました。また写楽の「二代目小佐川常世」の赤はちょっと違いましたね。

残念なのはどちらも出品目録が配布されず、前者では図録見本もショップにしかなかった事。

大寒

Taka2_3a 吹雪の鷲図
北斎

1月20日(旧暦12月25日)
大寒

ローマ、ロンドン

HIROSHIGE - Il Maestro della Natura

17 marzo – 7 giugno 2009
Museo del Corso

http://www.museodelcorso.it/index.pl

7月にはロンドンに巡回予定
http://www.dulwichpicturegallery.org.uk/exhibitions/coming_soon/utagawa_hiroshige.aspx

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ひきずり餅

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餅搗きの図
狂斎

                             

                             

                              

                               

                              

                             

                             

                              

                             

                             

                              

今日は旧暦12月21日。押し詰まった頃です。巷ではお正月準備も本格化していたことでしょう。
でもお餅の用意には少し早いかもしれません。
当時餅屋で用意する家庭もあったでしょうが、ひきずり餅に頼むのも庶民では普通だったようです。数人が組み借りた杵や臼で家々を回り、注文を受けた家の前で餅をつくのです。金杉上町(台東区)にあった「釘た」が江戸中に貸していたそうです。
関西では賃つき屋さんが周って来たり米屋に依頼したりしていましたが。
江戸では餅搗きの日は決して餅を焼いては食べなかったそうです。
火がたたると火事の多かった江戸らしい話です。もっぱら大根おろしで食べたとか。
話は少し飛びますが「尻餅」の話。落語で女将さんのお尻で餅搗きのマネをする話ではなく、祝い餅の方。
子供が初めての誕生日の前に歩き始めた時に餅を搗くそうです。
親を凌ぐ大物になるとかでこれも江戸の習慣であったそうです。
画像はどちらも狂斎です。
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オランダの Leiden

Hiroshige. Shaping the image of Japan .
> February 22, 2009.

http://www.sieboldhuis.org/

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京都ーボストン姉妹都市50周年記念オンライン展

Visions of Kyoto:
Scenes from Japan's Ancient Capital
Saturday, September 20, 2008 - Sunday, May 31, 2009
http://www.mfa.org/exhibitions/sub.asp?key=15&subkey=7248

画像は応挙の「三十三間堂 通し矢」。
新成人おめでとうございます。

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アメリカの浮世絵展

Ursinus2 Japanese Print Exhibit Opens at Berman Museum of Art

Philip and Muriel Berman Museum of Art at Ursinus College
~4.17
http://www.ursinus.edu/NetCommunity/Page.aspx?pid=908#prints


アメリカの大学のHPを見て、いつも思うことはその環境のすばらしさです。
この大学はニューヨークの西150km余り、フィラデルフィアの郊外の大学です。
生徒数は1600名足らずの小さな大学です。でも雰囲気の良さを感じます。
(正直私の基準は35年前の貧乏大学です。我がご近所の大学も立派になりましたが。)

白石上智大学講師のお話では、ヨーロッパの大学は授業料は無料が原則だそうです。奨学金も給付が原則で返還義務はないそうです。OECD諸国の高等教育への支出はGDPの1%が平均、日本はその半分。日本の大学進学率が50%を越える等事情の違いはあるでしょうが。2006年国連人権委員会は日本に国際人権条約13条c項の批准を勧告しています。高等教育の漸次的な無償化に関するものです。
日本政府はまだ回答していません。残るはルワンダとマダガスマルそして日本だけらしいです。
不況が深刻化する中、進学シーズンを迎えようとしています

乱舞

Sc126830fpxobjiip1 「名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま」
広重
                                

                                  

                                      

                                    

                                      

                                

                                    

                                

今は北海道でしか見られない丹頂鶴が描かれています。
江戸時代には各地で見られたと思いますが、「東都歳時記」や「武江年表」等には記録がありません。「武江産物誌」に本所、千住、品川が挙がったりしているのが数少ない例のようです。
鶴が庶民ではなく将軍家との関わりが強く、へたに鶴殺しの嫌疑がかかると死罪になったりしたからでしょうか。徳川家は年の暮れに鷹狩を催し鶴を捕え塩漬けにして、天皇に献上したそうです。川柳にも

寿運拙く献上の鶴となり
ほんとうに飛ぶより早い暮れの鶴

「鶴の饗宴」と称し残ったツルの肉は譜代の大名に振舞われたそうです。
さすがに犬公方はそういった行いは無かったようです。逆に小石川で野性の鶴の餌付けをし、そのツルが姿を見せたのが今の新宿鶴巻町。そして紋や屋号等への鶴の使用を禁止しもしたようです。
総じて鶴は吉祥の鳥として扱われたようですが、朱鷺はどちらかというと害鳥の部類に入れられたようです。そして松に鶴と間違って描かれたコウノトリ。
国芳が描いたこんな情景が見られる日が来るでしょうか。
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「松浦の太鼓」

Sc159625fpxobjiip1 「誠忠義士傳 大鷹玄吾忠雄 十四」

国芳

                                   

                                

                                

                                

                                 

                                

                                

旧暦では今日は暮れも押し詰まって十三日、煤払い。
そして明日は討ち入りとくれば大高源吾歌舞伎の「松浦の太鼓」でお馴染みのように赤穂浪士の一人で、煤払いの笹売りに身をやつし吉良邸の動向を探っていた大高源吾。彼が十三日に両国橋のたもとで、俳諧の師匠の宝井其角にばったり出会います。其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と発句を詠みかけられたのに対し、「あした待たるるその宝船」と対句して去って行きます。外題の「松浦の太鼓」は吉良邸の隣の松浦鎮信侯に因みます。松浦侯は宝井其角の門下生でもありまた大石内蔵助と同様、山鹿素行の門下生でもありました。
この因縁に大高源吾の妹も絡んできたりします。
実在の大高源吾は子葉と号し師匠は水間沾徳。討ち入りの夜、水間の家の格子戸に源五の筆で「山をさくちからも折れて松の雪  子葉」「世にさた御座候までは 御さたなし下されまじく候」と文書が書かれた文が投げ入れられていたそうです。
「仮名手本忠臣蔵」11段目討ち入りの場面は多くの演出がなされているそうです。
浮世絵も絵師により様々に描かれています。
画像は国芳ですが、ちょっと変わっていますね。これには元絵があります。
詳しくは藤原良太さんのページで。
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/tomo/fumiyomu/katsuhara.pdf
800pxkuniyoshi_utagawa2c_the_chushi Sc143551fpxobjiip1

広重のは風景画のような感じです。

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