伊藤若冲 玄圃瑶華
24th Feb. 2009 - 28th Jun. 2009
Ito Jachuko - Jade Flowers in Mysterious Gardens
MUSEUM FÜR KUNST UND GEWERBE HAMBURG
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24th Feb. 2009 - 28th Jun. 2009
Ito Jachuko - Jade Flowers in Mysterious Gardens
MUSEUM FÜR KUNST UND GEWERBE HAMBURG
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「菜の花道」
窪俊満
各地で菜の花の便り、早咲きの河津桜とのコントラストを楽しめる所もあるようです。
画像には左側に蝶も3頭描かれすっかり春の気配。摺り物ですので所蔵する美術館も少ないようです。
菜の花や油ともしき小家がち 蕪村
江戸時代には菜種油もっぱら燈明油として使われました。日常生活の必需物資では米に次いで最も多く消費されたそうです。その量は「長夜」で一日に300樽、「短夜」では一日に200樽、年間9万6000樽と見込まれていました。これは(当時1樽3斗9升入り換算でした)概算約6、050トン/年の消費量となります。
そのほとんどが大坂などからの下り物です。そのため油切れや物価高騰に悩まされ、しばし江戸近郊での増産、物価統制政策が取られたようです。京都とて事情は同様で種子や油はすべて幕府に統制され、一度大坂に集められ搾られてから京口問屋を通じて燈明油の供給を受けていたそうです。
油の行商は、夏は、家々から声がかかるように、ゆっくり辻辻を回り、あっちで呼び止められて、油を売り、こっちで呼び止められて油を売りました。
現在仕事をサボっている事を言う「油を売っている」の語源です。
下は歌舞伎の『天満宮菜種御供』(てんまんぐうなたねのごくう)。
基になった菜種御供大祭は、毎年菅原道真公の命日(旧暦2月25日)に近い3月25日に土師の里の道明寺天満宮にて催されます。
左遷の詔《みことのり》を受けて大宰府へ向かう途次、道真公は当地に立ち寄られましたが、 辺り一面には菜の花が咲いていました。大宰府下向の後、おば君である覚寿尼《かくじゅに》公は 毎日陰膳を据えていましたが、その飯を粉にし、梅の実の形にした黄色の団子を こしらえたところ、病気平癒の効があるとして、参拝者がこぞって求めました。
これが河内の春を告げる神事となり、「河内の春ごと」として親しまれています。
江戸時代に浮世絵を刷るために彫られた「版木」と呼ばれる板が国内で大量に見つかり、浮世絵の製作過程や職人たちの技術の高さがうかがえる貴重な資料として注目されています。
版木は富山県内の旧家の蔵から見つかったもので、あわせて368枚あり、平成19年に国立歴史民俗博物館が購入して調べたところ、ほとんどが江戸末期を代表する浮世絵師・歌川国芳のものとわかり、そのほかに歌川広重や豊国のものもありました。版木は絵を刷るときの原版になるもので、絵師が描いた下絵の線が彫られていますが、髪の毛の1本1本が0.3ミリほどの細さで彫られているなど、版木を作る職人たちの技術の高さがうかがえます。また、多くの版木には刷るときの色を指定する絵師の書き込みが残っていましたが、例えば血の赤い色について、「ちのいろよろしく」とだけしか書かれていないなど、浮世絵の微妙な色合いは版画を刷る職人たちの感性に任されていたことがわかります。さらに、見つかった版木の中には公表されていない浮世絵のものもあり、博物館がコンピューターで色などを再現したところ、くじゃくと遊ぶ若君の絵とわかりました。この若君は去年の大河ドラマの主人公にもなった天璋院篤姫の夫、十三代将軍の家定とみられ、当時の将軍家を風刺していたため、版元が出版を取り止めたと考えられるということです。浮世絵の版木はほとんど残っておらず、今回のように大量に見つかったのは初めてだということで、国立歴史民俗博物館の大久保純一教授は「浮世絵の製作過程や当時の技術を研究するうえで大変貴重な資料だ」と話しています。見つかった版木の一部は24日から千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で公開されます。
NHK動画ニュース
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今年は丑年明日は旧暦1月25日、初天神。
いつも通りの単純な理由で菅原道真。
道真と牛との関わりは深く、天満宮においては神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれています。
ではどの様な関わりがあるのでしょうか。
道真の生まれは承和12(845)年、乙丑の6月25日。
亡くなったのは延喜3(903)年2月25日丑の日。
大宰府榎社で生涯を終えた道真、牛車に乗せられ都府楼から丑寅の方角に向かい牛車が止まった所に葬られました。大宰府天満宮です。
また大宰府に赴く途中出身地の土師の里で寄ったところを、藤原時平の命を受けた笠原宿禰景村に襲われます。その時現れ笠原に角を立てた牛は昔京都北山へお供をした牛だったとか。その他、元服の時の夢に白い牛を見たとか等多くの逸話が「菅家瑞応録」に書かれています。これを基に作られたのが「菅原伝授手習鑑」。
トップ画像は豊国の肉筆画で芸者が牛に乗っています。帆掛舟の浮かぶ海が背景に広がるところから、鎌倉から陸続きの小島江の島に、弁天参りにでも行くものと思われるます。しかし煙管をくわえていますし、衣装も宮参りにしては不自然。
これは菅原道真の見立てと考えられています。着物柄が梅であるのも暗示的。
またこれに似た絵が豊国の「菅原伝授手習鑑」の中村大吉の絵にある事からです。
ドイツ・フランクフルト
舞台のヒーローと夜の美しさ
Museum fur Angewandte Kunst
2.19~5.10
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画像15点と解説 ドイツ語です
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東京ガスの会長だった都留勝利氏が蒐集した肉筆画の1点、
北斎の夕涼みの情景を描いた浮世絵が3月17日のクリスティーズに出品されます。
予想額は80~100万ドル。
他に勝川春章の春画(50~70万ドル)。
広重3点、清長、国貞、歌麿など
http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=22459#action=refine&intSaleID=22459&sid=d80b6842-c075-4efb-a218-cbe307680394
年度末を迎え各企業の決算予測が報道されています。
電機、自動車、金融業種を問わず厳しい状況です。
そしてスポンサー契約の見直しも懸念されています。
「20世紀モダン・アート展」の中止がつい先日発表されました。
そんな中メルセデスベンツ主催のファッションイベントがNYで始まりました。
4主要コレクションとは違い、おもしろい若手のデザイナーの活躍が注目されるようです。
Red Dress Collection 2009ではフィギアスケートのKristi Yamaguchi 、エミー賞女優のCicely Tyson 等が文字通り真っ赤なドレスで登場しています。
http://www.mbfashionweek.com/
江戸時代の女性もファッションへの興味は大変だったようです。
逸話もいくつか残っているようです。
京都、時代祭の列に連なる中村内蔵助の女房もその一人。
貨幣鋳造に携わる銀座年寄を務めたのが中村内蔵助。ある日の東山で京都の豪商連中の奥方の集まりが催されます。皆さん供の者を従え綾羅錦繍の装い。
その中で中村内蔵助の女房は「黒羽二重の両面に、下には雲の如くなる白無垢を、幾重も重ね着し」で意表を付きます。
何度かの衣装替えで他の出席者が色や柄を競う中、白と黒のコーディネートを通します。逆に供の者には他の奥方に負けぬほどの衣装を用意したとか。
かくして断然の誉を得る結果に。
彼女のファッションアドバイザーを務めたのが尾形光琳です。
2点目は一度取り上げましたが湖龍斎の雛形若菜初模様シリーズから。
その年の最新ファッションを描いています。
3点目は北尾政演。
Becoming Edvard Munch: Influence, Anxiety, and Myth
February 14–April 26, 2009
The Art Institute of Chicago
http://www.artic.edu/aic/collections/exhibitions/Munch/artwork
今日は西宮でコンサート、ついでに時間を作って「日本画の精華」をやっている大谷美術館へ。
が、振替休日で休館。ならばと西宮えびす神社をお参りしました。
その東門脇に小さく祀られているのが梅宮神社。何の神様かご存知でしょうか。
さすが西宮、お酒の神様です。ちょうど新酒が搾りあがる頃にほころぶ梅の花に因んでるのでしょうか。
今年は暖冬のせいか既に各地から見頃との便り、春めいてきました。
浮世絵師の中には名前に春が付く人が結構いますね。
歌川派の創始者は豊春。太田南畝曰く「役者絵は春章が五人男の絵を始とす」した勝川春章。その師匠は宮川春水。宮川派、勝川派には大勢います。この他岳亭春信 、北川春成 。恋川春町は住んでいた小石川春日町をもじったとか。
北斎も春郎を名乗っていました。そして忘れてならない錦絵の創始者鈴木春信。
春信の梅がらみの絵を3点、
バレンタインデーでもあるので寄り添う二人を。
「梅の枝折り」
「風流浮世寄花 新枕 初開梅」
印象派の画家クロード・モネ(Claude Monet)の作品『Dans La Prairie』が4日、ロンドン(London)で競売にかけられ、1500万ポンド(約20億円)の開始価格を下回る1124万1250ポンド(約15億円)で落札された。英競売大手クリスティーズ(Christie's)が明らかにした。
『Dans La Prairie』は1876年の作品で、花が咲き誇る草地で読書をする妻カミーユ(Camille)を描いたもの。1877年にパリ(Paris)で初公開された。
同日の競売では、アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)の作品『Les deux filles』も出品され、350-550万ポンド(約4億7000万-7億4000万円)の開始価格を上回る653万7000ポンド(約8億8000万円)で落札された。この作品が競売にかけられるのは、今回が初めて。
さらにドガの「14歳の小さな踊り子(Petite Danseuse de Quatorze Ans)」
は17億円で落札されました。記事のアジア人は日本人らしいです。
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ドガの展覧会情報
Hamburger Kunsthalle
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The National Gallery of Australia
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The Dance Lesson
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ドガと浮世絵の関わりについて、林忠正との繋がりについて書かれた文章です。
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1月6日~2月15日
尼信博物館
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近松研究所開設20周年を記念し、専門研究の成果を広く一般に公開し、歌舞伎の世界を分かりやすく紹介するものです。
歌舞伎興行に際して出版された、「役者番付」・「絵尽し(えづくし)」・「役者絵」・「役者評判記」は、歌舞伎役者の評判や芝居の内容が絵と文字で記されています。当時の観客の視点で、人気を博した歌舞伎作品の魅力をたどります。
本展は、石水(せきすい)博物館(三重県津市)の所蔵資料の役者評判記を中心に、上方役者絵の祖・流光斎如圭(りゅうこうさいじょけい)の描いた役者絵(近松研究所 所蔵)も日本初公開いたします。
浮世絵としては如圭の作品4点、日本斎1点、鳥居清貞の「大江戸芝居年中行事」6点
と二代広重の「江戸名所 猿若町」が展示されていました。
特に興味を引いたのは「芝居見物の楽しみ方」と題されたコーナー。
当時の芝居見物の雰囲気を感じさせてくれます。
外題は「土舊礎花大樹」(めいしょはなのこのした)。最初の字は土扁に舊。
寛政4年2月大坂角座にかけられた芝居。
歌舞伎の台本の「台帳」、出演者と役名を記した「番付」、観劇者に渡された「絵尽くし」に画像にある如圭の「役者絵」、そしてヒット作になると内容や役者の芸は評判記にあたる「役者当振舞」が展示されています。
台帳に
為十郎刀を抜き ちょっと
立ち廻りありて 団蔵が
鑓(やり)のほさきをきりおる
是にて見得よく
両人きっと留まる
そして如圭作品では唯一大判(他の作品は細版)の役者絵は
正に切り落とした場面を描いています。
最近スズメに関する新聞記事2つを目にしました。
大正時代から続く伏見稲荷参道の焼き鳥がまた1店消え残り2店になったそうです。
中国からの輸入が禁止され、猟師の高齢化で国産も入手困難だそうです。
そう言えば私も10年ほど食べていません。
仕入れは国産1本450円、焼き鳥屋では一体いくらするんでしょう。
そう思っていたらスズメが激減しているらしい。
大まかな推定値ではあるが、1960年ごろの1割にまでなっているようだ。
餌場の田畑と営巣する木造家屋の減少が大きいようだ。
近い将来スズメの焼き鳥は消えるかもしれません。
伏見稲荷は商売繁盛と五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神様。
名物の焼き鳥は、穀物を食い荒らすスズメ退治のために始まったとされています。
「鳥追い」と呼ばれる文化の一つでもあります。
明日は旧暦の小正月。 鳥追いはその行事の一つです。
広重はスズメがお気に入りなのか、椿との組み合わせで何枚か描いています。
今回は雪のないものを選びました。
先月の初めから明石公園にオジロビタキのオスが来ています。
結構稀なようで連日ファンが詰めかけています。
今ではすっかり慣れたのか目の前の枝にとまってくれます。
KOUさんのブログでお楽しみください。
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その他兵庫県ではヒメハジロやオオマシコ等珍鳥の報告が相次いでいるようです。
Estampes japonaises. Images d’un monde éphémère
à Paris
du 18 novembre 2008 au 15 février 2009
galerie Mazarine et crypte du site Richelieu :
Bibliothèque nationale de France, 58 rue Richelieu, 75002 Paris
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ご紹介するのを忘れておりました。
バルセロナからの巡回展です。
画像が豊富で解説も詳しくされています。
是非覗いて見てください。
右の画像の絵師は歌麿の自画像です。
旧暦1月10日、立春。
みなさんは、春の訪れを何で感じますか。
日の光、萌出ずる野草、海の色、梅の香。
私が選んだのは酒、私は飲めないんですがね。
日本名門酒会は全国39蔵の立春朝搾りを販売します。
願いが叶う酒だそうです。
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江戸で喜ばれたのは上方からのくだり酒。
当初は清酒発祥の地伊丹や池田の酒の人気が高かったようです。
中でも『剣菱』は将軍の御膳酒に指定されます。
この他『男山』『松竹梅』『白雪』『老松』等の銘柄があります。
後、灘、西宮にその地位を奪われ、『男山』『松竹梅』等は北海道や灘にその名を買われます。立春朝搾りの中に『男山』の名がありますが、北海道です。
往時の面影は美術館の柿衛文庫や白雪本社で偲ばれます。
歌麿の「七人猩々酩酊之図 三幅之内」
北斎が新球場を描くとこうなる!?
江戸と平成の夢のコラボ“桶屋のスタジアム”。
新広島市民球場のグッズです。
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浅間山、桜島噴火
日本の中央と南で一度に噴火、何となく不気味ですね。
北海道の雌阿寒岳も活動したり。
浅間山は有史以来何度か噴火しているようです。
江戸時代で有名なのは天明3(1731)年の大噴火。近隣の村で1500人余りの死者が出たり、埼玉、群馬にも大きな被害をもたらしたようです。
巷間云われる東北地方を中心とした天明の大飢饉は、浅間山の噴火の前でむしろアイスランドのラカギガルの噴火の影響が本当だとか。
画像は明治21年9月10日に出版された。音聞浅間幻灯画 、豊原国周の作品です。
題名に浅間の文字が入っていますが、実は明治時代最初の大災害になった21年の磐梯山の噴火が社会的に大きな関心を呼びます。そこで5代目菊五郎により「是万代話柄音聞浅間写画」(これはばんだいのはなしぐさおとにきくあさまのうつしえ)の外題で浅間山の噴火として上演された物です。
2枚目は英泉の描いた浅間山、天保6~9(1835~8)年にも噴煙を上げていたようです。
それに比して巴水の櫻島はのどかですね。
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