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菜の花や

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「菜の花道」
窪俊満

各地で菜の花の便り、早咲きの河津桜とのコントラストを楽しめる所もあるようです。
画像には左側に蝶も3頭描かれすっかり春の気配。摺り物ですので所蔵する美術館も少ないようです。

菜の花や油ともしき小家がち 蕪村

江戸時代には菜種油もっぱら燈明油として使われました。日常生活の必需物資では米に次いで最も多く消費されたそうです。その量は「長夜」で一日に300樽、「短夜」では一日に200樽、年間9万6000樽と見込まれていました。これは(当時1樽3斗9升入り換算でした)概算約6、050トン/年の消費量となります。
そのほとんどが大坂などからの下り物です。そのため油切れや物価高騰に悩まされ、しばし江戸近郊での増産、物価統制政策が取られたようです。京都とて事情は同様で種子や油はすべて幕府に統制され、一度大坂に集められ搾られてから京口問屋を通じて燈明油の供給を受けていたそうです。
油の行商は、夏は、家々から声がかかるように、ゆっくり辻辻を回り、あっちで呼び止められて、油を売り、こっちで呼び止められて油を売りました。
現在仕事をサボっている事を言う「油を売っている」の語源です。

下は歌舞伎の『天満宮菜種御供』(てんまんぐうなたねのごくう)。

基になった菜種御供大祭は、毎年菅原道真公の命日(旧暦2月25日)に近い3月25日に土師の里の道明寺天満宮にて催されます。
左遷の詔《みことのり》を受けて大宰府へ向かう途次、道真公は当地に立ち寄られましたが、 辺り一面には菜の花が咲いていました。大宰府下向の後、おば君である覚寿尼《かくじゅに》公は 毎日陰膳を据えていましたが、その飯を粉にし、梅の実の形にした黄色の団子を こしらえたところ、病気平癒の効があるとして、参拝者がこぞって求めました。
これが河内の春を告げる神事となり、「河内の春ごと」として親しまれています。

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