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中村仲蔵

Sc213944fpxobjiip1 勝川春章の「中村仲蔵の斧定九郎」1783年

                                              

                                      

                                       

                                        

                                        

                                          

                                       

初代中村 仲蔵
元文元年(1736年) - 寛政2年4月23日(1790年6月5日)は江戸時代中期の歌舞伎役者、舞踊家。俳名は秀鶴、屋号は榮屋・堺屋、紋は中車紋・三つの人の紋。
浪人の子ともいわれておりますが、7歳の頃役者の世界に入ります。4年のブランクを経て19歳で舞台に復帰。
が、思うような活躍が出来ず仲間内の虐めにも合います。自殺を図るほど悩みます。
そうする内に4代目市川團十郎にその才能を認められてから徐々に開花していきます。
ある時立作者の金井三笑と「曽我の対面」の工藤の演出をめぐって不和となり、三笑がわざと定九郎一役を仲蔵に振って嫌がらせをします。当時定九郎はほんの端役で名題の者が演じるような役ではありません。所詮門閥の出はないとこんな扱いかと落ち込みもします。そこで下積み上がりの役者魂が頭をもたげ、それまではとは全く違った工夫、演出を考え出します。
その演出は今日まで踏襲される程の当たりを取ります。
その経緯を描いたのが落語「中村仲蔵」。
http://ginjo.fc2web.com/44nakamuranakazo/nakazou.htm

江戸時代を通じて、最下級の稲荷町から名題にまで出世した役者は、初世中村仲蔵(1736-1790)と4世市川小団次(1812-1866)の2人だけだそうです。

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