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とんだ茶釜が薬缶に化けた

95168_482687_2 「とんだ茶釜」
一筆斎文調

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江戸時代こんな言葉が流行ったきっかけは、お仙の姿が消えた事。
家業の水茶屋「鍵屋」の茶汲み女として働いていました。
当時浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」の看板娘柳屋お藤、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘蔦屋およし、と共に明和の三美人と謳われました。
お仙見たさに笠森稲荷の参拝客が増えたといいます。
お仙目当てに訪れても店には老齢の父親がいるだけになったのは、
明和7(1770)年2月でした。
どうしてか?何処に行ったか?
誰もわからなかったそうです。
実は幕府旗本御庭番で笠森稲荷の地主でもある倉地甚左衛門の許に嫁いだそうですが。
そのお仙を描いたのが春信、二人を記念して永井荷風が谷中の大円寺に碑を建てています。
しかしこの寺は何の関係もなく、実際の笠森稲荷のあった福泉院は明治に廃されています。
その 跡には明治26年(1893年)に功徳林寺が建立され、
境内に改めて笠森稲荷が祀られています。
「とんだ茶釜」は思いも掛けない大変良い物事を言います。

「笠森稲荷の鳥居に詩を書くお仙」
春信

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