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大河への道  その4 伊能忠敬記念館

全国には小京都と称される町があります。
津和野は山陰の小京都とか竹原が安芸の小京都とかのように。
その伝で小江戸というべき町もございます。
その一つに佐原がございます。現在は合併で千葉県香取市ですか。
いい雰囲気の町ですが小さいです。2時間もあれば充分です。
「おい、どうする?」
「どうするたって他に行く所ないだろう。まあここでも入ってみようか」
「ただたかって読むのか。ちゅうけいって思ってた」
てな具合で立ち寄ったのが伊能忠敬記念館、4年前のことです。
その入り口で衝撃を受けました。
壁面に国土地理院製作の日本の白地図がありまして、それにスライドして来たもう1枚の地図が重なります。ほぼ正確に重なります。僅かな誤差は地球の丸味がもたらすもの。
伊能地図の見事さに心底驚きました。
聞いていただいてます。一瞬一人になったような気がしましたので。
学校行事で訪れた小中学生は違っている部分を見て笑うそうです。
しかし手作りの天眼鏡や竹、荒縄といった道具で作られた事実を知るとまた違った反応を見せるとか。
忠敬は17歳の時に伊能家に婿養子に入ります。手広く商う商人でした。
なかなかの篤志家で天災に襲われたりした時は、蔵を解き放ち村人を救ったりしたそうで帯刀を許されていました。
50歳で家督を譲り江戸に出ます。そして地球の大きさが知りたいと入門したのが幕府天文方高橋至時、あのシーボルト事件で獄死した高橋景保の父です。
至時は19歳年長の忠敬の入門に戸惑いますが、隠居の慰みの手伝いと気楽に考えて引き受けます。
19歳年上、ちょうど談志がそうです。
談志が私に「弟子にしろ」(モノマネ)なんて来たらもちろん断ります。
ではなく忠敬ですが、至時は彼の天文学への造詣の深さとその熱意に驚かされます。
そして地球の大きさを計算する一環として蝦夷地の測量を勧めます。
幕府方はその意義を理解しませんでしたが、費用も忠敬持ちでもあり許可します。
55歳を過ぎてから一定の歩幅で歩く訓練等を重ね道具を手作り、一から測量に取り組みます。
その成果に幕府も驚き日本地図製作を命じるに至ります。
都合18年忠敬は地図製作のため歩き続けます。
日本全国を歩きます。社会的見返りは何も期待できませんが。

そんな伊能忠敬がまだNHK大河ドラマに取り上げられていない。
そんな理不尽はなかろう、と佐原の町はプロジェクトを立ち上げるべく噺が始まります


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