2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト

« 大河への道 その2 坂本龍馬 | トップページ | 大河への道  その4 伊能忠敬記念館 »

大河への道 その3 シーボルト

「で明日どうする?」
「どうするって」
「明日の仕事は夕方だからそれまで時間あるでしょう。どうする?ブームにのって龍馬巡りします」
「わざわざ混雑している時にそんな必要ないでしょう」
「なら他に行きたい所、やりたい事あるの?」
「ある」
「えっ!何処?」
「シーボルト記念館」
「シーボルト記念館?! そりゃ渋いね」

渋いと言われた理由は行くとお判りになります。
小学校の教室を少し小さくしたような広さの部屋が3つ。コの字型に並んだ極地味な記念館です。
学芸員らしき男性が私を知っていてくれまして、案内しましょうかと声を掛けて頂きました。
ありがたくお願いしたんですが、坂本龍馬に詳しいのとシーボルトに詳しいのとどちらをお望みですか、と尋ねられました。せっかくですからシーボルトと言うとその方でした。
いきなりシーボルトは何人かと聞かれましたんで、オランダ人?と答えました。
「ドイツ人です。そんなことも知らない人が来るんですよ」
思わず頭下げちゃいましたが。
館内には当時のシーボルト縁の品が並んでいます。
思わず本物ですかと聞くと、本物です。寄贈品です。
それにしては寄贈者の名前がないのでどなたですかと尋ねました。
寄贈者が望んでませんので、という返事でしたが例の三菱出の頑固者が識り合いかも知れないので是非教えて欲しいと迫りました。
すると「それは私です」なんと寄贈者は扇浦さん、その学芸員御本人でした。
広島出身で遺跡発掘に関わっておられたのがふとしたことでシーボルトにのめり込まれます。
そして私財でこれはという品を買っては記念館に寄贈されているそうです。
凄い学芸員さんじゃあないですか。
それに何と言っても私に高座のネタをこんなにも提供していただいているんですから。
でも隠しておきたいのなら最後まで黙ってりゃあよさそうな気もしますが。

ともあれ私が何故シーボルト記念館に来たかったその理由ですよね。
シーボルト事件、ご存知ですよね。
シーボルトがご禁制扱いだった伊能地図などを海外に持ち出そうとした事件です。
地図を渡したのは幕府天文方の高橋景保。
彼は伊能地図は日本を救うと考えシーボルトに渡し、その代わりに海外の地図などを受け取り情報を得ようとしました。
シーボルトは賢い男でしたので地図を受け取るとすぐにそれを複写、鳥籠の糞を受ける敷物の下に隠します。
幕府に事が露見するや原本を返し地図を手にして国外に退去します。
一方高橋は獄死します。
「でもどうして幕府にばれたんですかね?誰かちくったんですかね。」
「そうです、この男がやったんです」と出口付近にあった肖像画を指差します。
「誰ですか」
「間宮林蔵です」
「えっ、あの間宮ですか」
「そう、海峡を突き切り樺太が島であることを証明したあの間宮です」
「そんな人がそんな事をするんですか」
扇浦さんの説明はこうです。
間宮は高橋が上司であることを日頃から快く思っていなかった。
高橋が留守のある時にシーボルトが尋ねてきます。
そして包みを一つ間宮に預けていきます。
おかしいと感じた間宮は自分一人では開けず、役人に届け出て開けると出てきたのが外国の出版物と地図への礼状。
かくして幕府に知られるところとなったのです。
そんな記録があるのですかと聞くと「私の想像です」。
ねえ、いい学芸員でしょう、想像を逞しくして歴史を語ってくれる。
江戸時代の様子が目に見えるようでしたね。
私が知りたかったのは地図を巡ってのこれらの経緯です

http://mainichi.jp/enta/geinou/warai/shinosuke/archive/news/2011/20110218ddlk13070274000c.html

« 大河への道 その2 坂本龍馬 | トップページ | 大河への道  その4 伊能忠敬記念館 »

落語」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1415887/41397747

この記事へのトラックバック一覧です: 大河への道 その3 シーボルト:

« 大河への道 その2 坂本龍馬 | トップページ | 大河への道  その4 伊能忠敬記念館 »