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2011年10月

こんな男にはなるまい

ノンフィクション作家の梯久美子さんが先月の日経に「インタビューの極意」と題した一文を書かれていた。
その中で一つの経験を語られている。
新宿のとあるレストランに1組のカップル。
そこだけ周りとは異なった空気が流れている。
なんとも言えない爽やかな親密感が漂っていたそうです。
しばらく観察してその原因が判ったそうです。
それは女性が周囲がどんな動きを見せようとも全く目の前の彼から視線をそらさなかったからではないかと。
普通どうしても周りに気をとられたり、別の事を考えたりしがちです。
そうすると相手も気が散っていることを見抜く。
逆に彼女のようだと、「この人は今という時間全てを私のために使ってくれている」と感じる。
その結果二人は柔らかいバリヤーに包まれたようになり、相手にリラックス感をもたらす。
またもう一人のエピソードとして先日亡くなられた児玉清さんの話も。
児玉さんはインタビューに答える時、ゆったりと構え先を急ぐ気配を感じさせなかった。
「あなたのためにいくらでも時間はありますよ」と思わせてくれたそうです。
そうした中で人生の一瞬を垣間見せてくれる時がある。
その時インタビュアーも自分の全部ををさらす必要がある。
そえが極意の一つかも知れない。

今日久しぶりにNHKの正午のニュースを見た。
嫌いな顔の見たくもない情景が映し出された。
枝野大臣と東電の社長が面会。
会場前で枝野大臣が出迎え先に頭を下げた。
その瞬間まで東電の社長は明らかに大臣を無視、視線を避けていた。
握手の時は視線を交わしたがすぐに見切った。
案件が賠償問題で気にくわないのかも知れないが、これが責任を負うべき人間の担当大臣にとるべき態度ですかね。
東電を潰さずこんな人間に任せておいて原発事故復旧、被害者救済がなるかはなはだ疑問。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111024/t10013463441000.html

真打登場

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AUから電話がありました。もうこれで何度目でしょう。
来年7月に私の携帯が使えなくなるので機種変更の勧めです。
まだ半年以上ありますのにえらくせっついて来ます。
逆に私は間際まで動かないという悪癖の持ち主です。
今回はそれが実利を産みますので余計です。
ほんの一月半前は本体割引きが5000円でしたが今21000円引き。
それに毎月1500円、2年で38000円の料金割り引きもついてます。
待てば海路の日和ありと考えるのも致し方ないかと思うのですが。
割引は結構ですが反動はないのか。アメリカでも定額制が従量制に換えられている状況です。スマホに変えたとたん日本でも従量制になったりして。回線容量も気になりますし。
でもスマホ人気が凄まじいようです。
中でも本命新型アイフォン4Sは3日で400万台売り上げたとか。
スマホの部品市場だけでも5兆円規模らしい。
一方我が折り畳み携帯に不可欠なヒンジを作っていた会社は上場廃止に追い込まれた。
もはや持ち主ではなく携帯そのものが時代遅れになってきたよです。

何とかギリギリでお尻を上げたのが京都での「フェルメールからのラブレター展」。
会期終了の2日前にやっと行ってきました。
前売りを買ってから何ヶ月、いくらでも行く時はあったのですが。
おまけに3時からはコンサートも予定してました。
早朝勤務だけで切り上げ駆けつけましたが、やむなく一番奥の「手紙を通したコミュニケーション」とタイトルを付けられた部屋に直行。
会場の入場制限はありませんでしたが、部屋の前にはじっと待つ女性の列。
そこにフェルメール作品3点が並んで展示されていました。
「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使」。
それまでの部屋の暗いバックの絵とは違い窓から日が差しています。
なんとも言えない微妙な光の当たり具合、素材の違いが明らかですね。

そういえば今春には地理学者」も来日、今年はちょっとしたフェルメールラッシュでした。
そしてマウリッツハイス美術館の改修のおかげで真打「真珠の耳飾りの少女」も来夏東京に、そして秋に神戸に来ます。

生物学者の福岡伸一がある仮説を唱えています。
地理学者のモデルと言われるレーウェンフックのスケッチ画がフェルメール作ではと。
レーウェンフックは手製の顕微鏡で様々な物を観察、そのスケッチを王立協会にせっせと送っていました。
(レーウェンフック手製の顕微鏡は今の物とは違います。
とても顕微鏡とは思えません。
http://www.tohoku-epco.co.jp/kids/hatsumei/07fuyu10.html
そして「自分は絵が上手に描けない。だから顕微鏡のスケッチは専門の画家に頼んで描いてもらった」と記しています。その代筆したのが共に1632年10月、オランダの小都市デルフトに生まれたフェルメールだと言うのです。ただ二人の接点の記録は何もありません。
ただフェルメールの死後、彼の遺産管財人となっています。
専門家は画風からだけでは判断できないとしていますが、さてどうなんでしょう?

画像1は1675年3月26日付けの手紙に書かれた昆虫の脚
画像2は1678年5月31日付けの手紙にある散髪屋で採取した髪
画像3は1712年11月8日付けの鯨

やはり代筆だったのは間違いないような気がします。
因みにフェルメールは1675年12月15日に亡くなっています。

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画像1                画像2           画像3          









暁斎挿絵

牛店雑談/安愚楽鍋 三編 上

仮名垣魯文 著
河鍋暁斎 画

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三編 下

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上方落語競演会 昼席

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日 時 2011年10月8日(土)
会 場 兵庫芸術文化センター 阪急中ホール

桂 ひろば    「大安売り」
月亭 八光    「ちりとてちん」
笑福亭 銀瓶  「千早ふる」
桂 塩鯛     「天狗裁き」
中入り
桂 米團治    「親子茶屋」
笑福亭 松喬  「壷算」

桂 ひろば    「大安売り」
ざこば一門弟子が8人、上三人には朝丸時代で丸が付き、後の五人には”ば”が付いてます。
もちろん師匠に付けていただくのですが私には4つの候補があり自分で選ぶように言われました。
4つというのが今のひろば、なんば(西成に住んでいたので)、ふろばそしてはかば。

月亭 八光    「ちりとてちん」
マクラも噺も面白くない。
この度のお江戸での真打昇進の3人は28人、21人、8人抜きだそうです。
まあ八光は抜かれる方ですね。

笑福亭 銀瓶  「千早ふる」
米朝師匠に一番近い噺家です。芸ではないですよ、武庫之荘に住んでるだけなんですが。
今日は米朝一門と松鶴一門ですが、どうですか八光君えらい肥えてからに。
きっと八方師匠とおいしいもん食べてるんでしょうね。
大阪の福島の「あじ平」いうフグ専門店なんかによく行ってるようです。
私ら中途半端に売れ方ですから時間はあります。
週4回ジムに通って鍛えてます。
ほらこの力こぶ、本当なら裸で落語したいぐらいなんですが。
トリを務める松喬師匠も鍛えてはります。笑福亭は武闘派なんですね。
米朝一門はちょっと甘いような気がします。御曹司をはじめとして。

先日自室で仕事してますと居間のほうで嫁さんと子供で盛り上がってるんです。
私がいないと盛り上がるんですね。
何事と覗くと高校生のクイズ選手権の決勝やってました、開成と灘。
灘、母校ですわ。嘘ですよ。灘区に住んでただけです。
開成のマッチポイントで大詰めの問題が
日本名を「北知床岬」という、サハリン島の東端にある岬の名前は何?
こんなん判ります?とりあえず納沙布岬と答えたら灘が同じ答えでした。
開成は違う答えでしたのでどっちやと思ったらCMで引っ張る引っ張る。
正解はテルぺニヤ岬で両者間違い。
次の問題は、
英語のベースボールを「野球」と訳した教育者は誰?
それやったら正岡子規と答えたら又灘と同じ答え。
やっぱり俺は灘や、と家族に言ったんですが、開成が答えた中馬庚(ちゅうまんかなえ)が正解で優勝。
確か正岡子規の幼名が升(のぼる)、それでノボール=野球と称していたと聞いていたのでこれは納得いきませんでした。
調べますと「打者」「走者」「四球」などの野球用語は正岡子規の訳でしたが、野球は違うそうです。
こんな風に雑学に通じているとという噺を一席。

桂 塩鯛     「天狗裁き」
昨年67年ぶりの塩鯛を襲名しました。
そもそもは米朝師匠に勧めていただいたんです。
全国各地こちらでも10月31日にお披露目させて頂きましたが、最後は出身地の京都南座でした。
ありがたいことに米朝師匠にも口上に並んで頂きました。
お客様は皆さん私より米朝師匠に注目されたんですが。
その幕が揚がろうとしたまさにその時、米朝師匠が突然「今日は一体なんや?」と言い出したんです。
ざこば師匠が塩鯛の襲名と説明すると、「何で継ぐんや?」
あんたが言いはったんや、と突っ込みたくなりましたが。
いざ幕が揚がるとありがたい口上をいただいたんです。
それやったらさっきのボケはなんだったんと思ったりもしました。
打ち上げの席でも再び「今日は一体なんなんや?」

まあ皆様のご支持を頼りに次へ伝えたいと思っています。
私は落語は気楽に楽しんで頂けたらと思っております。
よくこの噺の時代設定は何時頃とか、細かい点を追及質問されるお客様がいらっしゃいます。
先日も「みかん屋」でミカン一つ1円でやったら聞かれました。
別に具体的な時代設定は考えていませんでして、ただ1個1円なら計算しやすい。
ただそれだけです。
夢の話をあまり難しくお考えにならないようお付き合いいただきます。

中入り
桂 米團治    「親子茶屋」
御曹司です。
親が人間国宝ですと子供もそれなりの苦労があります。
香川照之の気持ちがよくわかります、
と海老蔵が香川照之に替わったぐらいで、よく聞くマクラでした。

笑福亭 松喬  「壷算」
マクラで米朝師匠が話題に出ましたので私は松鶴の話を。
亡くなってもう25年です。
噺家の中には松鶴を知らないのが出てきました。
今年還暦を迎えた記念に本でも出してはと勧められましたが、最初はどうかと思ってました。
しかし今の内に松鶴の事を伝える必要があるのでは、と思い直して今日も15冊ほど持ってきております。本日は特別価格の100円引きでお願いしております。
その中でも触れておる話になるのですが、私は入門に際しては師匠に手紙を出しました。
「こんにちは」
「まあ、こっち入り。お前誰や?」
「高田です」
「何しに来たんや」
「弟子入りしたいんです」
こんな風な会話形式のです。
因みに鶴光兄は往復はがきで弟子入り入門許可か否か○させたそうです。
上に仁鶴、鶴光が居て福笑、私、松枝、呂鶴が半年ぐらいの間に入門、いわば同期です。
人間誰しも好き嫌いがあります。
入門して7~8年は師匠は私を嫌っていたと思います。
そう思いたくなるぐらい辛かったですね。
師匠が好いていたのは仁鶴、福笑です。
一方女将さんのあーちゃんが好いていたのは鶴光、私、鶴瓶。
どちらでもないのが松枝、呂鶴。この3派に分かれてました。
当時師匠も50歳過ぎ、脂が乗り切ってます。毎日稽古付けて頂きました。
同期の4人一緒です。
今日はこの部分と決めた所を師匠が2度やります。
それから我々が順次やるのですが
まず福笑は稽古嫌いで覚えもよくないのでイラついた師匠が次、と私に振ります。
で私も覚えが悪い。さらに播州訛りが師匠の気にいりません。
言葉も違いますしアクセントも微妙に異なります。
そこをしつこく直されます。横から福笑も同じようにちゃちゃ入れます。
手本2回では好きというだけで入門した私には無理です。
おまけにひどい時は手本が2度とも異なったりします。
入門前から勉強してた松枝、落研出身と言ってもよい呂鶴とは違います。
稽古は福笑10分に私は40分要りました。
それに比べて要領のよい弟弟子二人は私の稽古を横で見て覚えそれぞれ3分ずつ。
しばらくすると師匠が日曜日は稽古は休みと言いました。
それを聞いて私だけが喜んだとまた怒られたりしました。
そうこうする内、4人にそれぞれ希望の噺の稽古を付けて貰えることになりました。
稽古嫌いの福笑は稽古を断りました。呂鶴は大ネタを希望して師匠を喜ばせます。
私はこれならできそうと「手水廻し」をお願いしました。
すると師匠の様子が変わりました。言葉も敬語です。こんな時は要注意です。
何回か聞いたことあるかと尋ねられ、5回ほどと答えるました。
なら曲がりなりにもできるやろ、今ここで演ってみろ。
オチまで行ったら意地でも教えたる、と仰せです。
あらすじは判ってますが、セリフまで覚えてません。
うろ覚えでやり始めましたが、師匠は新聞を読み始めます。
さらにはトイレで座ってしまいます。
しばらくして戻ってもまだ私がやっている。「熱心な事でおますな」
何とか最後までいきましたが、「それだけできれば稽古の必要おませんやろ」。
私もブチッと切れて以降稽古してもらえませんでした。
しばらくして師匠が神戸の松竹座で昼夜2席10日間を務めることになり、私が付いて行きました。
同じお客さんがお越しになることもありますので、昼夜ネタを変えるのが慣例です。
しかし初日松鶴はどちらも「手水廻し」を掛けました。そして次の日もさらに次の日も。
結局10日間20席すべて「手水廻し」でした。
いかな私でも覚えます。
これが師匠の教え方でした。弟子に応じて教え方が違いました。
鶴瓶は一度も稽古して貰ってません。
楽日にお礼を申し上げますと「わたいは稽古した積もりはない」
今度はブチッと繋がりました。
ずーっと師匠に付いて行こうと決心しました。

さど☆まさし 題名のある音楽会

011


東日本大震災復興祈念チャリティー・コンサート

さど×まさし 題名のある音楽会

2011,9,30
兵庫芸術文化センター

佐渡 裕
さだ まさし
スーパーキッズ・オーケストラ
兵庫芸術文化センター管弦楽団  ほか

構成 井上 知幸

【第1部】演奏:スーパーキッズ・オーケストラ
バッハ:G線上のアリア
チャイコフスキー:弦楽セレナードより第3楽章“エレジー”
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲より“パッサカリア”
さだまさし:道化師のソネット(共演:さだまさし)
いずみたく/永六輔:見上げてごらん夜の星を(共演:さだまさし)
【第2部】演奏:兵庫芸術文化センター管弦楽団
シベリウス:フィンランディア
マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナより“間奏曲”
主人公(共演:さだまさし)
いのちの理由(さだまさしソロ)
案山子(さどまさし さどvo,fl  まさし vo.g)
風に立つライオン(共演:さだまさし)
レスピーギ:ローマの松より“アッピア街道の松”

NHK放映
2011.11.3 8:20~9:28

画像は支援グッズのTシャツロゴ

震災時佐渡裕はBBCを引き連れて横浜にいたとか。
横浜でも結構な揺れだったそうです。
その後東北の惨状を見て何もできない自分の無力感にさいなまれたとか。
思わず電話したのはさだまさし、クラシック関係の仲間がいないわけではないそうですが。
直接スコップを持ってのお手伝いはできないが、近い将来被災者の心の穴を音楽で埋めることができるだろうと話し合ったとか。
会場の兵庫芸術文化センターは阪神淡路大震災の復興のシンボルとして建てられた。
被災経験のない自分でいいのかと悩んだ末に芸術監督になったのが佐渡裕。
生さだに何らかの支援活動をとメッセージを送り、そして5ヵ月後実現したのが今回の音楽会。
もちろんそれぞれが個別に現地に入り、何らかの行動はとっている。
佐渡のもとに届いたのは釜石根浜海岸で流された旅館「宝来館」の女将からの便り。
松林の中の旅館の跡地で海に向かって演奏されたのがスーパーキッズオケの「G線上のアリア」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110809/trd11080912030005-n1.htm

当日は釜石から女将も駆けつけ私と同じ6列目で楽しまれていた。

さだもスーパーキッズをバックに被災地でリクエストされた曲を歌う。
その間のトークでは小3から高校3年生のメンバーにかっての自分を思い浮かべるようなコメントも。
間違った道に迷い込まないようこのまま真っ直ぐ進んで欲しいと。
しかしこの4年でスッカリ入れ替わった子供の中にはこの顔でクラシックかと疑ういたくなるような子も。
実際放送作家になりたいという少年もいるようです。

また全国から寄せられた便りを紹介、二人で被災地への思いを語っていった。
佐渡裕、さだまさし、そして会場が兵庫芸文。
この組み合わせで思い浮かぶ男が一人います。
佐渡やさだと各地を歩き、兵庫芸文のある西宮に住みここで毎年落語会を開く男。
そう笑福亭鶴瓶も登場。
こうなるとさだと鶴瓶の漫才に佐渡もオロオロ。
このままでは話がまとまらないと二人の間に立ち位置を変える羽目に。
話は「家族で乾杯」での被災地の思い出話も加わってさらに盛り上がりました。

後半にはさだの「案山子」を二人でデュエット、この1曲のために指揮者として渡辺俊幸が登場。
http://blog.toshiyuki-watanabe.com/
佐渡のフルートは聴いたことがあったが歌は初めて聴いた。うまいとはいえませんね。
一方さだまさしも生まれて初めてこの歌の歌詞を間違えた、とはやはり熱い思いがあったのか。

15分の休憩をはさんでほぼ3時間のコンサート。
さだが最後に息の長い継続的な支援が必要と1回だけに終わらせないと言ったが続編を期待したいコンサートでした。
終演後ロビーで二人が募金活動、あまりの行列の長さ人の多さで二人の姿は全く見えない。
アンコールで全員で合唱した「ふるさと」も併せて最後まで熱い音楽会でした。

因みに中間発表時800万円あった義援金で宮城の二つの高校の吹奏楽部に楽器を贈るそうです。
その1校気仙沼高校からも先生と生徒が来ていた。

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