笑福亭鶴瓶落語会
2012年1月22日
兵庫芸術文化センター
鶴瓶噺
「火焔太鼓」 柳家花緑
「癇癪」 笑福亭鶴瓶
中入
「お直し」 笑福亭鶴瓶
三味線 林家 和女
鳴り物 桂 阿か枝
林家 染左
お茶子 高嶋 藍
急な来客で30分の遅刻。
なんとか鶴瓶噺の最後に途中入場。
ゲストの花緑と対談中。
花緑とは予想していなかった。
これまでは三三、市場とまだ関西にはそれほど馴染みではない噺家を紹介したのは自分というのが鶴瓶の自負だったから。
私の期待は○○人抜きで話題の春風亭一之輔、古今亭朝太、古今亭菊六だったのですが。
ゲストの代わりに演目は最近取り組んでいる江戸物を2席
「癇癪」は黒門町が得意とし、「お直し」は江戸でも古今亭志ん生のみが伝えたネタ。
余談ですが五代目はこの廓噺で文部大臣賞を受賞(意に反して?)しています。
この点をパンフレットで小左田定雄が3つの「つるべの恩返し」と題し紹介している。
一つは各地で独演会を開き多くの人に落語の楽しさを伝えた。
若手の勉強会にも積極的に出演、世間に努力している若手を紹介
そして江戸の「堪忍袋」を上方版に仕立て直して伝え上方落語の財産に育てる
これまで自分が師匠や先輩からの恩を、立場を得た時無償で後輩の世話をするという「恩の連鎖」で伝えている。
「癇癪」もまだ試行錯誤が続いているようです。
開始早々背景に在りし日の六代目の姿が映し出される。
昨年末は噺の流れの途中で流したテープを冒頭に紹介
画面にテロップで六代目の言葉が流されます。
何を言っているか不明のお向かいの市会議員ネタ等がマクラ
どこからが本編か判らなかったがどうやら病院でのカレーライス、プリンが入り口のようです。
「お直し」は背景や言葉の説明で時間を費やす
状況をできるだけ具体的に設定しないと遣り辛いとかで時代は1622年からの20年を想定。
お茶屋の説明では数少なくなった大阪の「鶴太郎」や金太郎姐さんの話しも聞かれた。
そう言えば先日「米朝よもやま噺」で老松町の「鶴太郎」の話が出てました。
なんでも鶴瓶さんがプライベートでウロウロしている時に見かけ、ここは一体何と調べて尋ねたそうです。しかしその時は一見を理由に断られたとか。後日伝を頼りに見えたそうですがその時のお連れは米団治と本日鳴り物担当の米左さん。
因みに米左さんは名取で北新地の若手芸者さんに教えているそうです。
志ん朝のを聞いた南光の勧めで取り上げたそうですがケコロの噺。
鶴瓶自身も言っていますが救いようのない噺ですし、一度聞いたぐらいでは面白みが判りません
それでは「癇癪」の頭までを思い出すままに
花緑「あっちは何かチェックの会か落語会か判らないんですよ。
その点関西は楽しいですよ。
ここでも鶴瓶さんの噺を楽しもうとしている雰囲気が感じられるんですよ」
鶴瓶「その点はありがたいですね。最初はネタの数も少なかったからね、十ちょっとかな。
それでもお客さんが着いて来てくれたからね。ありがたかったです。
この会場は米朝師匠も演じてはる。まだお元気な頃の。
あの師匠は3、400のネタ持ってはったからね。逆に春団治師匠は数は少ないけど12のネタをきっちりやりはる。」
花緑「そう言ったら米朝師匠のはいい加減みたいじゃないですか」
鶴瓶「そんな積もりで言うたん違うやけど。方や今は8つかな?完璧に演じはる。方や300忘れはってんも。自作の『一文笛』でも忘れはったりしたんよ。小指落とさなあかんのに指切らんかって、楽屋が心配したりしたこともあったですよ。
こんな話他で言うたらあかんで。」
鶴瓶「ではそろそろ花緑君には準備していただいて。
同じ国宝の子供花緑君は孫ですが違いますね。しゅっとしてますね。
小米朝あいつはゆるいで。
だから私は息子を落語家にしなかったんですよ。
息子が小学生の頃甲陽新聞に将来の夢を噺家と書いたんですよ。
それだけはアカンと言いました。他は何になってもええけど噺家は許さん、て。
もし他の師匠の世話になったら気遣いますし。そう云うの性格的に耐えられないんですよ。
では自分の弟子にしたら?きっとえこひいきします。そうしたら他の弟子に悪いでしょ。
そんなんでイギリス行ってミュージシャンになって帰ってきたんですよ。
それに役者にもなりよった。でも聞いてないんですよ。
朝ドラ「カーネーション」の川本勝やってるんです(会場どよめく。以外に知られてないんだ)
昔からそういう所があったんですよ。息子が高校生の頃、たまたま喫茶店で会ったんですよ。
向こうは友達と一緒でした。で話してたら友達に尋ねられているんですよ。なんで鶴瓶を知ってるのかと?
で西宮カントリーで知らない人に問われたんですよ。「あんた川本勝の父親か?」て。
そんな隠し子いてない、俺は宮根とは違いますからね、て答えました。
でも皆がそう言うてると言われるんでさらに説明されてやっと判ったんですよ。
まあ自分で道を見つけてくれてよかったと思います。
「火焔太鼓」
道具屋お噺を聞いて頂きますが、江戸時代の引越しは今とは様子が違っていたそうです。
今持っている所帯道具は新居に持って行かずに近所の道具屋に売ります。
それで身軽な状態で赴きあちらの道具屋で買い直す、そういったやり方だったそうです。
その道具屋にも大小様々あったようですが、小さな道具屋に却って掘り出し物があったりしたそうです。まとめていくらで商売してますから。
掘り出し物といえばあの番組の影響が大きいですね。
皆様もこれは将来ひょっとすると、なんかお考えになる事もおありになるのでは。
実は私も出して頂きました。
司会者が某助から変わったのをご存知だと思うのですが、ちょうどその時でした。
私の収録が土曜日の予定だった週の火曜日にあの記者会見があったんです。
司会者を変更して番組続行と聞いてひょっとするとひょっとするなんて期待もしてたんですが。
結局今田さんが司会を務められ収録しました。
その時最後にバーバリーおじさんが登場されたんです。
札束を懐に地方の蔵を訪ね、気に入った物があると札束を手にお願いするそうです。
そうすると大概の方は勢いに押されて譲ってくれるそうです。
退職金も注ぎ込まれたそうです。
その時お持ちになったのが100万円で買った浮世絵。
で結果は本物だったんですけど1万円、ショックだったようです。
司会の今田さんも言葉を失ったんです。
その時私が世の中に幸せを撒かれて歩かれたんですからよかったんですよ、とか言ったんですが受けがよかったようです。
なら司会は私でもしつこく思ってるんですが。
と最後まで羽織を脱がずに演じた
続く
「癇癪」
今昭和57年2月28日って出てましたね。亡くなる4年前ですかね。
置いとかなあきませんね。
何言ってるか判らないんで字幕で○や*になってましたでしょ。
向かいの市会議員て言うてるんですは。私らには判ります。
中が悪かってあっちが引っ越すかこちらが引っ越すか。
何回か警察沙汰のような事にもなったりしてたんです。





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