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2014年5月

ざこば 上方の浮世絵展


Shibakuni_05_800

「中村加賀弥改名摺物」  西光亭芝国 文政4年(1821年)

Background

Shûmei ("succeed to a name": 襲名) is a ritualized name-taking or accession ceremony. In kabuki, usually three or more times in a career, an actor succeeds to a new geimei (acting name: 芸名) while giving up his previous stage name, which in turn may be passed on to another actor at the same ceremony, or later. Shûmei are not merely switches in stage names, but  encompass the adoption of roles and performances of specific plays closely associated with one or more predecessors in the same acting lineage. Shûmei were followed, on the same program, by performances that management and fans considered specialites of the lineage. So it was a momentous occasion for the actor,  his sponsors, and his fans. A newly annointed actor had to live up to expectations and be worthy of the honor bestowned upon him. One way to commemorate shûmei was to commission a privately printed deluxe woodblock print with poems (surimono), as is the case here with Shibakuni's design.

Design

This is a shûmei surimono for a young boy named Matsutarô  (万津太郎) changing to (aratame: 改) or becoming the actor Nakamura Kagaya (中村加賀弥). He was the younger brother of the renowned Nakamura Matsue III (三代目中村松江), himself a pupil of the superstar Nakamura Shikan II (二代目中村芝翫), later Utaemon IV. Remarkably, this surimono appears to be the only record of Kagaya, who was probably about 5 to 8 years old at the time of publication — he is referred to as "Nakamura jidô" (Little-kid Nakamura). Possibly he died young or abandoned  the stage not long after his shûmei. We should note here that the name Kagaya, with a different third character (加賀屋), was the"house name" or yagô of the actor Nakamura Utaemon III (1778-1838) and also of his protege Nakamura Tamashichi (1836-1860) and should not be confused with the Kagaya (加賀弥) commemorated in this surimono.

There are poems by the aforementioned Osaka actors  Matsue III  and  Shikan II, along with the equally celebrated Tojaku (the Edo-based actor Iwai Hanshirô V: 五代目岩井半四郎), who was visiting Osaka in 1821-22. Tojaku (杜者) was Hanshirô's haigô (literary name: 俳号). Thus the young actor is being welcomed to the kabuki stage by some of the finest actors of the period.

The headnote identifies the occasion, Matsutarô  changing to Nakamura Kagaya. (Matsutarô aratame Nakamura Kagaya)

The first poem is by Kagaya: In the early evening the color red is good — irises. (Yoinakani akainoga yoshi kakitsubata)

The second poem may be read as The younger brother trains for the stage and has taken a new name. Such a  promotion is pretentious, but please support him for a long time. (Imada osamaki ototoga okagamashikumo na o aratamete shugyô suenagaku gohiiki o negai matsuran koto o gohirô môsu mo osorenagara)

The third verse (by Matsue III) is brief: I had two iris stalks. (Kakitsubata nihon soroete moraikeri)

The fourth poem states, He is family. We hand over to him the name 'Kagaya'. Please support him. (Miuchi narumono nishi areba Kagaya to ieru na o yuzuri yukusue no gohiiki o nogau nomi)

Shikan II wrote the fifth poem: As with a nightingale, the voice is all important. Will this voice be good or not? (Hototogisu koewa yokaroga warukaroga)

Finally, the sixth poem: Let's celebrate the great potential of the kid Nakamura— a bud of the peony flower.* (Nakamura uji jidô no kaimei o shukushite sakariniwa [...] to botan no tsubomi kana)

At the lower right is the artist's signature (Shibakuni ga: 芝國画) and at the lower left a name reading  Zakoba  (ざこば), who was a printer active circa 1822-25.** See also YSK03 for an example of Zakoba's printer seal. Below his name there are three seals, the first reading hii (贔), an abbreviation of hiiki (patron or fan of an actor or kabuki: 贔屓).  The other seals read Ha (ハ) and Ido (井洞). So this surimono appears to be sponsored by a number of patrons or fans of Kagaya or members of a kabuki fan club.

Kagaya, who is holding an ôgi (folding fan: 扇) and a freshly plucked water iris (the kakitsubata 杜若 mentioned in two of the poems), is walking along a yatsuhashi ("eight-fold bridge" or bridge of eight planks: 八橋), a type of low bridge built over a shallow pond or marsh consisting of wooden planks without rails layed out in a zig-zag pattern. Yatsuhashi were often built over iris marshes, as we see here in Shibakuni's surimono, recalling the classic Ise monogatari (Tales of Ise: 伊勢物語) in which the main character and his companions stop to rest at a famous iris marsh traversed by an eight-plank bridge.

This surimono comes with a very rare, printed portion of the original envelope

上方の浮世絵展に行ってきた
約40年ぶりの展示規模のようです
日本各地の美術館、個人の協力があったようです

その中で見つけたのが「ざこば」
思わずあの顔が浮かんできました。
初代ざこばでも1920年襲名ですから全く無関係でしょう。
江戸時代には歌舞伎の贔屓筋でも名乗っていたようです。

その他印象に残ったのは柳斎重春

5050161212750037 「自来也」

天保3年8月「棚自来也談」に取材した擦物形式の役者絵
この形式の物は版権が擦師にあったため擦物として作成後、擦り増しができたとか
全てに凝った作りです

それはこの展覧会のポスターになった作品にも伺える
この作品は7枚綴りの連作          

Photo_3

主になる太夫は単独で描かれているが他の6枚には七変化する業平、お福などがそれぞれの背後に見えます






その他興味あったのは擦りの違いと錦絵と合羽擦りの比較
前者では画像はありませんが国員が通称「油屋」を題材にした作品で上擦り、並擦り2組を並べその違いを比べていました
上擦りは金色を使ったり色数が多かったり、またそのボカシ具合にも差があります。
着物のデザインが違ったりもするようです

ネット画像では判り難いですが「曽我物語巻1」の画像を
上が上擦りです

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後者の合羽摺りと錦絵の比較では作者が異なる物の同じ役者の同じ構図の2点を並べていました

また美人がでも江戸とは趣が違います  
画像は祇園井特の           Jkai0206b
「歌妓恵以路図(かぎえいじず)」
だんご鼻気味で目立ちます
唇もはれっぼたい
井特は実在の芸妓を特徴的に描くのを
得意としていたそうです


Dp130162 流光斎如圭らの役者絵にもそういった所が見られます
「三代目花桐豊松のおはや」
法令線がくっきり

画題にある四声は豊松の俳名

流光斎如圭で印象に残ったのは
「狂言尽図巻」

安永から寛政年間にかけて活躍した役者34名を描いた絵巻物

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510 511_6517_2  



如圭で重要なのがもう1点
「旦生言語備(やくしゃものいわい)」
役者似顔の扇面で人気を博していた如圭最初の役者絵本
この絵本のヒットが上方での役者絵本の流行、一枚絵に繋がる

 

葛飾北斎「幻の肉筆春画」を本邦初公開 

     浮世絵研究者も絶賛

NEWSポストセブン 2012年12月21日(金)16時0分

2012年、浮世絵師・葛飾北斎の肉筆春画12枚が発見された。パリのコレクターが所蔵していた世界的な傑作であり、12月20日に発売された『週 刊ポスト』2013年1月1・11日号では、その12枚の春画すべてをカラーで公開している。この190年の時を超えて甦った「幻の肉筆春画」について、 浮世絵研究者の白倉敬彦氏が文章を寄せた。

 * * *

 文政五年(一八二二)、北斎は江戸参府のオランダ商館長・ブロムホフから絵画製作の注文を受けた。受取りは次回の参府の際、すなわち四年後の文政九年ということだったろう。

 そして注文品を受領したのが、ブロムホフの後任のデ・スチューレルと医官のシーボルトの二人であった。シーボルトが引受けたオランダ製紙の二十八点の作品は、後にシーボルト・コレクションとしてライデン国立民族学博物館に入っている。

 一方、デ・スチューレルが引受けたのは、和紙に描かれた二十四点とオランダ製紙の一点、計二十五点であったといわれてきた。デ・スチューレルは後年、パリに移住、これらの作品は一八五五年、彼の子息によってパリ国立図書館に寄贈された。

 ところが二〇一〇年のパリのオークションにデ・スチューレルの近親者から、コレクションの残りとして二点の肉筆画が出品された。そして今年になって、今回紹介する十二図一帖の春画が同じコレクションから出て来たのである。

  本作品であるが、図柄は大奉書全紙に描かれていて、各図は三十七・三センチ×五十二・二センチ。現在は、中国風の画帖に一枚ずつ張り込まれているが、本来 は、折帖に仕立てられていたものと思われる。中折れ線もあまり目立たない状態で、書入れのある余白には白雲母が塗り込められている。

  肉筆作品に書入れがあるのはかなり珍しいが、これも十二枚セットの組物折帖であるということから考えると納得がいく。文字は北斎の自筆と見て間違いなかろ う。彼の春画の代表作『富久寿楚宇』の書入れの文字と酷似している。また、用紙もパリ国立図書館蔵の一連の作品と同一というから、ほぼ同時期に製作された ものだろう。

 ところでオランダへの注文品の中に、なぜ春画帖が入っていたのか。それはおそらく、日本の風俗がテーマであった以 上、ごく自然に性風俗も入れるよう要望があったものと思われる。そして、風俗というからには、単なる交合図だけでは済まない、面白くはあるまいと考えたと ころが北斎の真面目。それゆえ、本作品の半数が群交図になっている。

 こうした形で真正の北斎春画が出て来ようとは思いもしなかっ た。中には、『浪ちどり』との類似を想起される方もいようが、較べてみればすぐ判るように、その彩色の精緻さにおいて両者の違いは歴然としているし、まし て陰毛の描写においては、その細緻さの面で格段の差が見てとれよう。「名作」の名に値する傑作が、よくぞ残っていてくれたとの想いを禁じ得ない。

古山師政

Photo

 

江戸時代の浮世絵師・古山師政(ふるやま・もろまさ)の肉筆とされる絵巻物が、イギリス・2013年1月4火日コットトランドのエディンバラ中央図書館で偶然に発見されました。

 
         

 

この絵巻物は1940年代に日本に在住していたスコットランド人の技術者ヘンリー・ダイアーの親族により、エディンバラ中央図書館に寄贈されたということです。

エディンバラ中央図書館の関係者によりますと、この絵巻物は数十年間に渡り保管されていたものの、日の目を見ることなく放置されていたということです。

この絵巻物は、長さが13メートルに及び、およそ300年前に東京で制作されており、ある特別な儀式の様子が描かれています。


「絵本庭訓往来」絵師 北斎本人か…新説

須坂市の田中本家博物館顧問で美術評論家の仁科又亮(ゆうすけ)さん(79)(千葉県袖ヶ浦市在住)が、江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)が挿絵を担当した江戸時代の書籍「絵本庭訓往来(ていきんおうらい)」中に登場する絵師=写真=が、本人自身を描いた自画像ではないかとする新たな見解を16日、県庁で発表した。

 仁科さんは浮世絵研究家で、国際浮世絵学会理事。絵本庭訓往来は、江戸時代に手習いの教科書として盛んに出版された「庭訓往来」の一種。挿絵入りで1828年(文政11年)に刊行された。北斎が、仏師や鍛冶などの職人を特有の詳細な観察眼で描いている。

 仁科さんは今年4月、千葉県いすみ市の寺が蔵する「絵本庭訓往来」を見ていて、登場する絵師が北斎ではないかと気付いた。絵師は2本の絵筆で女性を描いており、男2人がそれを驚いたように見ている。

 仁科さんは、この絵師を自画像と考えた根拠として「肖像画や自 画像で伝えられる面長な北斎の顔と似ており、描いている絵は、小布施町の北斎館が蔵する北斎の代表作『白拍子』に酷似している」と指摘。2本の絵筆を使う 曲芸的な制作ぶりも北斎らしく、「自己顕示欲も強く、自分の作品にほかの絵師を登場させるはずがない」と強調した。

 浮世絵専門の太田記念美術館(東京都渋谷区)の日野原健司主席学芸員は「一般的な絵師として描かれており、特定の誰かを意図的に表現したようには思えないが、絵師の遊び心として自分自身を投影したというのは一つの解釈かもしれない」と話している。

            
2014年05月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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