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2014年8月

「文化の多様性と笑いの普遍性」

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桂米朝×
筒井康隆×河合隼雄

平成17年10月8日
京都国際開館

司会: 皆さま、大変長らくお待たせいたしました。「第3回国際文化フォーラム」再開
いたします。後半は鼎談でございます。テーマは、「文化の多様性と笑いの普遍性」で
ございます。早速講師の皆さまをご紹介いたします。どうぞ、拍手でお迎えください
ませ。まずは、落語家の桂米朝さんです。どうぞご登壇ください。続きまして、作家
の筒井康隆さんです。どうぞ、ご登壇ください。そして、河合隼雄文化庁長官です。
どうぞ。それでは、ここからの進行は河合長官のほうにお願いいたします。どうぞよ
ろしくお願いいたします。

河合: 今日は、我々3人を笑い者にする計画じゃないかなと思っているのですが、
いの話を3人のまじめな人間にさしてみようと。しかも難しい題を与えられまして、
もう我々の先ほどの打ち合わせでは、題とか進行に関係なく、まじめに話し合おうと
いうことになっております。だから、私もあまり緊張せずにやりたいと思っています
が、だいぶ緊張しております。まず、笑いの話だから、笑いとは何かということにつ
いてですが、先ほど文化の定義が160あると言われましたけど、笑いの定義もそのぐら
いあるんじゃないかと思います。筒井さん、笑いとは何かと言われるとどうでしょう
か。
筒井: 笑いに関しては、この河合隼雄文化庁長官と、養老孟司さんと私の3人でお話し
した「笑いの力」という本が岩波から出ています。それから、米朝師匠とも対談をし
まして、この「笑いの世界」という本も朝日新聞社から出ております。ですから、そ
れに載っていない話をしようと思うと非常に辛いんですけれども。まあ、何とか頑張
りますが。そういうわけで、お2人とも親しいし、3人とも関西弁ということがあっ
て、何となく親戚筋の集まりみたいな感じがしますんで、なごやかにお話しさせてい
ただきたいと思います。(笑)
また同じ話になりますけれども、この前、米朝師匠との対談で、司会の方から「笑い
の定義とは何か」と聞かれて、師匠は「笑いの定義なんてものは、ないのと違います
か」と言われた。私もその通りだと思います。私も、まあ、笑いをテーマにした本を
書いている人間ですし、やっぱり笑いについての、笑いに関わっている人間ほど、そ
ういう定義は、できないんじゃないかと思います。
最初にちょっと、話の進行のとっかかりのようなお話をしますと、人間はなぜ笑うの
かと。笑いとは何かと。これ結局まだ何にも分かっていないですね。笑いの文学って
なことに取り組んでいるんですけれど、私にも何にも分かりませんし、だいたい真剣
に考えたことがないんです。だから、「笑いとは何か、笑いの定義は」と聞かれても、
ただ、呆然とするばかりなんです。笑いについて、何かを定義した人というと、哲学
者のベルグソンぐらいしかいないんです。以前、タモリと対談をしたときに、タモリ
は早稲田の哲学科を出ていますんで、彼が言うには「ベルグソンというと、あのバナ
ナの皮理論でしょう」つまり、誰か偉い人がバナナの皮ですべって転んでそれが面白
いという単純な定義をしているんです。それは定義にはならないんじゃないか。また、
自分より劣ったものを見ると笑うという定義もあるらしいんですけれども。井上ひさ
しなどは、それであればミスユニバースは自分以外の女の人を見るたびに爆笑してい
なければいけない(笑)。だから、そういうふうに、笑いというのは、一番よく言われ
るのは、精神の浄化作用である、カタルシスであるというふうに言われています。以
前はそういうふうに言われていましたけども、必ずしもそういうプラスの面ばかりで
もない。人が笑っていると、怒る人がいますね。自分が笑われているんではないか。
ブラックな笑いで不愉快になる人もいます。坂道をうんうん言いながら荷車を引いて
いる人を笑わせたらどうなるか。落ちるんですね、これは(笑)。また、武器であるか、
楽器であるかというふたつに分ける分類の仕方、そういうものもあります。つまり、
人を攻撃する笑いであるか、あるいは人を楽しませる笑いであるか。楽器か武器かと
いう分類。しかしこれはもう分類にすぎませんし、それに、それ以外の笑いだって数
限りなくあるわけです。ですから、さらに新しい笑いを見つけるためには、逆にそう
いう定義とか分類とかはしないほうがいいのであろうというのが、私の結論です。
河合: 難しい結論でありましたが、定義なんかほっときまして、実際に、師匠はやっ
ぱり人を笑わせとられるわけですから。それ実感はどうでしょう。
桂 : それが、なかなか笑ろうてくれませんのでね。もう苦労します。ほんまのこと
言うて、甲の人が笑うところで乙の人は笑いませんしね。笑うところが、みんな違い
ますわな。怒る人もありますしね。だから、笑いの定義ったって、まあ、今、筒井さ
んがおっしゃったけど、できませんわね。
筒井: 絶対できん。
桂 : できないもんだと思いますわ。だけど、先生かてやっぱり何か説明を求められ
たら一応はおっしゃるけど。
河合: そうそう、一応は何でも言います。
桂 : 一応はね。そやけど、まるっきり反対のことをおっしゃることもあるんやね。
河合: 平気でやってます。聞かれなかったらいいませんけどね。聞かれたら一応もっ
ともなことを言うのが学者ですから。その点、気楽なところがあるんですけれど。し
かし、本当に僕は思うんだけど、職業として、さっき言われたように、人が笑うって
いうのは考えたら大変でしょうなあ。
桂 : 笑ろうてくれなんだら、金にならんとなったらね、これは困りますわ、ほんま
に。その日本人なら笑うところを、ヨーロッパ人なら、侮辱されたと思うたりとかあ
りますわね。何で怒ってんやろなと思うたら、私は、ジョークのつもりで言うたこと
が、向こうには大変失礼なことにあたるというようなことを経験したこともありますけどね。何んにも言えんようになります、ほんまに難しいですわ。
河合: しかし人を笑わすというか、そういう職業は、世界中にありますよね。
桂 : 世界中にあります。
河合: ただそのときに、仕草で笑わすという人もありますけれど、それから道化役と
いう役もありますけれど、話で笑わすっていうのも世界中にあるんと違いますか。
桂 : あると思いますけども、私は一番レベルが高いんじゃないかと思います。しゃ
べりだけで笑わすというのはね。難しい、やっぱり心理的なもんもあるやろうし、何
かこう、しゃべりだけで笑わすというのは、難しいんじゃないですかな。文章を書く
場合でもそうやと思いますけどね。やっぱり、短い文章ほど、難しいでしょうね。
筒井: そうですね、だから、日本の小噺というのが、結局アメリカのショートショー
トに相当するんでしょうけども。あれは、アメリカではその笑いは、だいぶ以前から
発達してましてね。それから、例えば、スタンドアップコメディなんていうのがあり
ます。ウッディ・アレンがやっていたやつなんですけども。1人で立って喋りまくる
というのがあります。あれで面白いのは最近、日本人のしゃべり方の真似をするんで
すね。RとLの発音の区別がつかんという、そういうしゃべり方をしてお客さん爆笑
させているというけしからんやつもおりますけれども。
桂 : 僕は、普通にしゃべったら爆笑されるだけで。
筒井: 眼鏡かけて出っ歯にして出てくるんですね。そういうスタンドアップコメディ
の伝統というのが、向こうにありますね。
河合: 僕はつい最近、筒井さんのファンタジー作品を読んでいたのだけど、読んでい
ても、もう腹抱えて笑えるところがあります。「うあーっ」と笑えてくるようなところ
がありますね。ああいうのは、書いておるときは、まじめな顔して書いてないでしょ
う。笑いながら書いてないですかね。
筒井: まあ、それは、まじめな顔して書いていますけども。一度笑い出して止まらな
くなったことがありましたけども、それは、全く読者が読んでも面白くも何ともない
ところなんです。あれは、不思議なもんです。あれはちょうど、悲しい話を読んでい
る人が、皆泣きますよね。書いている人は泣いているかというと、そうじゃないんで
すね。私なんかもときどき悲しい話を書きますけれども、うまく書けた場合にはにや
っと笑いますね(笑)。これで読者が泣くだろうという会心の笑み。そういう精神的構
図になっているんじゃないでしょうかね。
河合: しかし話は生で聴いている人相手にしゃべるわけだから、本当にこの聴衆が笑
ってくれなかったら死にそうになるでしょう。
桂 : ですからね、大変失礼な言い方やけど、つまりテスト的なことをやるわけです
な。ちょっとこう反応を見るわけですね。
河合: ああ、なるほど。それは、マクラのときですか。
桂 : マクラですね。これ、どうかなと思ったらまるで無反応やと。ほならこっちへ
行く、またこっちとか、三色か四色こう試薬を。
河合: 今はどうですか、その辺で試薬は効いていますか。
桂 : まあ、それと、はっきり言うて非常に年令が違うとか、その集まっているお客
さんの性質が、がらっとこっちの人とこっちの人とまるっきり違うとかいうような
こには、これが困るんですな。これはもう、試薬2、3やったってだめです。そうするときには、もう万国共通のつまり下がかりのね、ことをもってこなきゃしょうがな
いじゃない。こうなったら。
河合: それが、笑いの普遍性ということになるとちょっと困るのだけど、確かに僕ら
は、笑いでなくて話をするのですね。こういう話をするときに、聴衆がまるっきり違
うとき難しいですね。
桂 : そうですね。
河合: 若い人ばっかりおったら、「どうもその近頃の高齢者なってない」という話はみ
なうけますしね。高齢者が来ているときには、「近頃の若者は駄目だ」というと「わあ
ー」とうけるんですね。両方おったら、何言うたらいいか分からへんて。難しいとこ
ろあるんですよ。
桂 : いやいやなるほど、やっぱりそういってお使いになりまんのやな。
河合: やります、やります。私はもう盛んに使っています。
筒井: 師匠、小噺もよくおやりになりますけども、マクラというのもあれ結局ショー
トショートなんですよね。
桂 : そうですよね。
筒井: あれ、私のショートショートからよく落語家の若手の方ですけれど、著作権と
いうのをよくご存知ない方が勝手に使ってらっしゃったり。私のところへ一応了解は
求めに来られるんですけどもね。「まあ、落語のほうには著作権というのはありません
が」なんておっしゃるんだけど、これ、あるんですよ、ちゃんとね。
桂 : いや、まあ、今までなかったんですなあ。長いことね。考えてみたら私らも何
百年前からの作品をずーと只で使こうて商売してたわけやから、使かわれてもしょう
がないですね。
筒井: ああ、そうか、落語そのものはそうですよね。
桂 : 順送りみたいなものやから。だけど、こっちが苦労して作ったやつを、すっと
無断で使われるとやっぱりちょっと腹立ちますわな。
河合: そりゃそうですな。やっぱり筒井さんのショートショートなんかマクラに使わ
れるわけですか。
筒井: そうです。使いやすいんですよね。
桂 : 持って行き方ですわ。あれもね、ただ、すんなり言うてうけるもんならええん
やけど。そりゃひとひねりふたひねり、ほんま言うたら言葉の順序を間違っても逆に
しても、もうそれだけで笑いが起こらないということありますね。そりゃ微妙なもん
ですな。
河合: そのマクラは、今言われたように、初めから考えてくるのじゃなくて、ちょっ
と見て、その場であれやろかと試薬的に使う場合が多いわけですか。
桂 : それは、そういうことは多いんですけれども、成功するとは限りませんけどね。
けど、本当に思いもよらん効果を及ぶこともあります。え、これほんまにうけるんか
なと、びっくりするぐらいうあーっとなることもあります、たまには。
筒井: まあ、マクラも短いわけですけれども、さっき言いました小噺ですね、下ネタ
とも言いますけれども、皆さんご存知かどうか知らないけれども、米朝師匠が、もう
40年ほど前になりますけれども、「いろはにほへと」という小噺集を、これ艶笑小噺な
んですね。ちょっとエッチな話。短い短い話を、LP2枚組みで出してらっしゃるんですよ。これは、面白いです。まあ、あとでおねだりすれば、いくつかやってくださ
るかもしれませんけれども。これは、私は、もう今は家宝にしております。
桂 : あれ、また出ているらしいんですけれどね。LPかなんかにして。わしんとこ
に送ってきてまへん。けしからんですな。
河合: 著作権のことは文化庁に相談してくれたら。文化庁、著作権やっておりますか
ら。
桂 : 本当にこの著作権という問題、これは私らたびたび悩んだりむかついたり申し
訳ないなと思うたりしました。誰が原作やどこが本当の原典やら分からんもんが大部
分ですから。
河合: 落語の場合はそうですね。それか、付け加えるんじゃないですか。
桂 : それは、付け加えもできますし、演出も変わりますので、ある程度権利はある
んやないかとは思うんです。
筒井: それは、しかし、言ってみれば、やはり日本独特のものだと思いますね。あと
からどんどん付け加えていくというのは。
桂 : そうですね。
筒井: スタンドアップコメディというのは、そのとき限りのもんですから、あまり何
回もできないということですね。やっぱり落語は笑いの伝統芸としては、世界一のも
んじゃないかと思いますね。
桂 : まあね、一人の人間がただしゃべるだけで、まあ、なかには随分長いものもあ
りますわ。ああいうのは、他に例がないんやないかと思うんです。
河合: しかも笑いだけじゃなくて本当に、情景をずーと話すこともありますね。
桂 : ストーリーですからね。
河合: あれを聞いてるだけで、いわゆる単なる笑いじゃなくて何とも言えん気持ちと
いうか懐かしいというか。
桂 : やっぱりドラマ的なものがありますからね。
筒井: だから、役者以上の能力を要求されるわけですよね。そういう演技はいるわけ
でしょ。語りが入るわけだし、さらに1人何役ですからね。
桂 : そりゃそうですわね。
筒井: これは役者とは違いますよ。やっぱり、役者以上のもんだと思うんです。
河合: 筒井さんは役者ですから。
桂 : 役者であり何であり訳の分からんようになって。
筒井: 何か決まった職業になるのがいやというのを「ならずもの」といっているらし
いのだけど。私は、「ならずもの」のナンバーワンだそうです。
桂 : 何にもならずですな。
河合: 「ならずもの」ってそう意味ですか。
筒井: いや、知りません(笑)。
桂 : ひょっとしたらそうかもわからん。
河合: 僕は何か、「ならず長官」みたいな気になってきて。さっき片倉さんがここで小
噺されたんで、あれ聞いたとたんに小噺作ったんですけどね。僕が作った小噺はね、
今クールビズとかいって上着脱ぐでしょう。みんな上着脱いで文化庁の連中と5、6
人で飯食いに行って、それで文化庁へ帰ってきたんですよ。そしたら、守衛がね、「あなた誰ですか」って言うんです。ほんなら、その部下が、「私はあの記念物で」「ああ、
どうぞ入ってください」「あなたは」って言ったら「私は、芸術文化の振興」「ああ、
どうぞ入ってください」って言って、みんなはちゃんと「国語のことやっています」
って入るでしょ。僕、「あなた誰ですか」「僕は、何もしていないんですけど」「あっ長
官ですな」って言って分かったというのは、これどうですか。あの話聞いたとたんに
一つできたなと思うて。このような話はパロディでしょうか。
桂 : パロディは難しいでんな、どこまで著作権があるのか。しかし、パロディとい
うパロディ文化というものも、日本は相当なもんやと思いますよ、昔から。
河合: 落語の場合は、元の歌舞伎をなんとかうまいこともじって笑わすっていうもあ
るんですか。
桂 : そういうものもたくさんありますね。元を知っていてもらわんと、面白くない
という。それは辛いですね。昔のように、忠臣蔵とか歌舞伎の有名ものは、大概ご存
知という時代ではありませんからね。
河合: それはそうですね。僕らでもそれほど知っていないですもんね。それでもまだ
親父やらが言っていましたからね。昔の人やったらその知っている言葉が全部みな共
通やったから、ちょっともじったら「わっ」と笑うけども。今はそれがなかなか難し
いんですか。
桂 : 難しいですな。今、日本国民の何%が、歌舞伎を見ているかしら。
河合: それから、それこそ「それは聞こえません、ゼンベイさん」なんていうのを、
僕らは親父が言っとったから知っていますけど。今「それは聞こえません、ゼンベイ
さん」って言ったって「それは分かりません」っていう人がものすごく多いんじゃな
いかな。
桂 : それはそうですわな。まあ、本当に「三つ違いの兄さん」やとか何とかいうこ
とを皆知っていた言葉やったんやけど。そうはいきませんから。
河合: 今「「三つ違いの兄さん」はどのくらいご存知か手を挙げてください」とか言っ
て、ちょっと統計とってもいいぐらいで。どうですか、そういう言葉を落語で使うこ
とはもう止めていられる。
桂 : いやいや、お客にもよりますし、それから、その、まあ、ある程度分からせる
ように伏線をちょっとふっておくということも。
河合: ああ、ちょっとふっとくわけですか。
桂 : それもいるんですね。
河合: だから、解説みたいなのが話の中に入っているわけですね。
桂 : そうですね。解説しますと言うたんでは面白ろないから。さりげなくちょっと
入れておくというぐらいの工夫はいりますね。
河合: それは、聴衆を見てやられるわけですか。
桂 : そのときの雰囲気ですな、まあ、お客さん次第ですね。例えば、筒井さんの作
品なんかもで、もうみんながびっくりするぐらいどっとうけて。私らでも、噺家の仲
間なんかみんな、ショートショートなんか好きですからね、大概知っていましたけど。
それでも、一般の人はそんなに知りませんからな。噺家仲間でやって、わーっとうけ
て、よそでやったら全然うけないと。「おーい、出て来い」なんかそうでした。あれな
んか、もう、噺家仲間でやったらもうみんな読んで知っていましたさかいね。どっとうけたんですけどね。
筒井: あれも非常に高級な落ちですね。
桂 : そうですね、あれは、確かに高級です。
筒井: 星さんのこと、話が出たんで、ちょっとさっき思い出したんだけど。ここへ来
る途中、崇神幼稚園というのがあって、崇神天皇は、数えたら10代目ですよね。この
辺りはそういう古いところで、天皇があちこちにおられる。そのときに星さんのこと
を思い出したんです。彼は言ったんです。「昔「あんかん」天皇という人がいて、あれ
はマージャンで暗槓をするのが好きだった。」「だって字が違うじゃないか」って言っ
たら、「いや、その頃は、まだ字がなかった」って。めちゃくちゃなことを言った(笑)。
河合: 「あんかん」天皇っておられますかね。
桂 : ああ、おりましたよ。
筒井: 安いと閑という字、安閑です。何代目かな。いや、だいぶあとですね。勘定し
てもまだだいぶあとです。
河合: その駄洒落を私もだいぶ文化庁で連発してるんですが。しかし、笑いというの
はやっぱり元気につながりますよね。笑うとやっぱり元気出てきますよ。だから、や
っぱりみんなわざわざお金を払って聞きに来るんですね。
桂 : そうですな。笑いというものは、本当に元気をつけるものでもあるし、何かを
忘れさすものでもあるし、たとえ短い時間でもそれを忘れさしてくれるというような
力があると思います。
筒井: やっぱり、人を笑わせるというのは、相当エネルギーがいるんですよ。笑うほ
うもエネルギーがいるけれども、だけども、我々人を笑わせて楽しいというのは、長
官もそうだし。師匠もそうだけども、それだけ笑わしたいというエネルギーがあるん
じゃないかと思いますね。
桂 : 確かにそうですね。人に笑ってもらうには、エネルギーがいりますわ。
筒井: 考えてみたら、そのエネルギーというのは、僕なんか小さいときからおっちょ
こちょいだったんですよね。それが関係あるのかなと思って。長官が小さい頃おっち
ょこちょいだったということは、ご本人から伺っていますけれど、師匠はどうだった
んですか。
桂 : いやー、やっぱり笑わせることが好きでしたわな。誰かが笑わせたらうけたと
思ったら、こっちもうれしなったりするほうでしたな。
筒井: 僕は、だから笑いの小説を書き始めて、よかったなと思うのは、今ちょうど世
界の文学の潮流が、笑いということになってきているんですよ。
桂 : ああ、そうですか。
筒井: 一番最初から言うと、最初は英雄王物語とかなんとか。それから、偉人伝とか
なんかだったんですけれど。それは、一般よりも皆偉い人ばっかり。それから、その
次に今度は悲劇のヒーローになってきて、一般の人よりは、偉いんだけども、環境に
負けてしまうという悲劇が出てきます。今はというと、一般の人より駄目な人、読者
が馬鹿にするような人っていうのが主人公になってきて、アイロニーの時代になって
きててるんですね。ですから、私は、ちょうどその時期にうまくその笑いをやったわ
けで、非常に幸せだったと思っているんです。ですから、私は今、文学賞の選考委員
いくつかやっていますけれども、私の場合の選考基準は、まあ、これは別にそれがなすわ。おおまじめにやっていましたから。
河合: いや、本当にみんな、おおまじめにやるんですからね。それが僕はいやだから、
何となく笑えてくるだけじゃなくて、1人笑うのは残念だから、ちょっと笑わすんで
すよ。例えば教練の教官が失敗したり校長先生が失敗したりしたときに、僕はすぐ気
がつくんですよ。みんな見ていないときに失敗したこと言うと、みんなで「わーっ」
と笑うわけですよ。そうすると、誰がやったかということになって、よう怒られまし
たけどね。
桂 : いや、本当に、あれちょっと誰かが指摘するとおかしいてたまらんようになり
ますな。それほどおかしないことでもね。
河合: 考えたら儀式とか本当にみんながまじめくさってやっているときっていうたら、
おかしいでしょ。あんなあほなことようやっとるなと思い出したら急におかしくなっ
てきて。
桂 : やっぱり軍隊行かれましたか。
筒井: いや、僕はもうちょっと若いですから。まあ、戦争ごっこはやりましたけど。
河合: 僕は軍隊行っていないんですよ。教練とかはやりましたけど。師匠は、軍隊行
ったのでしょう。
桂 : ちょっとだけ行きましたが、もうじきに病気になりました。「私らみたいなもん
とどこが日本負けたんや」とよう言うてたもんです。けど、結婚式なんかのとき、お
かしなったらしょうがないことありますやろ。仲人なんか頼まれて。
河合: そう、そう。僕は、ああいうときは困るんですわ。まだ、結婚式だったらいい
けど、一番困るのはお葬式ですね。お葬式でも、やっぱり何か失敗をする人って必ず
いるでしょう。ああいうときみんな何で笑わんのかなって、僕は不思議でしょうがな
いのですけどね。
筒井: やっぱりお葬式で一番困るのは、あの長いお経のあと、足がしびれて、あれで
どたーって倒れる人おるけど。みんな笑われへん(笑)。
桂 : そりゃある。あれ、本当に何かこう補助道具かなんかできんもんですやろかな。
あれ、やっぱり正座30分以上は無理でっせ。
筒井: 無理だや思いますけれども、師匠はずっとやっておられる。
河合: しかし、師匠なんかは正座しておられる。
桂 : 私は、まあ、座ってなしょうがないから。いつの間にやら慣れましたけどね。
考えてみたら、慣らされたんやな。
河合: それと見ていたら分かるけど、ちょっと動きのときにうまいことやってらっし
ゃいますね。
桂 : いや、そうですね。ある程度落語されているときに、ある程度動くんです。
河合: それでこうぱっと動いたりして、しびれをぬいているのかと思って。
桂 : いや、ぬいているわけじゃないけどね。動くとね、そんなにしびれきれへんの
ですじっとしているんやから。
筒井: 僕は、もうすぐにしびれきれるから、歌舞伎やら新派、そういう舞台には出ら
れないですね。演劇は、こういう四角い箱ちょっとこうお尻の下に敷いて、しびれを
楽にする小道具がありますけれども。あれでも駄目でしたね。
河合: それでも侍役とかやっておられるでしよう。
筒井: 文士劇で一度やりました。そんときも辛かった。
桂 : あれは、何か動いていれば、ごまかされるんですけどね。じっと座ってんのは
かないませんな。あとで古い役者に聞いてみようと思いますわ。何かみなそれぞれみ
なごまかし方があるんやないかと思うんですがね。
河合: 僕すっかり忘れてたんやけど、実はこの鼎談にはちょっとはシナリオがあるん
ですよ。それで、これ見たら、上方の笑いと東京の笑いとかって書いてあるんですね。
これもやっぱやらないかんですな。
桂 : そんなもんあんた違いなんかありませんわ。ありそうに思いますけどね、そん
なもんありしまへんよ。
筒井: だから、上方の落語とか歌舞伎とかの出し物を江戸へ持ってきて、そのままや
っていたりとかするんですよね。
桂 : ええ、そのままやってちゃんとうけるところも同じやし。
筒井: 言葉が違うだけ。
桂 : 言葉は違うだけですけどね。まあ、その時代というものは、これはありますわ
な。戦時中なら、こんなところで笑ろたらえらい怒られるってな。
筒井: だから、戦争中の喜劇映画っていうのは、全く面白くないですね。笑うところ
一つもない。師匠はご存知だろうと思うけど、本当に面白くなかったですね。
桂 : あれ、やっぱハサミ入ったらしいですな。
筒井: 入っていますね。
桂 : 検閲でね。そうすると、やっぱ面白いところ削ることになるんですな。それで、
その面白いとこだけつないで、軍人が見ていたんじゃないですか。
筒井: 喜劇映画でギャグの部分ばっかりカットしているんですね。だから、結局笑い
というのは、そのときの犠牲者であるとか、笑われたというので、必ず誰かいやな思
いをする人がいるということでしょうね。それだけカットされるということは。
河合: 笑うことで、権威に対してぱっと横から見られるところがあるでしょう。笑う
というだけで。だからさっきも言っているように、軍人が笑いを嫌いだったというの
は、何かふっと横から見られると、ばれるというか。さっき小噺の話にありましたけ
ど。聞いた話なんですけれど、スターリンがものすごく粛清をやったときは、ブルガ
リアとかでは、小噺を禁止されたそうですよ。その小噺のなかで「わーっ」と笑って
いるようだけど、笑いの中にスターリンに批判ができるわけですよ。
桂 : 必ずそうですな。
河合: だから、笑いがその権威に対する一種の批判とか反抗とかそういうことを含
る。笑うだけで、そういうとこありますよね。
桂 : そうですな、もう、「お前、何でここで笑ろた」っというて、因縁つけようと思
えばつけらますからね。
河合: そうですね。そういえば、白い歯を見せたっていうて、それだけで怒られた、
笑ろうたっていうので。
桂 : あ、白い歯を見せた。
河合: お歯黒ぬっときゃよかったんです。
筒井: だから、ソ連のそういう弾圧とかそれからナチの弾圧とか、そういったことが
逆に今ギャグになっていますね。
桂 : こんな馬鹿馬鹿しいことをやっていたという意味の笑いでしょうけどね。
筒井: それとやっぱり差別的なギャグもあって、戦争が終わってからだけども、ナチ
の将校が捕まって、明日死刑というときに、「実はユダヤ教に改宗したい」と。「お前、
今さら何を言うんだ」と言って、「何でそんなことを言うんだ」って聞いたら「いや、
それでユダヤ教徒が1人減るから」っていうんで(笑)。それは、もうブラック通り越
してシックギャグとかシックジョークですね。病的な。
桂 : もうそうですな、ブラックを通り越している。いや、本当にそうですわな。「こ
の中にユダヤ人がおったら、すぐに出ていってください」って言うたらキリストが出
ていったという話が。これなんかもね。
河合: しかしこの頃は国際的になったから、そういう国際的小噺にだいぶ日本人が出
てくるようになりましたね。
桂 : どういう役柄で。
河合: 例えばね、タイタニックみたいやつで「みんなが死なんように誰かが犠牲にな
らんといかん」というたときに、「ここで犠牲になる人はヒーローなんだ」というと、
アメリカ人がぼーと飛び込んで死ぬというような。そういうふうにしてみんな特徴が
あるんですよ。ヒーローやとかね。それから、ドイツ人は、「これは何歳以上は規則で
決まっている」というたら、ぱっと飛び込む。それで、日本人はどうやっていったら、
「みんなやっています」という理由でドボーン、とかね。日本人を主題にしたらもっと
色々ありましたけど。
桂 : ああ、それようできてまんな。
河合: いや、なかなかようできてんですよ。それから、これは、僕はよく言うんです
けど、こういう講演をするときに、先ほど片倉さんが始めに小噺の話されましたけど、
一般によくいわれているのは、壇の上に立って話をするときに、日本人は弁解から始
め、アメリカ人はジョークから始めるって言うんですよ。アメリカ人にしては、必ず
何かジョーク言うてわーってみんな笑わせたる。日本人は、必ず「いや、私のような
浅学な者がこのようなところに来るはずでございせんでしたが」とか必ずそういう弁
解をする。甚だしいときは、10分の講演で5分弁解しとったやつがおると。これも聞
かれてことありませんか。筒井さんは。
筒井:それは初めてです。
河合:僕はそれを聞いてアメリカで話のマクラに使いましたね。僕はなぜかと考えた
んです。これはまじめな話ですけど、日本人というのは、みんな知らない者が、こう
いうところに集まってきても、集まったというだけで何か一体感ができるんです、そ
うすると、ここにおるだけで一体感があるのに、私わざわざここへ立ってもの言わな
いかんので、絶対弁解しなくちゃならないと。私は、本当は皆さんと一緒なんですと。
一緒の人間だけど、残念ながらこうやって話すことになりましたんで、と弁解しない
といかん。ところが、アメリカ人は集まってきてもね、全然一体感がないんですよ、
みんなばらばらで。だから、ジョーク言うて「わーっ」とみんなで笑うということで、
一体感ができて、それを土台にしてアメリカ人は話をするんだと。だから、ジョーク
を言って笑わすというのを、一種の儀式なんだっていうことがよく分かったって言っ
たら、アメリカ人がすごく感心する。いや、私はこれでアメリカの方がつまらんジョ
ーク言われても、笑われるわけが分かりましたっていうたら、みんないいくらい笑っていましたけど。それに、アメリカ人の方で演壇に立ってジョーク言うときでも、昨
日の晩にどっかのジョーク集で読んで覚えてきたようなやつ言う人いるんですよ。み
んな知っているんですけど、みんな「わーっ」て笑うんですよ。あほかいなって思っ
たんやけど。あれやっぱり、儀式なんですよ。
桂 : 儀式なんやな。
河合: このごろは、もう時間の節約でジョーク集の話をここでするのは、時間もった
いないから、立ったときに「ジョーク集の5番」と言うたらみんな「わーっ」て。う
そですけどこれは。ともかくその笑いというものが一体感を生む、それは言えるでし
ょう。
筒井: それは、日本人の笑いは、主に中年の男性4、5人が集まって、わあーっと笑
っているのを聞いたら、大体、まず、人の悪口ね。それから、二番目がエッチな話、
下ネタ。決まっているんですよ。もう僕なんかは全く面白くないんですね。しかしそ
ういうので、一体感を感じておるわけですよね。
河合: だからおっしゃるように、ここにおらないやつの悪口を言って喜んで一体感を
持つっていうのと、エッチな話をして笑って一体感を持つっていうのは、まあ、一番
最低の方法ですね。だから、それを超えないかんわけですよ。そこが、大事ですよね。
しかし、一番手っ取り早い方法ですね。だから、みんな付き合い付き合い言うて、み
んな出て行くでしょう。出ていきたくなくても出て行くというのは、あれ行かなかっ
たら絶対悪口の対象になっているから、危ないからね。しかしこれは、日本人だけか
な。いや、案外そのいないやつの悪口言うて楽しむのは、他の国でもやっているかな。
あとで、アメリカの方とか色々来とりますから、お聞きすることにすると思いますけ
ど。
筒井: まあ、フランスなんかは、艶笑小噺が多いんですけども。僕はどうもあんまり
面白くない。さっきも言いましたけど、米朝師匠の昔の日本の艶笑小噺、これ、しゃ
れているんですよ。だけどフランスの小噺はそんなにしゃれてもいないし、即物的な
んですね。
桂 : そう、そう、即物的なやつは分かりやすいし低級になってきますね。
筒井: 時々、面白いのがあるけど、これはエッチというより、むしろ下ネタですが、
ある紳士がぐでんぐでんに酔っ払って、ホテルへ帰ってきて、ロビーのソファにでん
と腰を下ろして、ボーイを呼んで、「おい、ボーイ、わしはちゃんとしているか」「は
い、ちゃんとしておられます」「そうか、服装が乱れてどっかのボタンが外れたりはし
ていないか」「別に外れてはおりません」「そうか、下のほうのボタンが外れて何かへん
なものが出ていないか」「何も出ておりませんけど」「そうか、それはいかん、今、小
便が出るところだ」(笑)みたいな話。これは、だから、酔っ払いの何というか。
桂 : ジョーク。
筒井: ジョーク、非現実なところへぶっ飛ばすということでしょうね。だから、僕が
フランスの小噺で知っていて面白いのはそれぐらいですね。どうも、艶笑なんていう
のは、面白くない。だけど、ほんと「いろはにほへと」では、何回もお話を督促する
ようですけれども、面白いのがあるんですよ。
河合: やっぱり一つやってもらわないかんな。
筒井: やってもらわないかん。
桂 : あれは、LP2枚にね、さあ、7、80も入れましたかな。短い話ばっかりね。思
いだしませんな。一つでも二つでもすっと出てきそうなもんやのに。
筒井: 40年前ですもんね。
桂 : いろんなのを、ぎょうさん言えたんやけどな。本当にさあ言われると出でこな
いと。おかしなもんですな、あれ。あんだけあるとかえって出てこない。
筒井: さっきそれとなく「覚えてらっしゃいますか」っていうて確かめたのに。
桂 : いや、それは覚えてることは、覚えているんでしょうけどね、たった一つ選べ
言われるとね、これができないんだな。
河合: いや、もう初めから終わりまでやってもろうてもいいです。LP1枚分ぐらい。
桂 : はい、はい、本当に、いや、実際ね、ちょっと適当な。長さも内容も考え、お
客も考え、色々考えしたら。さて、一つ選ぶというのは難しいもんやな。
筒井: それから、さっきのパーティジョークなんですけれども、日本人はみんなの前
やパーティなどでジョークをやるという伝統が全くないんですけども、イギリスがや
っぱり本場みたいなんですよね。アメリカにありますけれども。イギリスの場合はユ
ーモア。ユーモアという言葉は英語ですけども、結局ギャグのほんわかしたもんでし
ょうね。ユーモアという言葉が全世界に広まったわけなんだけれども、非常にイギリ
スのユーモアというのは、地味で。それで、どちらかというと、爆笑するものじゃな
いんですよね、くすくすと笑わせて。
桂 : 考え落ちというやつが。
筒井: 考え落ちもありますし、それから、人情の機微を何か、ちょっとついたような
やつ。シェークスピアの翻訳の小田島雄二さんね、あの方が自分の感じたユーモアを
1冊の本になさっているんですけども、それは日本人のやったユーモアばっかりなん
ですけどね。やっぱり爆笑するものはないですね。だから、彼なんかは、本当にイギ
リス的な紳士だから、本当にそういうものがよく分かってらっしゃるんですね。だか
ら、イギリスの人が相手を侮辱するときは、こいつユーモアが分からないやつだとい
うことを指摘するのが侮辱になるんですね。だから、日本とやっぱりだいぶ違います
ね。
桂 : なるほどね。こんなことは分からん。
河合: イギリスのジョークの有名な作品とか読んでも、あんまり面白いと思わなかっ
た覚えがあります。
筒井: くすくす笑いですから、それだけの、非常に上品なものですね。
桂 : そうなんだ、上品で分かるもんだけ分かれとかいうような。
筒井: ちなみに我々みたいなブラックユーモアとかそういうものでしか爆笑できない
という場合は、逆にユーモアセンスないと言われるかもしれませんね。
桂 : ないんやな。
筒井: 国によってそれは違いますから。フランスに行きゃ僕はまた艶笑話が全然面白
くないわけですしね。
河合: それでも日本は考えてみたら、ずっと落語もあるし、滑稽話もあるし、いろん
な笑いの伝統があったでしよう。それが、明治でぷつんときれるとこありますね。あ
と、何か結局急にみんなまじめになったりとか。
桂 : 学校教育とか、あんな時分からやかましく言いだしたでしゃろけど。まあ、軍隊なんかはあんまり関係ないといいますけど。軍隊は、むしろそういうことをみな言
いおうてたぐらいやから。
筒井: 陰口。
桂 : 陰ですね。
筒井: 陰ですね。だから、陰の文化です。
桂 : そうですね。どっちにしろ陰の文化や。
筒井: それより以前には、落首であるとか。そういうのがあったんだけど。それもな
くなったんですね、その伝統がね。
桂 : 落首はね。あれが広まっていったのが、どういう経路であんなもん、新聞も書
いてんような。あんなとこ、まして落首したやつが、めいめい面白なって書き写した
んでしょうか。
筒井: それ、しかし、今残っているんでしょうかね。ああいうのは。
桂 : いくつか、何か随筆かなんかに書いてあるものが残ってますね。
筒井: あと、今の新聞なんかによくでる、時局風刺川柳とか。そういうものじゃない
んですかね。
桂 : その、2.26事件のときやったかな、「誰それがやられました。総理大臣もやられ
ました。大蔵大臣もやられました」という報告を聞くたびに、天皇陛下がどたーんと
椅子からこけまんねやてな。また「誰々」と言うと、またどたーんと、こけて「どう
されたんですか」って「朕重臣(重心)を失へり」とか言ってね、これ。
筒井: よくその時代にそんなん言いましたね。
桂 : だから、私その時代にね、新聞記者かなんかが、こうずーと口伝えに伝わった
んやろうけど。それを戦後私ら、20代ぐらいにこんなに聞いて、誰が一体作ったんや
ろうと思って。それより、今日まで伝わっていることのほうが不思議やったです。
河合: なんかそれ物理学的ですかね。
筒井: そりゃ強烈だから、覚えていたんでしょうな、誰かがね。
桂 : うーんなんか言うて、誰か聞いてへんかってきょろきょろしてはると思うけど。
筒井: 大体普通は、皆さん面白い話を聞いても忘れるんですよね。で、僕なんかは、
覚えているんですよ。どういうところが違うのかなととても不思議なんですがね。
桂 : そんなんに限り覚えているんだよ。
河合: 僕は、しかしその「重臣を失えリ」は初めて聞いたな。それは、落語をやって
いる人はみんな知っているんですか。
桂 : そりゃ、知らん、私は古い新聞記者から聞きました。新聞記者仲間で、口から
口へこう伝わったんでしょうな。今日まで、残っているんやからな、あの事件が。
河合: それは、LPには入っていないんですか。
桂 : ほんまに。
筒井: 天皇のギャグっていうのは、いっぱい知っているけれど。しゃべれないってい
うことありますね。
河合: 英語のジョークにはありますよ。「英語でエンペラーのことを種にしてジョーク
を作れ」という。そしたら、「それができません」と。なぜかというと「エンペラーは
サブジェクトにならない。」というのは、サブジェクトというのは、つまり話をする対
象にならないという意味と、エンペラーは一番偉いからその家来になれない。サブジェクトは両方意味があるんですよ。だから、天皇は、家来になれないというのと、天
皇はジョークの対象にならないというのをかけたんですよ。「エンペラー、キャンノッ
ト、ビー、ア、サブジェクト」というのが、英語で読んだジョークですわ。僕は、英
語のジョーク集もだいぶ読みましたけど。それから、フィリピンというのはすごいジ
ョークが盛んなところですね。ジョーク集の本がいっぱいありますよ。なぜかという
と、フィリピンの人は、パキキシャマーというんですけど、一番大事なんは人間関係
なんです。人間関係がぎくしゃくするいうのが一番いけないんです。人間を怒らして
り、いやがらせするのがもう最低のことなんですね。だから、どうなるというたら、
例えば僕がまあ誰か待っているとしますね、そいつが4時間遅れて来たとするんです
ね。そのときに、「何をお前遅れて」と怒ったら負けなんです。つまり、不快感を表し
たといいうだけで、社交性がないと。そういうことを絶対にやらないように、かわり
にみんなジョークで応酬するんです。そのときに、さっきの武器と楽器の話です。「お
前3時間もおれを待たせて」という言い方をせんと、ものすごい上手なジョークで笑
わすんですよね。だから、フィリピンの人はジョークでもブラックジョークが好きで
すよ。
筒井: それは、しかし、東洋の笑いの文化としては、ちょっと珍しいですね。
河合: うーん、僕は、初めそのフィリピンに行って、そのパキキシャマーの話を聞い
たんです。その人間関係で怒ったりしないっていうのが一番大事だと言われたときに、
僕はすぐ、「だったらフィリピンの人はジョーク言うんじゃないですか」って言うたら、
「そのとおり」と言われて、見たら本当に英語のジョーク集がたくさんあった。僕は、
そういうのを参考のために買ってきて、読んでいるうちにその「エンペラーはサブジ
ェクトにならない」というのがあって、それ覚えているんですけどね。それから、さ
っきお決まりの話のだから、「5番言え」って、5番と言うたらみな笑うと。そして、
そのジョーククラブというのができて、みんなもうジョークをいちいち言うのはうる
さいから、1番っていったらわーってみんな笑うし、3番って言ったらわーっと笑う
し。みんなは、笑ってばっかりおると。1人のやつが、800番って言うたらみなむちゃ
くちゃ笑ったというんですね。「なんでや」言うたら「そんなの聞いたことがない」っ
て。要するに番号からはずれとったという。そういうジョークもありました。
桂 : なるほどな。
河合: しかし、どう思われますか。西洋のフランスもそうですけど、西洋の漫画読ん
でいて、何にも面白さが分からんのがありますね。どこが面白いのか分からん。
桂 : そりゃ、もう、私ら言葉が分からんさかい分からんやろう思ってたけど。
河合: そやけど、訳してあっても分からんのありますよ。スヌーピーは世界中に読ま
れておりますけど、あれは谷川俊太郎さんが訳していますね。俊太郎さんと話しとっ
て、「谷川さん、時々訳していること分からんのもある」と言うたら谷川さんも「なん
ぼ考えても分からんのある」って言っていましたよ。「分からんのどうするん」と言っ
たら「まあ、そのまま訳している」と言っていましたけど。
桂 : 難しいところだこれが。
筒井: 笑えないやつもあるんじゃないでしょうか。
河合: そうかもしれない。
筒井: もともと、笑えないのかもしれないですね。
桂 : そうですね、もともとね。笑えないのを平気で堂々と出しているかもしれませ
んね。いや、あの人だったら、あのシュルツさんと言う人ですけどね。ものすごい変
わった面白い人ですよ。だから、そういうのをときどき入れて喜んでいるかもわかり
ません。
筒井: どう理解していいのか誰も分からんというので、作者だけが喜んでいたり。ア
メリカのギャグというと、代表的なのがテキサス式のほら話というのが、何でも大げ
さに言えばいいというやつ。あれは釣りとか狩猟の自慢から始まったんでしょうけど
も。どんどん話が大きくなってきて。それだけ、皆つまらん話ばっかりなんだけれど
も、それが、シューリアリズムみたいになってくると、ときどき面白いのがあります
ね。
桂 : そこまでいくと。
筒井: ある山に獣が住んでいて、そいつは、右手と右足が短いのかな。そいつをやっ
けようと思ったら鉄砲を持ってそいつの横からこう追い詰めていく。山の中腹にいる
わけだから、こうぐるぐる回ってスパイラル状にだんだん山頂に追い詰めていく。山
頂で追い詰めてさあ撃とうと思った瞬間に、そいつは体全体をくるっと裏返してあさ
ってのほうへ飛んで逃げると。ここまでくると、何か何だか分からない。
桂 : なんや、それでちゃんと一つの小噺みたいに。
筒井: 小噺というか、笑い話なんです。あと、私が以前翻訳したアンブローズ・ビア
ースの「悪魔の辞典」というのがありますけれども、この場合はアメリカ人なんです
けども、完全にサタイアなんですね。武器としての笑いというか、もう相手をやっつ
けるためだけの風刺なんです。だから、僕は訳していて、あんまり面白くなくて、こ
こをもうちょっとこうしたらいいのになとか、ここでストンと話を切り落としたらい
いのになとか、思っていて、どうも不満だったんですけども。ちょっと2、3写してき
ていますので、読んでみます。<フレーズ>ですか、「喜ばせるための動詞、詐欺のた
めの基礎工事をする。」それから、<ポリテネス>、「丁寧さ、最も許しやすい偽善。
それから、<ポリティクス>、政治、主義主張の仮面をかぶった利害のぶつけあい、
私利私欲のためになされる公の行為。」それから、<プレスクリプション>、「処方箋」、
名詞です。「どうすれば、患者の状態をうまく長引かせて、しかも、差しさわりのない
ようにするかという医者の当て推量。」たまには、面白いのもありますけど、あんまり
どうも、ぴんとこないんです。だから、翻訳にだいぶ長い時間かかりましたけども、
欲求不満になりましてね。もう自分でやってやれと思って。で、今、まあ連載中なん
ですけど、「現代語裏辞典」というのをやっているんです。今「た」のところまできた
のかな。ちょっとそこから、2、3引用しますけれども。これは、もう本当にナンセン
スなお笑いで。「さ」の項目からいきます。「酸欠=病室を見舞いの花でうめつくされ
た患者の明け方の状態。」それから、「賛成=どうでもよい。散弾銃、かばの脱糞。」
「山頂=近くにもっと高いところがない場所」、ナンセンスばかりなんですけど。まだ、
完結までには、何年かかかると思いますけれど。
桂 : アメリカですか。原典は。
筒井: いや、いや、これは私が自分で。
桂 : 翻訳ではなしに。
河合: 筒井原典。
筒井: 自分でやっているんです。
河合: もう飽き足らずに。ご自分でもう全部ご自作ですな。
筒井: はい、だから、やっと「た」の項目まで、行きつきましたけども。
桂 : 大変だ。
筒井: あと何年かかかります。
桂 : そりゃ、大変ですわ。あかさたな。まだだいぶありますわ。
筒井: まあ、辞典をごらんになれば分かると思うんだけど。「た」でちょうど真ん中ぐ
らいなんですね。やっと真ん中まできました。それで、4年ぐらいかかったんですが。
できましたら、お送りします。
桂 : いや、いや、こりゃ、少々の印税ではひきあいまへんな。
筒井: ですから、アメリカのユーモアの代表的なのが、そのテキサス式。それから、
今のアンブローズ・ビアーズですね。いろんなユーモアがあるんですけれども、あら
ゆる民族や人種が集まってきて、まあ、人種の坩堝みたいな国ですからね。他の民族
をこっちの民族が馬鹿にして笑うというのが多いわけですね。それぞれの民族がステ
レオタイプになっているんですけれども。ロシア人はみな共産党員、ドイツ人はユダ
ヤ人嫌い、スコットランド人はけち、アイルランド人は大酒のみ、それから、日本人
はさっき言った眼鏡かけてて出っ歯で、RとLの発音の区別がつかない。それから、
イタリア人はギャングか馬鹿、それから、ユダヤ人はけちと、そういうパターンがあ
るわけ。
桂 : パターンがあるのね。
筒井: アメリカは精神分析が流行っていますから、精神分析ギャグというのが非常に
多いんです。河合さんなんかよくご存知だと思いますけれども、「先生、私は自分が犬
じゃないかと思うんですけれども」先生びっくりして「えっそんな馬鹿な、そう思い
始めたのはいつごろからですか」「子犬のころから」(笑)。それから、精神病院のギャ
グというのが、日本ではあまりないですよね。何か陰惨な感じだから。向こうは、わ
りと明るいというか、実際には暗いかもしれないんだけれども。明るい精神病院とい
うか、そういうギャグがたくさんありますよね。日本では、気が違っている人で「お
れは天皇だ」と言う人多いわけだけど、向こうは、「おれはナポレオンだ」という人が
多い。これは以前、河合さんとご一緒したときやった話だけど。「おれはナポレオンだ」
と、ひとりが言うと隣にいたやつが「そんなこと誰が決めた」「神様が決めた」横にい
たもう一人が「わしゃ、そんなこと決めた覚えがねえ」(笑)。それから、精神病院の
風呂場で魚釣りしているやつがいるんですね。そこへ入ってきて「どうですか釣れま
すか」って言ったら「ここは風呂場だから魚なんか釣れるわけねえ」(笑)。そういうの
があります。
河合: 落語でもそういうナンセンスっていうのは、ありますね。
桂 : それはもうたくさんありますけれどね。
筒井: 随分、落語のほうでブラックのやつがあるんですね。死体を移動させる「算段
の平兵衛」。
桂 : 「算段の平兵衛」なんかもブラック。大変なブラックですけどね。
筒井: そうですよね。死体をおもちゃにするというか、まあ、「らくだ」もそうですけ
ども。死体を踊らせる。
桂 : 「らくだ」は、背中に背負うておどかしに行ったりはしますけど。どういうわ
けか、あの話あんまり陰惨な気がしないんですけどね、私は。
筒井: あれは、屑屋の久さんのキャラクターじゃないですか。やっぱりね。
桂 : そうですね。もう、ひどい話には違いないんやけど。
筒井: :あと、ブラックなギャグは、いっぱいあるんだけども。ジョークのパターン
で、最初にいいニュースと悪いニュースがありますというのがあるんですよ。「悪いニ
ュースから先に言ってくれ」って言ったら「あなたの片方の脚が悪かったんですけど、
いいほうの脚を切断してしまいました」「いいほうは何だ」と言ったら「いいほうは、
あなたの悪いほうの脚はだんだんよくなっています」(笑)それだとか、、歯医者へや
ってきた患者が怒るんですね。「歯を1本抜くのに何で5万円だ、10秒もかからないじ
ゃないか」って。医者が「じゃ1時間かけて抜きましょう」(笑)そうだ、アメリカの
ギャグの王様で小説家では、マーク・トウェインという人がいます。この人は、いろ
んなユーモア小説を書いているんですが、一つだけ面白いこと言っているんです。「ユ
ーモアの秘密の出所は喜びにあるのではない。常に悲しみから生まれるのであると。
だから、天国にはユーモアはない」これ自身がギャグになっているわけだけれども。
河合: それで思い出すんだけど、そういうユーモアとか作家とか言われる人とか喜劇
やっている人とかで、すごく普通のときには機嫌の悪い人たちがいますね。いつも面
白いんじゃなくて、これ落語家の方でも分かれるん違いますか。
桂 : それは、いろいろありますね。もう平生から、わーっと陽気なことをばっかり
言うとる人と、ぶすっとしていてね、ちっとも冗談を言わんような人もありましたな。
河合: それから、こうむしろ生まじめというかね。
桂 : 何も言わない人って案外多いんですよ。
筒井: 僕はやっぱり、米朝さんは本質的に生まじめだと思うんですね。
河合: そういう点で言うたら僕も生まじめですけどね。
筒井: それは、僕もそうですよ。そういえば。
桂 : みんな生まじめ。
筒井: だから、普段不機嫌と言うと、枝雀さんがそうだったんじゃないでしょうか。
普段わりと不機嫌でしたよ。
桂 : あれは、もう、気分屋でね。日によって違いましたからな。
筒井: 高座でですか。
桂 : 高座でも楽屋でもそうですな、彼は自殺図ったりしたんやけど。もうあんとき
も、そのときの気分であんなことやったんやと思うですけどね。ええ。しかし、もう
この辺でちょっと。
河合: 時間はあるんですけど、そろそろたばこでも吸わんともう駄目になってきたん
です。
桂 : タバコは、この建物へ入ったときから吸う所ないんです。今もうたばこを吸う
者にとっては、日本という国はもう、ものすごく辛くなりました。どっこも吸うとこ
ろがありゃせんのやから。ヘビースモーカーといわれるほうですからな、私は。
河合: 僕さっきから、気になっていたんですけど、こんな長い間お2人たばこ吸わず
によう命を持っているなと思って。僕は、煙に巻くほうですから、吸うたりしないん
ですけど。もうそろそろたばこ休憩をかねて、ちょっと早めに切り上げましょうかな。
しかしせっかくですから、何か最後に一言。まとまりまへんけど、何かちょっと言う
ことがあったら。
桂 : こんなもん、まとまりまへんでそりゃ。桂 :何か、世界で最も短い小説やと
か、最後の小説やとかって何かそんなん聞いたか読んだかしたような気がするんです
けれど。そんなもんあるんですか、ありましたっけ。
筒井: それは、知りませんけれども。どんな話かな。
桂 : 最後の地球人になった人が部屋にいると、こんこんと誰かがノックしたという
話がありましたな。
筒井: あれどういう落ちでしたっけね。
桂 : あれ、ただ、それだけ落ちやったと思うですけどね。
筒井: ああ、そうか、それで終いですか。いや、それでなおかつ入ってきたという話
もあるんですよ、たしか。
桂 : 誰が入ってきたんですか。
筒井: 地球最後の女が入ってきた(笑)。
桂 : ちょっとこう一言説明がいるような気がしますけど。
筒井: 小説の場合と、落語などの場合とで違うのは、小説の場合は、字面が同じであ
れば大体読者に与えるものは同じと思ってもいいんですけれど、落語の場合はやっぱ
り小説にないものって言ったら語り口ですよね。それから、間ですよね。これは、小
説の方では、出そうと思っても出せない部分なんですよね。
河合: その話をちょっと聞いとく価値ありますよね。結局同じことでも、それ同じ話
を師匠がされるか弟子がするかで、全然違うわけですよね。
筒井: それは、違う。まったく違う。
河合: だから、これが面白いですね。間ですか。語り口ですか。
桂 : もちろん語り口も間も仕草も表情もみないるでしょうけど、活字に書いたら全
部同じ。そこにこんな芸が存在するわけがあるんでしょうかな。おかしなもんでんな。
河合: いや、米朝師匠のお弟子さんで、三林京子さん、あの人は何と言う名前ですか
ね。
桂 : ああ、すずめっつう名ですね。
河合: すずめさんですね。あの人が言うてはりました、同じことを言うても自分が言
うたらみんな笑わへんと。でも師匠が言うたらみんな笑うと。どこが違うんやと言う
てはりましたけどね。
桂 : それは、まあ、当たり前といえば当たり前なんですけどね。あの子はなかなか
器用でね。初めにやりたい言うさかい、ちょっと教えたらちゃんとやるおったんで。
それで、まあ、しばらくやったんですけれど。それじゃ食っていかれへんから、役者
やっていますけれど。小さいときから知っていますのや。なかなか器用で、要領もえ
えんですけれども、やっぱり、おかしいもんで女形という伝統があるせいか、男が女
をやってもさほど不自然でないのに、女が男をやるとちょっと不自然ですな。
河合: それはいえますね。落語は男の人がよく登場するわけですし。しかも、男の何
ともいえんぼけた話が出てくるわけでしょう。あれ女の人がやると難しい。
桂 : 難しいでんな。
河合: そういえば、落語に女の人のそういうぼけっとしたのは、あまり出てこないんじゃないですか。
桂 : そうですね、ぼけーとしたのは、あんまり出てきまへんな。大概しっかりして
いますな。男のほうが、ぼーとしていますわ。
河合: だから、それを女の人のほうが語るいうのはものすご難しいんですよ。
桂 : そうかそういうところにも理由があるかも分かりまへんな。
筒井: じゃ、新しい落語、そういう女性の落語家用のものを一つ作ってあげたらどう
でしょうか。
桂 : いや、本当に私、初めにそない言うたんです。新しい家を一つつくるぐらい難
しいって言うたんです。でも女の噺家作るのはね。新しい家一つつくるぐらい難しい
ねっていう、これは。
筒井: 何か気の強い女性が、あかんたれの男をぎゃんぎゃんやる落語ってないんです
かね。
桂 : いや、それはあります。
筒井: そのほうがいいんじゃないの。
河合: いや、それは難しいわ。それは男が語ってこそ、いいですけどね。それを女の
人が語ったら何かもう現実味がありすぎて。笑ろうとられへんでしょう。
筒井: そのまま、その通りや。
桂 : ほんまにそうですわ、もうおかみさんが、もうぽんぽんぽんぽん男をやっつけ
るというような話は、わりとたくさんありますね。
筒井: ああ、そうですね。
桂 : おっしゃるとおりかも分かりませんわな。
筒井: いやいや、昔ならそれでもよかったけどもね。家父長時代はね。今はそのとお
りですもんね。
河合: 今は、もう何も現実やからね、みな。しかし、その女性の噺家のための話を一
つ作るというのはどうですか。
桂 : 難しいですな。
河合: 今度、三林さんに会うたら言うたろか、自分で作ったらええ。
桂 : とにかく、私自身がもう苦しんでいるのに、新しいのを一つ作るというのは、
とてもその余裕はないいうて。
河合: しかし、師匠も新しいのを作られたことあるんですか。
桂 : それは、いくつかあります。それは、男がやる話です。なかなか、しかし、で
きんもんですな。古いやつは残るけども、そりゃいかん。いくつか作ったけど、今、
残ってるのは一つか二つですな。
河合: マクラはなんぼでも挑戦できる。
桂 : これは、もう、はっきり言って、毎日違わないかんぐらいな。
筒井: 女性ばっかりが登場人物という落語は、ないの。
桂 : ばっかりというのは、ちょっと知りまへんな。
筒井: ないでしょうね。今、ちょっと考えたら、ないもんはない。
桂 : まあ、3人ぐらい出てくるのはありますけどね。ばっかりというのは、ちょっ
と今思いつきまへんな。
河合: そういうの、三林さんに言って作ってもろうたらいいじゃないですか。
桂 : なかない作れまへんで。
河合: それでは、三林さんにやらせずに筒井さんが作ったらいいですね。筒井さんは、
作る専門やから。
桂 : でも本当に一つでも残るやつを書いていただきたいですわ、ほんまに。長うの
うていいし。
河合: ブラックユーモアとかいろいろ書いたけど。落語の台本を書く気はないんです
か。
筒井: そうですね。さっき言った語り口っていうのが、小説では出ないので、どうも
ちょっと書く気がしないんですよ。いえ、落語は落語の、面白さがあるんだけど。
桂 : あれ、自分の語り口というものができたら、書く気になるかもしれまへんな。
筒井: そうなんです。だけど、それは、小説で表現できませんからね。
桂 : そりゃそうだ。
筒井: ただ、書きようによってはね。例えば、「サリーちゃんがうちへやってくる」と
いう話があるんですよ。アメリカのユーモアですけれども。「おじちゃんこんにちは」
「お隣のサリーちゃん。何か用かね」「今日はちょっとお話があってきました」「じゃ、
まあ中へ入りなさい」「はい、どうもありがとう」で、「まあ、その椅子におかけなさ
い」「はい、おじゃまします」で、「紅茶でもどうですか」「はい、いただきます」「さ
て、今日は一体何のお話ですか」「うちのお父ちゃんがおたくのホースをお借りしたい
と言っています」「それは、お安いご用ですけれども、ホースを、しかし何に使われる
のか伺ってよろしいですか」「今、家が火事なんです」これは、できるだけ長くやった
ほうがいいです。
桂 : はい、はい、はい。
筒井: そういうふうな仕掛けであればできるんです。
桂 : そういうパターンが。
筒井: これは、語り口とはちょっと違うんですよね。それまでの間を、退屈させない
ように長くもたせればもたせるほど面白いというね。
桂 : ちょっと似たようなパターンを聞いたような気がするんやけどな。それじゃち
ょっとたばこタイムにしていただきましょう。ええ。
河合: さあ、そろそろこの辺でたばこタイムということであります。あとは、もう皆
さん煙と消えることにしましょう。どうもありがとうございました。
司会: どうも皆さまありがとうございました。

幻の歌人、作品歌麿の絵に…栃木出身 石塚倉子

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 江戸期の浮世絵師・喜多川歌麿が、浮世絵版画で栃木の“幻の歌人”を 紹介していたことがわかった。その名は、石塚倉子(1686~1758年)。現在の栃木市藤岡町富吉に生まれた倉子の和歌が美人画に添えられていた。地元 の研究者らは、この歌麿作品を通して倉子に光を当てようとしている。

 吹き送る 風のたよりも 誰(た)が里の庵(いおり)に匂ふ 梅の初花――。

倉子が1756年に出版した歌集「室(むろ)の八島(やしま)」の1作とみられる。「梅の初花」は恋心を表現したものだ。

 この和歌が引用されている歌麿の作品は、版画シリーズ「近代七才女詩歌」の一つ。
東京国立博物館や米ハーバード大などに所蔵されている。高貴な着物をまとった女性の美人画(縦51・8センチ、横23・3センチ)で、「下野室八嶋 倉子女」との添え書きもある。

20140819oytni50096l  倉子は舟運でにぎわう巴波川下流の豪農の家に生まれた。江戸の文人や画家がたびたび宿泊していたことから文芸に親しみ、早くから歌を詠んだ。江戸歌壇の重鎮で国学者の

荷田在満(かだのありまろ)とも交流があり、「室の八島」の序文には、田舎で和歌の道に励んだ才女を称賛する言葉が寄せられている。

 ただ、「室の八島」もまとまった形では残っていないなど、現存する資料は少ない。郷土史家ら研究会のメンバーが倉子の足跡や歌集について調べていて、2年ほど前に歌麿作品に添えられているのを発見した。

 倉子は歌麿(1753年頃~1806年)より60年以上前を生 きたため、交流はなかったはずだ。浮世絵研究の第一人者、浅野秀剛・国際浮世絵学会理事長は「江戸の人気絵師の作品に引用されるだけの知名度と実力が倉子 にあったことは間違いない」と指摘する。研究会メンバーの小林吉一・国学院栃木短大名誉教授(国文学)は「広く知られた歌麿をきっかけに、倉子が栃木市の 『文化資源』になるはずだ」と話している。

            
2014年08月20日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

一日一個の林檎は医者知らず

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世の中表裏一体、それは何事にも通じる。
ことわざ、格言にも
一石二鳥、一兎を追うもの二兎を得ず。
二度ある事は三度ある、三度目の正直。

例外もある
一日一個の林檎は医者知らず

これには表裏はなかろう、体にいいのは間違いなかろうと思ってました
夏場少々お高くなってもお供え、お下がり食べてました
桃やブドウとどっちにしようかと迷いながらも
が、裏表ありました

至言 長野 リンゴ生産量日本2位 男性平均寿命 80、9才 日本1位
空言 青森 同 1位            同      77、3才 日本47位 40年連続

青森の男性が県の基本プロジェクトに乗り、長野並に長生きするとその経済効果は年間100億円とか。
そのほとんどが医療費っだりして
長生き死骸!がありますね

何でも経済で評価する日経?「時流地流」から

画像は「本の宝石」とも言われる武井武雄刊本作品NO、45「林檎と人間」

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三代目染丸の礼状

先日ヤフオクに三代目染丸の手紙が出品されていました
昭和33年2月12日の日付で神戸寄席関係者への礼状です

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五代目松鶴、二代目春團治と大御所が次々亡くなり、滅んだとまで言われた上方落語に一条の光が差します。テレビです
手紙の中で
「上方落語も時の流れで一時火の消えたような状態に成りましたが、最近民間放送のお陰でやうやう陽の目を見る様になりつつ御座いますが・・」
と書いています。
米朝師匠もその点は述べていますが、客層の変化も指摘しています。
最近出版された「昭和の演藝 二〇講」の最終20講「藝の行方」で矢野誠一も大いに嘆いています。
客質の低下の諸悪の根源はテレビと。
でもテレビ無くして今の上方落語家250人があったかどうか。

いずれにせよ当時まだテレビだけでは不十分、神戸寄席のような地域寄席の存在も大きかったようです
より一層の支援を願う会長就任1年の染丸の必死さが伝わってくる文章が綴られています

 

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ご自愛ください

13日の朝日新聞大阪版の1面を飾った写真は甲子園、
夏の大会開幕2日順延は大会史上初とか
そのせいか盆休みに入ったためか満員だったようです
それにしてもこの写真秋の空なんですよね
とはいえまだ8月半ば、蒸し暑さが続くでしょうからご自愛ください

日経の文化面は染織家の祝嶺恭子さん が寄稿されています
首里の「花倉織」、経糸、緯糸を浮かせて花や幾何学模様を浮かびあがらせる「花織り」、
経糸を絡ませて緯糸をくぐらせ、透き目を作る絽織りを組み合わせたもの
祝嶺さんはその「花倉織」の復元に尽力された方ですがその時役立った資料はドイツにあったそうです。
記事によりますとかってベルリン国立民族博物館には琉球王国時代の日用品や工芸品等469点あったそうです。様々な分野の物が含まれ、衣類は王族から平民の普段着や晴れ着、下着や履物が役職性別ごとに揃っていたとか。残念ながら戦争の混乱で散逸、現存は182点とか。
同様の琉球関係の品がヨーロッパ全体の大学博物館等に1770点以上あるそうです。
一方沖縄はといえばこちらも戦災で多くの美術工芸品や歴史的資料は焼失、中でも衣類布地は残っているケースは稀です。
また本土の博物館等ににある琉球の古い布地といえば日本民藝館にある1点のみ。
そもそもベルリン国立博物館に琉球の資料があるのは、琉球が日本に併合されると聞いた当時のプロシア政府が、独自文化の喪失を懸念日本政府に依頼して収集した結果です
依頼を受けた政府は何をしてたんですかね。
いわば外国から琉球文化の独自性を教えてもらったわけでしょうに。

ご自愛ください

中国ではお盆を鬼節とも呼ばれるからではないのですが
たまたま画像を見つけましたので「暁斎百鬼畫談」
山田書店美術部に250000円で出品されています

http://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=39436

幕末・明治初期の鬼才画家河鍋暁斎の妖怪画集「暁斎百鬼畫談」は、折り本形式で作られてはいるが、絵巻ともいえる絵本である。
 暁斎ならではの圧巻の筆技と、骸骨軍団と妖怪軍団の対立場面など独自のアイデアを加えた本書は、「百鬼夜行絵巻」の源流とされている大徳寺真珠庵本から代々描き続けられた数多の妖怪絵巻の集大成

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