三代目染丸の礼状
先日ヤフオクに三代目染丸の手紙が出品されていました
昭和33年2月12日の日付で神戸寄席関係者への礼状です
五代目松鶴、二代目春團治と大御所が次々亡くなり、滅んだとまで言われた上方落語に一条の光が差します。テレビです
手紙の中で
「上方落語も時の流れで一時火の消えたような状態に成りましたが、最近民間放送のお陰でやうやう陽の目を見る様になりつつ御座いますが・・」
と書いています。
米朝師匠もその点は述べていますが、客層の変化も指摘しています。
最近出版された「昭和の演藝 二〇講」の最終20講「藝の行方」で矢野誠一も大いに嘆いています。
客質の低下の諸悪の根源はテレビと。
でもテレビ無くして今の上方落語家250人があったかどうか。
いずれにせよ当時まだテレビだけでは不十分、神戸寄席のような地域寄席の存在も大きかったようです
より一層の支援を願う会長就任1年の染丸の必死さが伝わってくる文章が綴られています
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