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フォト

国芳

初夢

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「お宝、お宝」
の歌うような掛け声で宝船の絵を売り歩くのが元日の江戸の風物詩でした。
「ながきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」
という回文が書かれており、これを枕の下に敷くと吉夢が見られると言い伝えられています。
この初夢ですが元日の朝に見るものか或いは元日の夜に見るものなのか諸説あるようです。
折口信夫によると元日の朝に見るもので、宝船も一年の汚れを流すのが本来だったそうです。
それが何時の頃からか、七福神が乗って財宝を積んでやってくる物に変わったようです。
谷文晁 (1763~1840)が、七福神の絵は「狩野松栄以前の絵を見ず」と『三養雑記』に書き残しています。
狩野松栄は文禄元年(1592)に没していますので、安土桃山時代には七福神はあったようです。
また、宝永年間(1704~1711)に大阪で出版された俳諧本の插絵に七福神が宝船に乗った物があります。
それより古いものには七福神が乗っておらず、新しいものでも将軍家、禁裏、武家の宝船には七福神は乗っていないそうです。どうやら七福神が乗った宝船はもっぱら江戸の庶民に流行した風習のようです。

画像は当時の人気絵師3人国芳、国貞、英泉の合作。

丸〆猫

Sc186228fpxobjiip1_3 六玉川 「山城国井出の玉川」

                         

                         

今ロンドンのロイヤルアカデミーで国芳展が開催されています。
http://www.royalacademy.org.uk/exhibitions/kuniyoshi
インディペンデント誌等にも取り上げられなど話題になっているようです。
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/reviews/kuniyoshi-royal-academy-of-arts-london-1656454.html
先月には神戸市立博物館でも「石川大浪と歌川国芳」と題して数十点見る事ができました。
3枚組の作品が多くなかなかの迫力でした。
トップ画像はそんな3枚組の1点を選びました。
Jgmweb_4 国芳といえば又の名を猫芳、そんな猫好きの様子を子供の頃弟子であった狂斎が描いています。部屋の中にはもちろん国芳らしき人物は猫を抱きながら描いています。

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江戸時代の猫で話題になったものに、「丸〆猫」があります。招き猫です。
花川戸に住まいしお婆さんが猫をかわいがっていました。しかし貧しさ故やむなく手放すことになったのですが、夢に現れた猫が自分の姿を形どって売り出すように告げました。さっそく言われたように今戸焼でしつらえ売り出したところ、たちまち評判になったそうです。背中に丸に〆が描かれていたのが名前の由来です。
画像は少し判りづらいですが、広重の作品。

乱舞

Sc126830fpxobjiip1 「名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま」
広重
                                

                                  

                                      

                                    

                                      

                                

                                    

                                

今は北海道でしか見られない丹頂鶴が描かれています。
江戸時代には各地で見られたと思いますが、「東都歳時記」や「武江年表」等には記録がありません。「武江産物誌」に本所、千住、品川が挙がったりしているのが数少ない例のようです。
鶴が庶民ではなく将軍家との関わりが強く、へたに鶴殺しの嫌疑がかかると死罪になったりしたからでしょうか。徳川家は年の暮れに鷹狩を催し鶴を捕え塩漬けにして、天皇に献上したそうです。川柳にも

寿運拙く献上の鶴となり
ほんとうに飛ぶより早い暮れの鶴

「鶴の饗宴」と称し残ったツルの肉は譜代の大名に振舞われたそうです。
さすがに犬公方はそういった行いは無かったようです。逆に小石川で野性の鶴の餌付けをし、そのツルが姿を見せたのが今の新宿鶴巻町。そして紋や屋号等への鶴の使用を禁止しもしたようです。
総じて鶴は吉祥の鳥として扱われたようですが、朱鷺はどちらかというと害鳥の部類に入れられたようです。そして松に鶴と間違って描かれたコウノトリ。
国芳が描いたこんな情景が見られる日が来るでしょうか。
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「松浦の太鼓」

Sc159625fpxobjiip1 「誠忠義士傳 大鷹玄吾忠雄 十四」

国芳

                                   

                                

                                

                                

                                 

                                

                                

旧暦では今日は暮れも押し詰まって十三日、煤払い。
そして明日は討ち入りとくれば大高源吾歌舞伎の「松浦の太鼓」でお馴染みのように赤穂浪士の一人で、煤払いの笹売りに身をやつし吉良邸の動向を探っていた大高源吾。彼が十三日に両国橋のたもとで、俳諧の師匠の宝井其角にばったり出会います。其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と発句を詠みかけられたのに対し、「あした待たるるその宝船」と対句して去って行きます。外題の「松浦の太鼓」は吉良邸の隣の松浦鎮信侯に因みます。松浦侯は宝井其角の門下生でもありまた大石内蔵助と同様、山鹿素行の門下生でもありました。
この因縁に大高源吾の妹も絡んできたりします。
実在の大高源吾は子葉と号し師匠は水間沾徳。討ち入りの夜、水間の家の格子戸に源五の筆で「山をさくちからも折れて松の雪  子葉」「世にさた御座候までは 御さたなし下されまじく候」と文書が書かれた文が投げ入れられていたそうです。
「仮名手本忠臣蔵」11段目討ち入りの場面は多くの演出がなされているそうです。
浮世絵も絵師により様々に描かれています。
画像は国芳ですが、ちょっと変わっていますね。これには元絵があります。
詳しくは藤原良太さんのページで。
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/tomo/fumiyomu/katsuhara.pdf
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広重のは風景画のような感じです。

サンフランシスコ

The State Museums of Berlin and the Legacy of James Simon
October 18, 2008 — January 18, 2009
Fine Arts Museums of San Francisco

This exhibition honors the cultural legacy of James Simon, perhaps the most important patron Berlin has ever known. Over 100 works, borrowed from nine separate museums, spanning from the 3rd millennium BC to the 18th century AD, grace the special exhibition galleries at the Legion of Honor from October 18, 2008, to January 18, 2009. Highlights include the Egyptian, New Kingdom bust Queen Tiy, a lion relief that once lined the Processional Way in ancient Babylon, Andrea Mantegna’s The Virgin with the Sleeping Child, and a 19th-century woodblock print by the great Ukiyo-e master Utagawa Kuniyoshi titled The Priest Nichiren in the Snow on Sado Island.

http://www.famsf.org/legion/exhibitions/exhibition.asp?exhibitionkey=929

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今宵は熱燗で

Sc133375fpxobjiip1 「山海愛度図会 おしやくがいたしたい 

長門かに 四十四」

国芳

                                       

                                    

                                    

                                    

                                        

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朝晩肌寒さを覚える頃になりました。落語の枕にも「酒は燗、肴は気取り(小味なさかな)、酌はたぼ」との云い回しが聞かれるやも知れません。たぼは元々は日本髪の後頭部を差します。この三つが揃えばそりゃ酒も進みますでしょう。長門のカニ、月待ちカニでしょうか。近年お高くなり、口に入りにくくなりました、特に雌。また酒の燗も昔の人はマメですね。部屋内はもとより屋外でもきちんとしたようです。紅葉の落ち葉を集めてとはなかなかの風情を感じます。   今日、焚き火もままならくなり、そうも参りませんが、せっかく造り酒屋の軒先に杉玉が下がるこの時期、今年のできを味見するのも結構かと。新酒と云えばヌーボーの解禁は20日ですか、楽しみですね。

Sc204750fpxobjiip1_2 ワインにヌーボーとヴィンテージがありますように日本酒にも古酒があります。泡盛ほどの年数の物はなかなかない ようですが、結構銘柄は揃っているようです。軽めの物では「南部美人ALL KOJI 2005」や三重の「玄米ワイン シャトウ玄」。もう少しいって栃木の「大吟醸 秘蔵」の熟成10年以上。「龍力 真古酒」は姫路の銘酒。ちょっとひねって「味醂 1986」はリキュール感覚。

楽しい晩酌を。                                  

最後に北斎のデザインした盃の画像を。

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死絵

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国芳

                                                                  

                                                                

                                                                

                                                                

                                                                

                                                                  

                                                                  

                                                                

緒形拳さんが亡くなりました。
肝臓ガン、亡父もそうでしたが痛みが少ないためギリギリまで頑張ってしまうようです。
「キリギリス」が印象的に残っています。渡辺淳一の「少女の死ぬ時」のドラマ化。
当直先の病院で少女の緊急開胸手術、手を入れ直接心臓マッサージをする。
はたして再び鼓動を始めるかどうか。いつまでそれを続けるか。
枕元に1匹のキリギリス、それが鳴いたら止めよう。
そう決める外科医を演じてました。

江戸時代、人気の歌舞伎役者が死ぬと、訃報と追善をかねて死に絵が出版されました。
トップ画像は三代目板東三津五郎、五代目瀬川菊之丞死絵。
「南無阿弥陀仏」の文字を染め抜いた着物で三途の川にたたずむ姿は、歌舞伎のお半と長右衛門の道行きの見立てになっています。
亡くなったのは天保二年極月二十七日と天保三年正月七日。
命日が近いだけでなくこれが二人の当たり狂言かと思っていました。
が、そうではなかったようです。

Sc165860fpxobjiip1 馬琴によると、この二人の死絵は80種類余り出れ、36万部ほど売れたそうです。   (右の画像は五渡亭国貞)
江戸時代では奇跡的数だと思います。特に武家の奥向きに大流行した様子。
三代目板東三津五郎は初代三津五郎の子供で、夫人は先代の娘。
その嫁と別れて一緒になったのが、元義太夫語りのおでん。 おでんは三津五郎と一緒になるまでに、既に数人の男と深い中になっていました。
その癖は結婚後も変わらず、舞台関係者等と関わったようです。
そして三代目を激怒させたのが、16歳年下の菊之丞との関係。
二人はおおぴっぴらに鞘当を繰り返し、世間の注目を集めることになります。
菊之丞の東北巡業に駆け落ち同然に同道したりしますが、おでんは菊之丞だけでも収まりません。
そうこうする内、三代目が病死、そのすぐ後に菊之丞も三十一歳で急死。          それが死絵の売れ行きに繋がったようです。
人気役者のスキャンダルがマスコミを賑わすの現代だけではないようです。
売れたのは死絵だけではありません。
おでんの男性遍歴が似顔絵入りの番付になっています。
少し前似たような話をどこかで聞いたような気もしますが。
あまりの人気に幕府が発禁にしたほどです。
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梅雨明け間近

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橋立雨中雷

国芳

稲妻の崩れようにも出来不出来      柳多留

雷がなると梅雨開けといいますが、九州四国に続いて近畿もそろそろでしょうか。稲妻の語源は「稲の夫(つま)」からとか。日本では稲が開花し結実する旧暦の夏から秋のはじめにかけて、雨に伴い雷がよく発生するため、また落雷した田では稲が良く育ったため、稲穂は雷に感光することで実るという理解が生まれ、雷を稲と関連付けて、稲の「つま(=配偶者)」。

Env0807031904009p1 今回の洞爺湖サミット。会場のアートを担当したのは戸田正寿さん。宗達の風神雷神図が松林図屏風と共にメインの首脳会議場に見えます。「絵心事」で心豊かに議論をとの気持ちからだそうです。残りの会場には北斎の地図や広重の江戸百等浮世絵も採られたとか。また昔から現代までの日本人の循環型社会への取り組みを漫画で紹介するパンフレット「北斎風循環型社会之解説」も配布されたそうです。

今度の日曜日は大相撲名古屋場所初日。江戸時代に阿武松(おおのまつ)と競った七代目横綱は稲妻雷五郎。188cm145kgの当時としては巨漢。                 雲州松平藩のお抱え力士でした。その四股名は雲から出る(出雲)のは、から名付けたそうです。

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相撲錦絵 豊国

明石志賀之助・谷風梶之助             小野川喜三郎・阿武松緑之助            稲妻雷五郎・不知火諾衛門             秀ノ山雷五郎

Mcnaught3_kemppainen 浮世絵とは関係ありませんが、昨年

オーストラリアパースでのマクノート彗星

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有卦絵

今年も帰ってきました。00328774 

明石公園のアオバズクです。繁殖を始めて10年ほどになります。ハトより少し大きいぐらいの鳥ですので鎮守の森などが残っていれば繁殖するそうです。フクロウ科の夏鳥で、夜行性で蛾を食べます。

(画像は昨年の神戸新聞の記事より)

岩崎常正の「武江産物志」(江戸を中心とした武蔵国南部地域の動植物の目録)に「ふくろう 上野 猫頭鳥(みみずく) 上野」の記述が見られます。フクロウは一年中いる鳥ですが大きなウロが必要です。

江戸時代まだ上野には大きな木が繁っていたようです。ネズミを捕食しますので開けた狩場も必要です。当時の上野の様子が窺い知れます。

近年町中ではフクロウはもちろんアオバズクも激減しているとか。

蛾がいなくなったからだとか。これまた神戸新聞によると最近みのむしが減っているとか。なんでも外来種のミノガヤドリバという寄生虫のためだそうです。

気が付かない内に様々な点で環境が激変してますね。

最近フクロウの浮世絵を心掛けていますが、まだ見つかりません。

ちょっとおまけで国芳の「ふ尽くし」。

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有卦絵のひとつで、富士山 梟 福禄寿 藤娘 福助 福女(お多福) 福良雀が見受けられます。

陰陽道では、人生は七年間の幸運の有卦と五年間の無卦が交互にくるとされ、有卦に入る年に「福」を取り込むため、頭に福の字がつく七つの物をそろえて祝う習慣がある。このおめでたい七つのものを描きこんだ「有卦絵」をお祝いとして贈ることが、江戸末期に流行したとか。

余談ですが福助のこんな画像も

三代目広重です

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