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落語

三代目染丸の礼状

先日ヤフオクに三代目染丸の手紙が出品されていました
昭和33年2月12日の日付で神戸寄席関係者への礼状です

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五代目松鶴、二代目春團治と大御所が次々亡くなり、滅んだとまで言われた上方落語に一条の光が差します。テレビです
手紙の中で
「上方落語も時の流れで一時火の消えたような状態に成りましたが、最近民間放送のお陰でやうやう陽の目を見る様になりつつ御座いますが・・」
と書いています。
米朝師匠もその点は述べていますが、客層の変化も指摘しています。
最近出版された「昭和の演藝 二〇講」の最終20講「藝の行方」で矢野誠一も大いに嘆いています。
客質の低下の諸悪の根源はテレビと。
でもテレビ無くして今の上方落語家250人があったかどうか。

いずれにせよ当時まだテレビだけでは不十分、神戸寄席のような地域寄席の存在も大きかったようです
より一層の支援を願う会長就任1年の染丸の必死さが伝わってくる文章が綴られています

 

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熊谷富夫さん死去

熊谷富夫さん(くまがい・とみお=演芸番組ディレクター)が22日、食道癌で死去、78歳。
葬儀は24日午後1時から京都府八幡山市(八幡南山45のセレマ南八幡シティホール)で。
喪主は妻熙子(ひろこ)さん。

 元NHKディレクターで、ラジオ「上方演芸会」やテレビ「日本の話芸」などの演芸番組作りに取り組んだ。日本笑い学会副会長としても活動していた。

三平・菊之丞・文菊 江戸落語三人会

日 時 2014年6月1日(日) 開 演 14:00  (開 場 13:30)
会 場 兵庫芸術文化センター 阪急中ホール

林家 なな子    「転失気」          4262412306_20140415093149
古今亭  文菊   「紙入れ」
古今亭  菊之丞  「親子酒」

中入

林家 三平     「浜野矩随」

上方では珍しい江戸落語家だけの会
前売りが今一つだったのはそのせい?
この2週間前に行われた「上方落語新鋭会」もそうだった
客層の平均年齢が70歳越え?のこの会場では定番以外はこうなのかも知れない
28人抜きと上方にはない雰囲気の丞様に惹かれ出張りました
三平?何の期待もしてません
それが会場でスケジュール見てビックリ
前半真打二人が30分ずつ+開口一番が15分
中入後三平が40分の割り
そうか香盤では三平が上なんですね
タレントの楽屋話で時間稼ぎ、その程度に思ってました

「転失気」
繁昌亭やその他の会でもまず「携帯電話の電源を」で始まるのが恒例なのに
いきなり噺にはいりました。
上方では常道の転失気の言葉の説明もなし
知らないままいって珍念と一緒に納得する方が笑えるかも
ただ珍念が歩く動作で膝を揃えて上下させていたのはどうか
やはり交互に上下させるのが普通でしょう

「紙入れ」
想像していた以上に凄みがありますね
上方の噺家では間抜けな男二人に目が行きがちですが
女将さんに聞き入りました

「親子酒」
上方と掴みと下げは一緒
ならどうして設定も採らないのですかね
酒好きがそれほどの理由もなく同時に禁酒
それがまた同時に破るとは不自然
居酒屋でいつも通りに飲んでいつも通りのケンカを披露
いつも通りに酔い潰れていいのでは
お似合いのネタのようには思えませんでした

「浜野矩随」
私がこれまで聞いたの志ん朝と志の輔
それを三平で聞くとは思ってもいませんでしたから
ネタに入った時はビックリしました
客層の平均年齢が70歳超えですから先代を出しても判ってもらえるでしょうが
浜野を聞かすのに要りますかね
他の家族のネタを出さなくても40分本題だけでも通用すると思うのですが。

浜野矩随、検索すると作品は鍔、小柄、目貫と刀関係ばかり
観音様や四足作ったんですかね?

笑福亭鶴瓶落語会

2012年1月22日
兵庫芸術文化センター

鶴瓶噺
「火焔太鼓」  柳家花緑
「癇癪」     笑福亭鶴瓶
中入
「お直し」     笑福亭鶴瓶

三味線  林家 和女
鳴り物  桂 阿か枝
      林家 染左
お茶子  高嶋 藍

急な来客で30分の遅刻。
なんとか鶴瓶噺の最後に途中入場。
ゲストの花緑と対談中。
花緑とは予想していなかった。
これまでは三三、市場とまだ関西にはそれほど馴染みではない噺家を紹介したのは自分というのが鶴瓶の自負だったから。
私の期待は○○人抜きで話題の春風亭一之輔、古今亭朝太、古今亭菊六だったのですが。
 
ゲストの代わりに演目は最近取り組んでいる江戸物を2席
「癇癪」は黒門町が得意とし、「お直し」は江戸でも古今亭志ん生のみが伝えたネタ。
余談ですが五代目はこの廓噺で文部大臣賞を受賞(意に反して?)しています。
この点をパンフレットで小左田定雄が3つの「つるべの恩返し」と題し紹介している。
一つは各地で独演会を開き多くの人に落語の楽しさを伝えた。
若手の勉強会にも積極的に出演、世間に努力している若手を紹介
そして江戸の「堪忍袋」を上方版に仕立て直して伝え上方落語の財産に育てる
これまで自分が師匠や先輩からの恩を、立場を得た時無償で後輩の世話をするという「恩の連鎖」で伝えている。

「癇癪」もまだ試行錯誤が続いているようです。
開始早々背景に在りし日の六代目の姿が映し出される。
昨年末は噺の流れの途中で流したテープを冒頭に紹介
画面にテロップで六代目の言葉が流されます。
何を言っているか不明のお向かいの市会議員ネタ等がマクラ
どこからが本編か判らなかったがどうやら病院でのカレーライス、プリンが入り口のようです。

「お直し」は背景や言葉の説明で時間を費やす
状況をできるだけ具体的に設定しないと遣り辛いとかで時代は1622年からの20年を想定。
お茶屋の説明では数少なくなった大阪の「鶴太郎」や金太郎姐さんの話しも聞かれた。
そう言えば先日「米朝よもやま噺」で老松町の「鶴太郎」の話が出てました。
なんでも鶴瓶さんがプライベートでウロウロしている時に見かけ、ここは一体何と調べて尋ねたそうです。しかしその時は一見を理由に断られたとか。後日伝を頼りに見えたそうですがその時のお連れは米団治と本日鳴り物担当の米左さん。
因みに米左さんは名取で北新地の若手芸者さんに教えているそうです。
志ん朝のを聞いた南光の勧めで取り上げたそうですがケコロの噺。
鶴瓶自身も言っていますが救いようのない噺ですし、一度聞いたぐらいでは面白みが判りません

それでは「癇癪」の頭までを思い出すままに

花緑「あっちは何かチェックの会か落語会か判らないんですよ。
その点関西は楽しいですよ。
ここでも鶴瓶さんの噺を楽しもうとしている雰囲気が感じられるんですよ」
鶴瓶「その点はありがたいですね。最初はネタの数も少なかったからね、十ちょっとかな。
それでもお客さんが着いて来てくれたからね。ありがたかったです。
この会場は米朝師匠も演じてはる。まだお元気な頃の。
あの師匠は3、400のネタ持ってはったからね。逆に春団治師匠は数は少ないけど12のネタをきっちりやりはる。」
花緑「そう言ったら米朝師匠のはいい加減みたいじゃないですか」
鶴瓶「そんな積もりで言うたん違うやけど。方や今は8つかな?完璧に演じはる。方や300忘れはってんも。自作の『一文笛』でも忘れはったりしたんよ。小指落とさなあかんのに指切らんかって、楽屋が心配したりしたこともあったですよ。
こんな話他で言うたらあかんで。」

鶴瓶「ではそろそろ花緑君には準備していただいて。
同じ国宝の子供花緑君は孫ですが違いますね。しゅっとしてますね。
小米朝あいつはゆるいで。
だから私は息子を落語家にしなかったんですよ。
息子が小学生の頃甲陽新聞に将来の夢を噺家と書いたんですよ。
それだけはアカンと言いました。他は何になってもええけど噺家は許さん、て。
もし他の師匠の世話になったら気遣いますし。そう云うの性格的に耐えられないんですよ。
では自分の弟子にしたら?きっとえこひいきします。そうしたら他の弟子に悪いでしょ。
そんなんでイギリス行ってミュージシャンになって帰ってきたんですよ。
それに役者にもなりよった。でも聞いてないんですよ。
朝ドラ「カーネーション」の川本勝やってるんです(会場どよめく。以外に知られてないんだ)
昔からそういう所があったんですよ。息子が高校生の頃、たまたま喫茶店で会ったんですよ。
向こうは友達と一緒でした。で話してたら友達に尋ねられているんですよ。なんで鶴瓶を知ってるのかと?

で西宮カントリーで知らない人に問われたんですよ。「あんた川本勝の父親か?」て。
そんな隠し子いてない、俺は宮根とは違いますからね、て答えました。
でも皆がそう言うてると言われるんでさらに説明されてやっと判ったんですよ。
まあ自分で道を見つけてくれてよかったと思います。

「火焔太鼓」
道具屋お噺を聞いて頂きますが、江戸時代の引越しは今とは様子が違っていたそうです。
今持っている所帯道具は新居に持って行かずに近所の道具屋に売ります。
それで身軽な状態で赴きあちらの道具屋で買い直す、そういったやり方だったそうです。
その道具屋にも大小様々あったようですが、小さな道具屋に却って掘り出し物があったりしたそうです。まとめていくらで商売してますから。
掘り出し物といえばあの番組の影響が大きいですね。
皆様もこれは将来ひょっとすると、なんかお考えになる事もおありになるのでは。
実は私も出して頂きました。
司会者が某助から変わったのをご存知だと思うのですが、ちょうどその時でした。
私の収録が土曜日の予定だった週の火曜日にあの記者会見があったんです。
司会者を変更して番組続行と聞いてひょっとするとひょっとするなんて期待もしてたんですが。
結局今田さんが司会を務められ収録しました。
その時最後にバーバリーおじさんが登場されたんです。
札束を懐に地方の蔵を訪ね、気に入った物があると札束を手にお願いするそうです。
そうすると大概の方は勢いに押されて譲ってくれるそうです。
退職金も注ぎ込まれたそうです。
その時お持ちになったのが100万円で買った浮世絵。
で結果は本物だったんですけど1万円、ショックだったようです。
司会の今田さんも言葉を失ったんです。
その時私が世の中に幸せを撒かれて歩かれたんですからよかったんですよ、とか言ったんですが受けがよかったようです。
なら司会は私でもしつこく思ってるんですが。

と最後まで羽織を脱がずに演じた

続く

「癇癪」

今昭和57年2月28日って出てましたね。亡くなる4年前ですかね。
置いとかなあきませんね。
何言ってるか判らないんで字幕で○や*になってましたでしょ。
向かいの市会議員て言うてるんですは。私らには判ります。
中が悪かってあっちが引っ越すかこちらが引っ越すか。

何回か警察沙汰のような事にもなったりしてたんです。
 

桂米朝 スポットショー

1966年7月16日
京都府立勤労会館 

こじんまりした理想的な会場でマイクなしにきめの細かい噺をやってみたい
というのが懸案で小規模な独演会を考えましたら近畿放送の方から、
15周年の記念事業の一つに取り上げましょう、と仰っていただいたのでこんな晴れがましい場所で「桂米朝スポットショー」なんて自分でも面食らうような催しになってしまいました。
百人のお客様相手と千人を対象にする時と自ずから演出が変わって当たり前ですが、
私は落語という話術には大きな融通性があり人数、場所、対象によって多種多様の変化、演じ分けが可能であると思っています。
30年ほど前から落語は大きな過渡期に入っていますが、特に10年ほど前から現在、現在から10年先とこの間の時代の流れ物の考え方や環境の変化は一寸予測を許しません。
融通性が大きいだけ危険も伴います。
私も落語以外に色んな事をやってましてお叱りも受けましたが、でもその基本は私の場合全て落語です。
全ての芸に共通した根底の考え方は故師匠のおかげで間違ってはないと思っています。
今後色んな変化を見せながらも「落語」は血の通った存在として、日本人が日本語を使わなくなっても存在してゆくと信じています。
お客様方はじめ多勢の方のお力添えで初めて大きな会をやります。
精一杯のところを見ていただきます。何卒よろしく、
とまあ真面目な挨拶はこれくらいにして幕が開いたら理屈は禁物。
外は祇園さんの宵山、チキチンコンコン
今晩は楽しい宵でありますように

プログラム 

昼の部

「うなぎ屋」     小米朝
「七度狐」      米朝
「品川心中」     談志
「胴乱の耕輔」   米朝
ゲストコーナー
中入
奇術         ジャグラー禎一
とんち笑学校   司会 文紅
 小春団治 我太呂 ひな子 米紫 小米 朝丸

夜の部

「青菜」       小米
「壷算」       米朝
「野ざらし」     談志
「三枚起床請」   米朝
ゲストオーナー
中入
曲芸         森 幸児

「市川堤」      米朝

夢の三競演

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夢の三競演
三枚看板・大看板・金看板
2011.12.28
シアターBRAVA

「延陽伯」 笑福亭 三喬
「癇癪」  笑福亭 鶴瓶
「池田の猪買い」 桂 文珍
中入り
「佐野山」 桂 南光

お囃子
三味線  内海英華
笛     月亭八天
太鼓   桂 文華

口上
  下手より笑福亭 鶴瓶、桂 文珍、桂 南光

桂 文珍
今回で8年目です。何となく好みが合う3人ですので続いています。
女性の好みが違うのが幸いしているのかもしれません。
今年は3月のことがあったせいかどうも暗いような・・・
最近でも金正日が亡くなり談志師匠も思っていたら今日は鶴瓶君の息子さんまで・・
どうも現実とドラマの区別がつかなくてなってるんですが。
金正日はどうもずーっと体調が悪かったようですね。なんでも体温が38度以上あったとか

桂 南光
文珍さんが少し上で鶴瓶と私は同い年、還暦を迎えました。
誕生日が私は今月8日、鶴瓶君は23日天皇陛下と一緒です。

笑福亭 鶴瓶
舞台に上がるとき袖に落ちて腕や足がジンジンしてます。
そんな時性格出ますよ。二人とも笑うたり茶化したり。
でもこの会は胸がドキドキするほど楽しみにしてます。

「延陽伯」 笑福亭 三喬
前叩きを務めるためかいつもよりキリっとした語り口。
風呂の様子等はカットした短縮バージョン。

1年の締めくくりに三師匠の会に出させて頂いてありがたく思います。
いつもスッキリした頭ですね、とこれだけは皆様に褒めていただいてます。
かみがたの噺家ですからとお答えしています。
さきほど鶴瓶師匠にアデランスとかアートネーチャーとかは載せられないんですか?とお尋ねしました。
師匠曰く「おまえも俺も笑福亭やろ。桂に頼ってどないするねん」

「癇癪」  笑福亭 鶴瓶
もともとは明治時代に益田太郎冠者が作った新作落語。
それを八代目桂文楽(明治25年・1892年11月3日 - 昭和46年・1971年12月12日)が明治の臭いをプンプンさせながら演じていた。
今回鶴瓶が六代目松鶴を主人公に現代版として蘇させる。
泥酔して何を言っているかも判らない松鶴、それを叱るアーチャンの様子を竹林が録音したテープが残っている。
それをマクラで流しながら六代目のエピソードを語りながらいつの間にか本編に入っていた。

「池田の猪買い」 桂 文珍
いつも何か面白いことはないかと思っているんですが・・・。
「面白い恋人」なんてのがありましたね。ちょっと面白いパロデイーでしょ。
KIOSKで見て思わず買ったんですが、どこが作っているのと裏を見たら吉本でした。
しもた、それやったら8掛けで買えたのに。
本家の白い恋人さん怒りはるやろ、と思っていたら案の定九州の明太子入りの「赤い恋人」と一緒に訴えられましたな。
でもそれで話題になってすぐ完売したそうです。
同じように吉本が売ってるのが「東京カブレ」。
東京で暮らすようになった地方出身者が買って帰るんでしょうね、「こんなの買っちゃたよ」なんとか言いながら。
でもこっちは売れてないそうです。

「佐野山」 桂 南光
落語のネタは300~400。これに新作を加えたら凄い数になると思います。
演じられ方には流行り廃れがあります。
最近あまり演じられないのが相撲ネタ。
相撲取りが野球賭博やったり、八百長問題が影響してると思います。
まあ昔からやってるんではないかと思ってました。そうそうガチンコ勝負ではなかろうと。
考えたら八百長はどこでもあると思います。
皆さんも生活上まーるく丸くとなされる事もおありではないでしょうか。
我々の世界でもございます。よくお笑い番組であるやたらとお客さんが笑う場面。
やってる我々でもどこがそんなに面白いの?と横を見るとADが手を回している。
また某局で噺家が大喜利する番組も八百長です。日曜夕方5時半。
笑点です。
その場でお題を与えられてあないにすぐ手が挙がるはずがない。
特にラーメン売ってる人なんか。
私も出たことがあります。 
東西競演という企画があるんですけど、可朝さんら5人で行きました。
いきなり言われても困るし前もって題教えてもらえるのかと心配していました。
そうしたらお題どころか答えも8人の構成作家が作って我々に振り分けるんです。
それを3回稽古します。何故3回もやるか、先代円楽師匠が覚えられないからなんです。
3回稽古する度に円楽師匠はあのように大仰に反応するんですね。
我々も真面目に3回仕込んでいざ本番。
出演者の一人はまともな人間ではありえない月亭可朝。
土壇場で全く違う回答。
円楽師匠、えっエッー!!

終演後客席も全員立ち上がっての大阪締め。
皆さんがこう手を打っているところを写真に収めます。
まるでスタンデイングオーベーションのように使わせていただきます。
これも八百長ですと南光。

上方落語競演会 昼席

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日 時 2011年10月8日(土)
会 場 兵庫芸術文化センター 阪急中ホール

桂 ひろば    「大安売り」
月亭 八光    「ちりとてちん」
笑福亭 銀瓶  「千早ふる」
桂 塩鯛     「天狗裁き」
中入り
桂 米團治    「親子茶屋」
笑福亭 松喬  「壷算」

桂 ひろば    「大安売り」
ざこば一門弟子が8人、上三人には朝丸時代で丸が付き、後の五人には”ば”が付いてます。
もちろん師匠に付けていただくのですが私には4つの候補があり自分で選ぶように言われました。
4つというのが今のひろば、なんば(西成に住んでいたので)、ふろばそしてはかば。

月亭 八光    「ちりとてちん」
マクラも噺も面白くない。
この度のお江戸での真打昇進の3人は28人、21人、8人抜きだそうです。
まあ八光は抜かれる方ですね。

笑福亭 銀瓶  「千早ふる」
米朝師匠に一番近い噺家です。芸ではないですよ、武庫之荘に住んでるだけなんですが。
今日は米朝一門と松鶴一門ですが、どうですか八光君えらい肥えてからに。
きっと八方師匠とおいしいもん食べてるんでしょうね。
大阪の福島の「あじ平」いうフグ専門店なんかによく行ってるようです。
私ら中途半端に売れ方ですから時間はあります。
週4回ジムに通って鍛えてます。
ほらこの力こぶ、本当なら裸で落語したいぐらいなんですが。
トリを務める松喬師匠も鍛えてはります。笑福亭は武闘派なんですね。
米朝一門はちょっと甘いような気がします。御曹司をはじめとして。

先日自室で仕事してますと居間のほうで嫁さんと子供で盛り上がってるんです。
私がいないと盛り上がるんですね。
何事と覗くと高校生のクイズ選手権の決勝やってました、開成と灘。
灘、母校ですわ。嘘ですよ。灘区に住んでただけです。
開成のマッチポイントで大詰めの問題が
日本名を「北知床岬」という、サハリン島の東端にある岬の名前は何?
こんなん判ります?とりあえず納沙布岬と答えたら灘が同じ答えでした。
開成は違う答えでしたのでどっちやと思ったらCMで引っ張る引っ張る。
正解はテルぺニヤ岬で両者間違い。
次の問題は、
英語のベースボールを「野球」と訳した教育者は誰?
それやったら正岡子規と答えたら又灘と同じ答え。
やっぱり俺は灘や、と家族に言ったんですが、開成が答えた中馬庚(ちゅうまんかなえ)が正解で優勝。
確か正岡子規の幼名が升(のぼる)、それでノボール=野球と称していたと聞いていたのでこれは納得いきませんでした。
調べますと「打者」「走者」「四球」などの野球用語は正岡子規の訳でしたが、野球は違うそうです。
こんな風に雑学に通じているとという噺を一席。

桂 塩鯛     「天狗裁き」
昨年67年ぶりの塩鯛を襲名しました。
そもそもは米朝師匠に勧めていただいたんです。
全国各地こちらでも10月31日にお披露目させて頂きましたが、最後は出身地の京都南座でした。
ありがたいことに米朝師匠にも口上に並んで頂きました。
お客様は皆さん私より米朝師匠に注目されたんですが。
その幕が揚がろうとしたまさにその時、米朝師匠が突然「今日は一体なんや?」と言い出したんです。
ざこば師匠が塩鯛の襲名と説明すると、「何で継ぐんや?」
あんたが言いはったんや、と突っ込みたくなりましたが。
いざ幕が揚がるとありがたい口上をいただいたんです。
それやったらさっきのボケはなんだったんと思ったりもしました。
打ち上げの席でも再び「今日は一体なんなんや?」

まあ皆様のご支持を頼りに次へ伝えたいと思っています。
私は落語は気楽に楽しんで頂けたらと思っております。
よくこの噺の時代設定は何時頃とか、細かい点を追及質問されるお客様がいらっしゃいます。
先日も「みかん屋」でミカン一つ1円でやったら聞かれました。
別に具体的な時代設定は考えていませんでして、ただ1個1円なら計算しやすい。
ただそれだけです。
夢の話をあまり難しくお考えにならないようお付き合いいただきます。

中入り
桂 米團治    「親子茶屋」
御曹司です。
親が人間国宝ですと子供もそれなりの苦労があります。
香川照之の気持ちがよくわかります、
と海老蔵が香川照之に替わったぐらいで、よく聞くマクラでした。

笑福亭 松喬  「壷算」
マクラで米朝師匠が話題に出ましたので私は松鶴の話を。
亡くなってもう25年です。
噺家の中には松鶴を知らないのが出てきました。
今年還暦を迎えた記念に本でも出してはと勧められましたが、最初はどうかと思ってました。
しかし今の内に松鶴の事を伝える必要があるのでは、と思い直して今日も15冊ほど持ってきております。本日は特別価格の100円引きでお願いしております。
その中でも触れておる話になるのですが、私は入門に際しては師匠に手紙を出しました。
「こんにちは」
「まあ、こっち入り。お前誰や?」
「高田です」
「何しに来たんや」
「弟子入りしたいんです」
こんな風な会話形式のです。
因みに鶴光兄は往復はがきで弟子入り入門許可か否か○させたそうです。
上に仁鶴、鶴光が居て福笑、私、松枝、呂鶴が半年ぐらいの間に入門、いわば同期です。
人間誰しも好き嫌いがあります。
入門して7~8年は師匠は私を嫌っていたと思います。
そう思いたくなるぐらい辛かったですね。
師匠が好いていたのは仁鶴、福笑です。
一方女将さんのあーちゃんが好いていたのは鶴光、私、鶴瓶。
どちらでもないのが松枝、呂鶴。この3派に分かれてました。
当時師匠も50歳過ぎ、脂が乗り切ってます。毎日稽古付けて頂きました。
同期の4人一緒です。
今日はこの部分と決めた所を師匠が2度やります。
それから我々が順次やるのですが
まず福笑は稽古嫌いで覚えもよくないのでイラついた師匠が次、と私に振ります。
で私も覚えが悪い。さらに播州訛りが師匠の気にいりません。
言葉も違いますしアクセントも微妙に異なります。
そこをしつこく直されます。横から福笑も同じようにちゃちゃ入れます。
手本2回では好きというだけで入門した私には無理です。
おまけにひどい時は手本が2度とも異なったりします。
入門前から勉強してた松枝、落研出身と言ってもよい呂鶴とは違います。
稽古は福笑10分に私は40分要りました。
それに比べて要領のよい弟弟子二人は私の稽古を横で見て覚えそれぞれ3分ずつ。
しばらくすると師匠が日曜日は稽古は休みと言いました。
それを聞いて私だけが喜んだとまた怒られたりしました。
そうこうする内、4人にそれぞれ希望の噺の稽古を付けて貰えることになりました。
稽古嫌いの福笑は稽古を断りました。呂鶴は大ネタを希望して師匠を喜ばせます。
私はこれならできそうと「手水廻し」をお願いしました。
すると師匠の様子が変わりました。言葉も敬語です。こんな時は要注意です。
何回か聞いたことあるかと尋ねられ、5回ほどと答えるました。
なら曲がりなりにもできるやろ、今ここで演ってみろ。
オチまで行ったら意地でも教えたる、と仰せです。
あらすじは判ってますが、セリフまで覚えてません。
うろ覚えでやり始めましたが、師匠は新聞を読み始めます。
さらにはトイレで座ってしまいます。
しばらくして戻ってもまだ私がやっている。「熱心な事でおますな」
何とか最後までいきましたが、「それだけできれば稽古の必要おませんやろ」。
私もブチッと切れて以降稽古してもらえませんでした。
しばらくして師匠が神戸の松竹座で昼夜2席10日間を務めることになり、私が付いて行きました。
同じお客さんがお越しになることもありますので、昼夜ネタを変えるのが慣例です。
しかし初日松鶴はどちらも「手水廻し」を掛けました。そして次の日もさらに次の日も。
結局10日間20席すべて「手水廻し」でした。
いかな私でも覚えます。
これが師匠の教え方でした。弟子に応じて教え方が違いました。
鶴瓶は一度も稽古して貰ってません。
楽日にお礼を申し上げますと「わたいは稽古した積もりはない」
今度はブチッと繋がりました。
ずーっと師匠に付いて行こうと決心しました。

福笑松喬松枝三人会

福笑松喬松枝三人会~仲の悪い兄弟たち~Vol.1

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2011年9月2日
繁昌亭 夜席

笑福亭たま 「青菜」 
笑福亭松喬 「へっつい幽霊」 
//仲入//
笑福亭松枝 「花筏」 
笑福亭福笑 「軒付け」

笑福亭たま 「青菜」

非常に珍しい顔合わせでして、このお三方が寄ったから台風が来たんじゃあないか、
もしこれに仁鶴師匠が加わっていたら死者が出たのではないかと噂しております。
若い連中は恐れをなして楽屋に寄り付かず皆受け付けを担当している有様です。
今旬の話題と島田紳助騒動ですが、昔はそういう関係があったそうです。
吉本興業なんて社名自体がそれっぽいですものね。
ですから昔は松竹の方が組織としては大きかったそうです。
かって芸人が給料値上げを松竹の社長に要求したら、社長が引き出しからピストルを出したというような事もあったとか。
私らが入門した頃はもうそんな風ではないですからよく判らないんですが。
ともあれそんな松竹に所属の師匠方の落語会です

笑福亭松喬 「へっつい幽霊」

我々3人は滅多に顔合わしません。繁昌亭なんかでも別々に組まれることが多いからです。
何と言っても別に会いたい訳でもないですから。
とはいえせっかくの会ですから来年は私が仕切らして貰うことになるのでは。
やはり彦八まつりの前日ですかね、他の噺家は皆仕込みで忙しいですから。

この噺は松之助師匠につけて頂きました。
最初の一言でしくじりました。
君のは違う、考え方を変えないといけないと言われたんです。
逆に師匠が間違っていると、やってしまったんです。
ですが何とか最後までつけていただきました。
毎夜7時半に師匠の家に押しかけたんです。
あの子の噺面白い続けたりという奥さんの口添えもあったようです。
稽古の間中毎日師匠から手紙が来ました。一日2度来たこともあります。
もちろんこの噺についてです。
私の後同じ様にざこばが付けて貰ってますが、何故か私のとは全く違ってます。
春之輔は完全にしくじりました。

笑福亭松枝 「花筏」
 
兄弟子がめったにない顔合わせの会を企画してくれまして。
いえお客様に喜んで頂こうなんて気持ちはないですよ。
すべて自分のためです。人のためにと言う発想は持ち合わせてませんから。
40年以上の付き合いですから気心は判ってます。
今も楽屋で電算盤はじいていると思います。
台風接近という時に立ち見まで出ている状況を見て、これやったら入場料もう500円高うてもいけたなとやってましたから。
40年、昔の長屋時代からの付き合いですわ。
師匠と一つの御膳囲んでました。筆頭が仁鶴、そして福笑、松喬と来て私松枝、後から呂鶴が入ってきました。
食事の時によう怒られましたな。
まず怒られるのが福笑。
味噌汁を3杯おかわりしました。
「アホか!味噌汁3杯飲む奴がおるか!」
なんとも言えない巻き舌です。
「昔からアホの3杯汁言うやろ、常識がない、品がない、ざんない。
ええ所連れて行かれへん、親の顔がみたい」
ご存知のように師匠は滑舌が悪かったんですが、こういう時は立て板に水滑らかでしたね。
「おまえみたいな奴いらん、はよ辞め。アホ、ボケ、かす、死ね」
その次は松喬、いきなり漬物のこうこから口にします。
「何考えとんね、他所でご飯よばれて漬物からいく奴が何処におる、失礼な奴や。
アホ、ボケ、かす、死んでまえ」
そして私です。
食事終わってお皿にソースが残ってます。
「何やそれもったいない。ちょっとは考えて食べ。何もわしはケチで言うとんと違う」
充分ケチで叱られましたが。
こうやって辞めと言われたのが数十人、4分の3が辞めていきました。

その師匠の法事が天王寺のお寺でありまして福笑が仕切ると言います。
それを聞いて悪い予感しました、案の定でした。
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何せ細かいんです、今も楽屋で淡麗ちびちびやってます。あれ発泡酒でしょ。
本来楽屋は禁酒禁煙なんですがあの人は特別、治外法権みたいです。
法事が終われば普通一席設けたり、小奇麗に盛り付けられた弁当で冷たいビールでしょ。
普通そう考えますがあの人は違います。
あの人西宮に住んでます。そこから天王寺まで嫁さんに家で冷やした発泡酒運ばせます。
デイスカウントショップで箱で買うたやつ。
充分温もってます。
それに目の前に並んだのはおかきにスルメやピーナッツ、乾き物のオンパレードですわ。
次は松喬が一門の忘年会は俺が仕切ると張り切ります。
実は一門の忘年会は途絶えておりました。
その訳は私の本に書いてます。今ロビーで売っている松喬の本には載ってません。
また悪い予感しました。
料亭の2万円のコース料理1万円でどうや。
今日もお越し頂いてるかも知れませんが、よくお世話になる料亭です。
よくして頂いてありがたいんですが豚に何とかです。
普段我々が打ち上げと言えば、繁昌亭近くのあそこ、あそこで2000円。
それで鱈腹食べて思い切り飲んでおまけに暴れ倒せ、というような連中です。
3000円とでも判ろうものなら幹事を殴りかねません。
年末の物入りな時期に会費1万円では辛い若手もいるでしょう。
40何人集まってもおかしくないのに顔出したのは7名。
皆欠席理由は仕事になってましたが、暮れも押し詰まってそれほど仕事があったのか。
まあ怪しいもんですね。
ほんま笑福亭という一門は加減頃合というものを知らないようです。

「花筏」相撲の噺を聞いていただきますが。
また大相撲の季節になりました。
最近不祥事が相次ました、いじめで弟子が亡くなったり八百長や大麻。
私は以前からこうなるのではと危惧しておりました。
きっかけは四股名です。本名で土俵を努める人が多くなりました。
これあきません。
名ビラに笑福亭松枝と書いていただいてますから様になってます。
これが秦 富男で落語やったら如何です?さっきのが高田 敏信で次出てくるのが高島 章。
おかしいでしょう。
古くは長谷川なんてのもいましたが、やはり輪島ですわ。
でも輪島は地名でもあります。地元をしょっていると言えます。
最近は多くて出島、垣添、片山、霜鳥なんておまえは冷蔵庫かと突っ込みたくなるのも八百長で引退しました。
本名がアカンのなら山を付けたらいいかと木村山に山本山。
おまえは笑福亭福笑かと言いたなりますね。
四股名を付けて公になる、それが例え業界内の事といえ。
本名で土俵にあがりますと我が出るのではと案ずるのですが。
今外国人力士が大勢幕内にいてます。
これが本名だったらどうします。
例えば白鵬の本名はムンフバティーン・ダワージャルガル、此方日馬富士ダワーニャミーン・ビャンバドルジ。 
どうです覚えられます。
呼び出しはまだ若いですし扇子にカンペ貼って誤魔化せるかもしれません。
行司はそうはいかんでしょう。
本名言うたら例の大麻事件で解雇された露鵬はソスラン・フェーリクソヴィッチ。
クソビッチですわ。
実況では貴乃花でも貴と略します。貴寄った、貴勝った、です。
クソビッチ略したらクソ。
クソ残った、クソ踏ん張った。
中継が終わればちょうど夕ご飯時。

まあ一日でも早く本来の大相撲に戻って楽しませて欲しいもんですが

笑福亭福笑 「軒付け」

ありがとうございます。よくぞお出でくださいました。
いや前売りが売れているのは知ってました、でも台風でしょう。
正直どうなるかと心配でした。
2階のお客様もありがとうございます。
皆下ばかり見てしゃべって上見ませんからね。

年寄り3人の会ですから楽屋の話題は健康ですわ。
私もそこらじゅうガタ来てます。
例えば目ですわ。瞼が垂れ下がって小澤一郎の目に似てるなんか言われてます。
それがこの2、3年一段とひどくなって睫毛が目に刺さるんです。
いわば年中逆睫毛状態なんです。仕方ないんで以前はセロテープ貼って釣ってたんです。
それだと肌が荒れたりしてくるんでしょっちゅう目医者に行ってるんですが、埒明かないんです。
そんな話を楽屋でしてたらあやめが「兄さん、それやったらアイプチですわ」
と教えてくれたんです。
私今生まれて初めて二重瞼です。
鏡見ながら結構いけてるやん、と気に入ってるんです。
なんか少女マンガみやいに目に星が輝いているような気がしてくるんです。
これやったら顎の骨削ったりシリコン入れたりしてみようかな。
俺はオカマか染雀か。
それから腹が出てきました。 
テレビショッピングで飲むダイエットなんかやりましたが効果ありません。
で本格的腹筋練習台買って必死でやったら腰いわしました。
結局リバウンドして腹出たままなんでセロテープ貼ってます。
何でもセロテープですわ。
人間道具使うなり何とかしないといけません。
何とかしたれよなでしこジャパン。
国民栄誉賞もええけど化粧品買うたれよ。
いえなでしこ好きなんですよ好きやから余計そう思うですよ。
育毛剤買うたれよ室伏。あれやったら松枝と変わらへんぞ。
投げる時ワオーか何言うとるんよ。あない吠えたら飛ぶんかえ。
それやったら松井やイチローも吠えたらええね。
あれ見てて思うんですけどなんで審判ヘルメット被らへんの、危ないよ。
ちょっと横のトラックが気になってボルトのフライング見てアホや、思うてたら自分の頭にハンマー当たったりして。おまえがアホやろ。
もっと危ないと思うのが槍投げ。
あれはローマ軍の盾が要ります。
危ない思うたら盾で落とすんです。もうちょっとで世界新いう所で落としたら選手怒るやろね。
逆に審判に刺さってそのまま後ずさり倒れた所で世界新、てな事はないですわな。
訳の判らんこと言うてんと「軒付け」というお噺でして

「紳助騒動」でも明らかになった吉本興業の非上場化メリット

「紳助騒動」でも明らかになった吉本興業の非上場化メリット、“行儀悪い”非上場化に株主からの訴訟も【上】
東洋経済オンライン 9月14日(水)11時1分配信

タレント・島田紳助氏の突然の引退宣言。何の事前準備もなかったレギュラー降板によって、テレビ局に与える損害がいったいいくらになるのか、現段階では明らかになっていないが、一部報道では3億円とも、あるいは8億円とも報じられている。
 テレビ局が受けた損害は、特段の事情がないかぎり、島田紳助氏の所属事務所である吉本興業が賠償すべきものと考えるのが普通だ。
 稼ぎ頭の島田紳助氏の引退で、今後の収益そのものも後退するであろうから、吉本興業が上場会社のままだったら、少なくとも業績予想の下方修正を余儀なくされた可能性は高い。
 暴力団との根深い関係を伝える報道も日を追うごとに増えており、上場会社のままだったら、どれほどの説明責任を問われたかわからない。
 所属タレントの管理不行き届きを理由に、取締役が株主代表訴訟の標的になった可能性も否定できない。
 そういった意味で、今振り返っても、非上場化は吉本興業にとって実に賢明な選択だったといえる。とはいえ、同社の非上場化は、あまりにも突然かつ性急だった。
■上場廃止で株主は「吉本応援団」オンリーに
 吉本興業は終戦から4年後の1949年5月に上場しているが、上場から満60年と4カ月後の2009年9月14日、突然上場廃止宣言を出した。

 元ソニー社長の出井伸之氏を代表に頂くファンド会社・クオンタムリーブが、吉本買収専用のペーパーカンパニー(特別目的会社=SPC)を組成。そのSPCでTOBを実施し、TOBに応募しなかった株主からは、TOB後に開催する臨時株主総会を通じ、株主本人の意思とは無関係に、強制的に保有株を買い上げてしまう、昨今大流行中の「キャッシュアウト」という手法を使った(写真は非上場化の記者会見)。
 TOBを通じ、SPCは88%の議決権を獲得。臨時株主総会でTOB非応募株主追い出し決議に必要な議決権(=特別決議に必要な3分の2以上)を確保できたので、追い出しはスムーズに進行。10年2月24日、上場廃止になった。
 ファンドには吉本への番組製作依存度が高い在京キー局各局や、広告代理店、ライセンスで密接な関係を持つゲーム会社など、吉本なかりせば事業が成り立たない会社のほか、取引銀行や証券会社、それに創業家など総勢32社が出資した。
 一連のキャッシュアウトを経て、1万6000人いた株主は、わずか32社の吉本応援団に入れ替わった。この顔ぶれならば、何があっても株主代表訴訟を起こされることはない。
 60年余りに及ぶ上場期間中、吉本は何度も所属タレントと暴力団の関係をメディアに報道される事態を経験している。09年1月には、吉本の元最高顧問・中田カウス氏の襲撃事件という、きな臭い事件も起きている。
 それだけに、暴力団排除に向けた社会全体の意気込みが、加速度的に増していく流れもまた、敏感に感じ取っていたとしても不思議はない。
 04年6月に広島県と広島市が暴力団排除条例を全国に先駆けて施行して以降、同条例は全国の自治体に広がり、吉本が上場廃止を宣言するわずか2カ月前の09年7月、東京都でも施行されている。
 この時期は、島田氏が殴打した女性マネジャーから起こされていた損害賠償請求訴訟が大詰めを迎えていたときでもある。
 「メディア関係者との資本関係強化により、目新しい仕掛けをスピーディに展開するため」、というのが非上場化の公式な目的ではあったが、上場を維持することによるコンプライアンス(法令順守)上のリスクもまた、意識していなかったはずはない。

「紳助騒動」でも明らかになった吉本興業の非上場化メリット、“行儀悪い”非上場化に株主からの訴訟も【下】
東洋経済オンライン 9月14日(水)11時1分配信
 吉本非上場化がもたらした罪

 吉本の非上場化は、会社自身にとっては合理的な選択であっただろうが、株主にとっては罪な選択だったという側面があることもまた否定できない。
 吉本興業は06年2月に子会社のファンダンゴを上場させ、そのわずか1年7カ月後の07年9月に同社を上場廃止にさせている。吉本興業の持株会社化がその理由で、このときはキャッシュアウトではなく、ファンダンゴの株主に吉本株を渡す株式交換だった。
 とはいえ、ファンダンゴの公募価格は4900円。吉本株との交換比率から計算される価格は2440円だったので、ファンダンゴ株主としては怒り心頭だったはずだ。
 それから2年後に、今度は吉本本体が、それもキャッシュアウトによる非上場化に踏み切る。
 持ち株会社化からの2年間で、吉本興業の株価は4割ダウンした。TOB価格は持ち株会社化当時の吉本の株価の8割程度でしかなく、旧ファンダンゴ株主にしてみれば、まさに踏んだり蹴ったりである。
 キャッシュアウトは金銭で株主を追い出すので、追い出される株主は、買われる会社の成長シナジーから永久に遮断される。
 上場会社が上場子会社を完全子会社化する際にも、子会社側の株主追い出しは実施されるが、多くの場合は金銭ではなく、買収者である上場会社自身の株を渡す。買収者の成長を通じ、買われる会社の成長シナジーにあずかれるという利点がある。それがないキャッシュアウトは、より罪が重い。会社法が明確に認めている行為なので合法だが、極めて行儀の悪い行為である。
 追い出される株主は、1人の株主に3分の2の議決権を押さえられたら、追い出されることそのものに抵抗の余地はない。
 会社法が追い出される株主に認めている権利は、「追い出し価格を法廷で争う権利」だけだ。
 だが、その唯一の権利も、個人投資家にとっては、「法廷で争う」ことがとてつもなく高いハードルである以上、機能しているとは言いがたい状況にある。
 このため、実際に争う株主はごく少数にとどまるが、争った株主が一定の成果を上げ、キャッシュアウト実務に多大な影響を与えていることもまた事実だ。

株主の抵抗がM&A実務にくさびを打ち込む?
 あまり知られていないが、吉本興業でも、現在19人の株主が、法廷闘争を展開している。ただしこちらは「価格で争う」のではなく、損害賠償請求である。
 現在多用されている会社法のキャッシュアウト条項は、本来、法的手続きを使わず、任意で債務整理を行う際の100%減資を円滑に実施する目的で創設されたものだ。条文が利用目的を限定しない文言になっているので、単なる株主追い出しに盛んに転用されてきたが、本来の法の趣旨とは異なる使われ方であることは事実だ。
 19人の株主は、この「転用」が不当なものだ、というロジックで訴訟活動を展開。株主側は現在、TOB価格算定の根拠として、吉本側が拠り所とした、第三者の株式価値算定評価書の提出を求めている。
 買収者は、ファンドなど自力で計算してしまう買収者を除けば、TOB価格算定に当たって証券会社や会計系のコンサル会社などから評価書を取る。
 さらに、買収提案を受けた取締役会も、買収者とは別に評価書を取るし、場合によっては取締役会が任命・組成する第三者委員会も、別に評価書を取る場合がある。
 一声1通5000万円ともいわれる高い評価書を、こうして何通も取る一方で、開示は結論だけ。計算プロセスが書かれている中身は開示しない。
 DCF(ディスカウント・キャッシュフロー)法で計算すると評価はいくら、ということは開示するけれど、その根拠となる将来キャッシュフローや割引率は一切開示しないのである。
 「その開示拒否のかたくなさは尋常ではない。会社側は評価書を発行する会社と締結している守秘義務契約をタテにとって抵抗する」(会社法の専門家)のだが、いったい誰の何に対する守秘義務なのか。
 ディスカバリーという証拠開示義務の制度がある米国では、上場会社のTOBの際に評価書を開示しないで済ませるなどということは到底通用せず、ここが日本と米国の株主保護機能の決定的な差と言える。
 あまりにもかたくなに開示に抵抗されると、そんなに都合が悪いことが書いてあるのかと疑いたくなるのが人情である。
 キャッシュアウトの実務は、非上場化需要が急増していることもあり、近年のM&A実務において重要な位置を占める。
 今回、裁判所が株主からの求めに応じて、会社側に開示命令を出すようなことがあれば、日本のM&A実務に絶大な影響を及ぼす可能性を秘めているのである。

(金融ジャーナリスト 伊藤歩  =東洋経済オンライン)

大河への道 その5 イヨーっ !

忠敬は地図の完成を見ることなく亡くなります。
その遺志を継ぎ完成させたのは高橋景保。
後に日本の測量を強引に試みたイギリスは伊能地図を示され、その精度の高さに驚き引き下がります。かって景保が予見したように伊能地図は日本を救いました。
私が佐原にお邪魔したのが4年前、いつか伊能忠敬の噺を作ろうと思いました。
しかしこれほどの方の噺が1年でできるわけはございません。
2年目も未だ力及びません。
3年目になると無理だ、と思いました。
それが4年目長崎でシーボルト記念館を訪ねたり、ちょっとした事がヒントを与えてくれたり。
色んな偶然が重なり何とか形が見えてきました。
しかし落語に出てくるのは我々同様という輩です。そんな大した人物は出て参りません。
例え登場して日本のために、とやっても「まあその前に一杯飲んで」
となってしまうのが関の山です。
落語の手にはあいません。どちらかと言うと講談の世界です。
そんな紆余曲折の末がこの1月の公演でした。
先程お見せした白地図は2010年国土地理院作成の物です。
伊能地図が見事に重なるのをご覧頂きましたが、1月とは様子が違っております。
皆様ご存知のように3月の大震災で日本の形は変わってしまいました。
陸前高田等にお邪魔させて頂きましたが、これが2000人の方が暮らした町かとその様子に唖然としました。
喋るのを生業としながら語るべき言葉のなさに忸怩たる思いです。
ある時とある避難所の男性が避難所の皆さんに呼びかけ、朝ラジオ体操で一日を始め一本締めに気持ちを込められているのを拝見しました。
以降私の落語会では被災地へ全国の皆様の気持ちが届けばと一本締めてお開きにしております。
本日も被災地の復興への気持ちを込めましてのお力添え何卒よろしくお願い申し上げます。
それではお手を拝借、イヨー!
ありがとうございました。ありがとうございました。

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